page23「謝罪とコーヒー」


   〇


 バイクの前に戻ってくると、愛流はまた電話をかけた。今度は芽衣だ。

「オッケー。じゃあ今からそっち向かうよ」

 そう言って愛流は電話を切った。話の流れからして、これから芽衣の家に行くつもりらしい。

 そして愛流のバイクは北東学園大学のある方面に向かって走り出した。それから目的地に到着したのは、三十分ほど経ってからだった。

 住宅地の中にある、古いレンガ調のマンションだった。エントランスにはオートロック機能が備えられてはいるが、外観は色あせている。

 愛流はエントランスで芽衣に教えられた三桁の部屋番号を入力した。コール音が鳴った後〈今開けますね〉とスピーカーから芽衣の声が流れてくる。そして自動扉が開き、二人は正面にあるエレベーターに乗って三階へと向かった。

 エレベーターを降りて、芽衣の部屋の前に立つ。愛流がインターホンを鳴らすと、扉が開いた。

 灰色のジャージ姿の芽衣が現れた。これからランニングにでも行くかのような雰囲気だ。

「わざわざ来ていただいてありがとうございます。本当に電話でも良かったのに」

 言いながら芽衣は愛流と陽子を中に入れる。どうやら先ほどの電話で、芽衣はそのまま話をすることを提案したらしい。

「俺は対面で話を聞きたいタイプなの。それに芽衣ちゃんとしても、外で話してほしい内容じゃないでしょ」

 愛流がズボンのポケットに手を入れながら言った。芽衣は笑みを浮かべ「ありがとうございます」と会釈する。

 廊下を通り、居間へと案内された。中央には丸いローテーブルが置かれており、部屋の右端にはベッドが設置されている。ぬいぐるみと言った可愛らしいものは置かれていなかった。

「ちょっと待っててくださいね」

 テーブルの前に陽子と愛流が座るのを確認すると、芽衣は廊下にあるキッチンスペースへと向かった。

「ところで、ちゃんと謝るんですよね」

 芽衣に聞こえないよう、陽子は小声で訊ねた。その瞬間、愛流が苦虫を噛み潰したように顔を歪める。

「謝るって?」

「昨日芽衣さんに言ったことですよ。ちゃんと言い過ぎたって自覚しているんでしょ」

「それはそうだけどさ、やっぱそこ、触れないとダメ? これでも芽衣ちゃんに会うの、結構勇気が必要だったんだよ」

 愛流がまるで駄々っ子のようにごねる。しかし陽子はキッパリと「ダメです」と拒否した。

 これではどちらが年上かわからない。

 その時、足音が近づいてきた。続いて芽衣が居間に入る気配を感じる。

「ほら、今です」

 陽子が小声で促した。愛流は唸りながらも、大きく息を吸い込む。

「芽衣ちゃん、昨日はごめん、言い過ぎた――」

 愛流の声が徐々に萎んでいった。どうしたのかと思い、陽子は隣を見る。

 愛流の目が点になっていた。しかし鼻腔を突いた香りで、陽子にもその理由が判明する。

「コーヒーを淹れたんで。良かったらどうぞ」

 そう言って芽衣が陽子と愛流の前に白いカップをそれぞれ置いた。黒い液体が狭い空間で揺れる。その中にはティースプーンがそれぞれ一本ずつ刺さっていた。

 芽衣は一度キッチンへと戻った。そしてすぐに自分の分のカップとフレッシュミルク、スティックシュガーを入れた袋を手に、陽子達の前に座る。

「それと、愛流さん」

 カップをじっと見つめていた愛流は、やや遅れて顔を上げ「え? あぁ、うん」と心ここにあらずと言った調子で反応する。

芽衣は愛流の異変に気付くことなく、スティックシュガーとフレッシュミルクの袋をテーブルの中央に置き「あ、良かったら使ってください」と勧めた。

「私の方こそ、昨日はすみませんでした。愛流さんのおかげで気付きました。知らない間に、私は瀬里奈の件から逃げていたんだなって」

 しんみりとした雰囲気で言う芽衣とは対照的に、愛流は嫌いな料理が目の前に出てきた子供のように顔を歪ませている。それが陽子にはおかしく、笑いをこらえるのに必死だった。

