page22「ファーストフード店にて」
〇
智が去った後、愛流は再び吉岡に電話した。そして彼が住んでいるアパートの近くにあるファーストフード店で会う約束をして、陽子達はバイクに乗って大学を後にする。
愛流の言う通り、吉岡のいる場所は根耳公園からは遠い場所に位置していた。
同じ夢見市内でもその範囲は広く、目的の店に到着したのは大学を出てから約四十分後だった。春休みのためか、昼食の時間帯だからなのか、駐車場は車で埋め尽くされている。
バイクを停められるスペースに駐車すると、陽子と愛流は店内へと入っていった。一階はレジのみがあり、その側に二階へ続く階段がある。
階段を上ると、席のほとんどが人で埋め尽くされていた。その中で手が上がる。
反射的に陽子はそちらに目をやった。テーブル席の一つに、吉岡が座っていた。既に注文していたらしく、彼の前に置かれたトレーには丸まったハンバーガーの包み紙とフライドポテト、そしてストローをさした紙コップが乗っていた。
「やぁ、お待たせ」
吉岡の席の前に愛流は立った。吉岡は「いえ、全然」と軽く会釈する。
「もうお昼時ですし、良かったら下で何か注文してきたらどうですか?」
「確かにちょっとお腹空いてきたしね。陽子ちゃん、そうする?」
陽子は首を縦に振った。正直なところを言うと、陽子の胃が先ほどから空腹を訴えていたのだ。
一階に戻り、店員に注文する。愛流は照り焼きバーガーにチキンナゲット、レモンスカッシュのセットを、陽子はチーズバーガーにフライドポテト、ホットコーヒーのセットをそれぞれ頼んだ。
注文したものを乗せたトレーを受け取り、愛流達は吉岡の座る席へと戻ってきた。そして陽子と愛流は同時に包み紙を開け始める。
「それで、俺に訊きたいことって何ですか?」
食べ始めて少ししてから、吉岡が切り出した。愛流は今思い出したかのように「あぁ、そうそう」と照り焼きバーガーを飲み込んでから言う。
「まず聞きたいのはあれ、十日ぐらい前にやった公園での宴会のこと」
「あぁ、あれですか」
吉岡が頬を引きつらせた。吉岡にとってもあまり触れたくない話題なのだろう。
「どこまで知ってます?」
「瀬里奈ちゃんの死体が出てきたけれど智くんがその場にいた全員を脅して池に戻したこと、それを後日、櫂入くんが通報して、結果部室から追い出されちゃったこと。どう、間違いない?」
食べ終えた照り焼きバーガーの包み紙を丸め、愛流が吉岡の顔を覗き込んだ。二人の視線がぶつかりあったように陽子には見える。
やがて吉岡が観念したように吹き出した。
「すごいですね。たった一日でそこまでわかっちゃうなんて」
「ということは、認めるんですか?」
チーズバーガーの包み紙を折りたたみながら、陽子は訊ねた。
智のように最初は認めないと身構えていただけに、吉岡の素直な反応は意外なものだった。
「正直、シラを切るべきか迷いましたよ。でもそうすると、ばれた時になんで隠したんだとか責められて面倒なことになりそうですし、それにこの嘘には限界を感じていましたから」
「限界?」
「だってそうじゃないですか? あれだけの人数全員に、黙っていろという方が無理がある。現に荒井切は通報した。ばれるのは時間の問題だったと思いますよ」
「確かに」
吉岡の言っていることは、どれも的を射ていた。
「智には黙っているように言われましたし、本人も最後まで認めないでしょうけど、俺は正直もう付き合いきれません」
吉岡がため息を吐いた。その息には嫌悪感も混じっているのかもしれない。
ここに来て、陽子は昨日、愛流が美術部の闇について語った話を思い出した。
愛流が想像した通り、二年生同士の仲も、決して良いものではなさそうだ。
「すみません。話を戻しましょうか」
吉岡が座り直してから言った。愛流はナゲットを口に放り込んでから頷く。
「単刀直入に聞くけれどね。瀬里奈ちゃんの死体を最初に見た時、どう思った?」
「どう、とは?」
漠然とした愛流の質問に、吉岡は首を傾げた。
「まぁ、驚いたとか、悲しかったとか、怖かったとか」
「そりゃあ、まずは驚きましたよ。幻でも見てるんじゃないかって疑いたくなりましたもん」
吉岡が軽く身震いした。その時のことを思い出したのかもしれない。
「他には何か感じなかったかい?」
「そうですねぇ。でも、それ以上は。正直、目の前に神野の死体があること自体信じられませんでしたし、頭が真っ白になって、どうすればいいかわかりませんでしたね」
――無理もない。
陽子は吉岡に同情し、頷いた。
「じゃあ、次の質問だ」
愛流が紙コップから伸びるストローに口をつけ、喉を潤してから言った。陽子もコーヒーを飲みながら耳を傾ける。
「智くんが隠蔽を提案した時も、頭は真っ白なままだったのかい? 君は何も言わなかったって聞いているけど」
愛流が値踏みするような目で問いかけた。吉岡は静かに頷く。
「あの時、かなり驚いていたんでしょうね。智の声も、どこか遠くから聞こえているような感覚でした。だから何も言えなかったというか、反応らしい反応ができなかったんだと思います」
「なるほどね」
愛流が手を合わせ、親指だけを突き出してその上に顎を乗せた。何を思案しているのかわからないが、天井を見つめている。
やがて我に返ったのか、愛流の視線が吉岡に戻った。
「そういえば吉岡くん、洋画の画集を持ってるんだってね」
この質問に吉岡は戸惑った。「え?」と何度も瞬きしながら訊き返す。
陽子も同じだった。一瞬、愛流が何を言っているのかわからなかった。
なぜ愛流がこのタイミングで質問の趣旨を変えたのか。その意図が理解できない。
「どうなんだい?」
陽子の混乱など意に介することなく、愛流が答えを促した。吉岡は「えぇ、まぁ」と喉から絞り出すような声を出す。
「それがどうかしましたか?」
「ちょっと気になっただけさ。画集だけじゃなくて、実際に絵も集めたりしてるの?」
「まさか。大学入ってから美術館に行くようにはなりましたけど、複製画でも何万円もするんですよ? 今の金銭状況じゃあ、難しいですね」
吉岡が苦笑しながら答えた。
「美術鑑賞は昔からやっているのかい?」
「いえ。初めて美術鑑賞をしたのは、高校に入ってから自分の小遣いでようやくって感じですね。うちの両親、父親が監察医で、母親が元看護士なんですけどね。どっちも医療関係の人間だったからかそういう芸術には興味がなくて」
「なるほど。それは辛かったろうね」
愛流が同情と言わんばかりに何度も首を縦に振った。
「じゃあさ、もし絵画や、美術品を手に入れられそうな機会があったら、どうする?」
なおも愛流は不敵な笑みを浮かべて質問する。斜め右の方向に視線を動かし、少し迷う素振りをしてから吉岡は口を開いた。
「たぶん、そんな機会があっても手を出さない、いや、出せないと思います」
この時、吉岡の左頬が引きつったように陽子には見えた。
「へぇ、どうして?」
「恐いからですよ。そりゃあ、実際にそんな機会があったら無茶苦茶嬉しいですよ。でもきっと、何か裏があるんじゃないかって疑って、結局は手を出すことができないんじゃないかなって、そう思います」
この答えに愛流はどう思ったのか、陽子にはわからない。ただ吉岡が言い終えた後も、無表情になって黙っていた。
やがて愛流の口元に笑みが浮かんだ。それは見た者を身震いさせるほど、冷たいものだった。
「色々話を聞かせてくれてありがとうね。君の昼食代は、俺から出しておこう」
そう言って愛流は財布を取りだすと、千円札を一枚テーブルの上に置いた。そしてゴミだけを乗せたトレーを持ち、ゴミ箱へと向かう。
「あの」
恐る恐ると言った調子で、吉岡が陽子に話しかけてきた。
「最後のあの質問って、どういうことなんですか?」
「さぁ、私にもさっぱり――」
歯切れの悪い言い方で陽子は答えると一礼し、自分もトレーを手に持って席を立った。
(続)
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