「それに櫂入のこと、ありがとうございました。私と会うように勧めてくれたんですよね」

「昨日、櫂入さんと話せたんですか?」

 正確には茂が促したことだが、話がそれるような気がして、陽子はそのことに触れず訊ねた。芽衣は嬉しそうに頷く。

「久しぶりに櫂入から連絡が来たと思ったら、食堂に呼び出されるなり、今までメッセージを送ってくれていたのに無視してごめんって謝ってきたんです。それからちょっと話もしました。瀬里奈の死体を通報した時と比べると、ちょっと元気になっていましたね」

 この話を聞き、自然と陽子の口元がほころぶ。茂の言葉は、予想以上に櫂入に効果を与えていたようだ。

 しかし隣に座る愛流は、芽衣の話を聞いているのかいないのか、猫のように背中を丸めてカップの中にあるコーヒーを睨みつけるばかりだった。

「それで、私に訊きたいことって何でしょう?」

 芽衣は砂糖とミルクに手を伸ばすことなくカップに口をつけた。陽子も同じくブラックのまま飲む。

 愛流だけはカップを目で威嚇しながら、それぞれの袋からスティックシュガーとフレッシュミルクを二つずつ取りだし、コーヒーの中に流し込んだ。そしてティースプーンをやや早めに掻き混ぜる。

「まぁ、そんなに多く訊きたいわけじゃないんだけどね」

 言いながら愛流は茶色くなったコーヒーを一口すする。しかしまだ口に合う甘さではなかったらしく、しかめっつらになった。陽子は思わず吹き出すが、その瞬間に愛流に睨まれてしまう。

「美術部で瀬里奈ちゃんに恋愛感情を抱いていた、あるいはそう思われる人物が誰かを教えてほしい」

 愛流はスティックシュガーとフレッシュミルクをさらに一つずつコーヒーに追加しながら言った。しかしこの言葉に芽衣は「恋愛感情、ですか?」と首を傾げる。

 それは陽子も同じ疑問だった。一体そこから何がわかるというのだろう。

「そう。とりあえず芽衣ちゃんの主観が混じっていて構わないから」

 愛流がコーヒーを飲んだ。今度は味が適したようで、テーブルの中央に置かれた袋に手を伸ばそうとはしない。

「そう、ですね。確か部長のことは話しましたよね。瀬里奈に告白していたっていう」

 芽衣が顎を擦りながら天井を見る。愛流はカップをテーブルの上に置いて頷いた。

「それと、吉岡くんも彼女のことが好きだった、なんて噂があったみたいだけど、どう?」

「ええ。たぶん事実だと思います。私から見ても、吉岡さんはよく瀬里奈のことを目で追っていましたし、もしかしたらとは思っていました。まぁ、告白した様子はなかったけれど」

「なるほど。ちなみに、櫂入くんはどうなのかな?」

 愛流がそう訊ねた瞬間、持ち上がっていた芽衣の腕が、カップに口をつける直前で止まった。陽子から見ても、動揺しているように見える。

 もしかしたら、櫂入も瀬里奈のことが好きだったのだろうか? 陽子はそのような疑問を持ちながら、次の言葉を待った。

「――友達とは思っていたでしょうけど、恋愛感情はなさそうでしたね」

 呆れたと言わんばかりのため息と共に、芽衣は言った。その態度から本当か嘘か、判断することができない。

「ちなみに、どうしてそう思うか聞いてもいい?」

 愛流が首を傾げて訊ねた。芽衣は手を頭の上に置き、首を横に振る。

「あいつの趣味とかって訊きました?」

「趣味?」

 この逆質問には愛流も虚を突かれたらしい。怪訝な顔で「いや」と首を横に振る。

「簡単に言うと、推しのアイドルグループのおっかけなんです」

「おっかけ、ですか?」

 この意外な返答に、陽子は何度も瞬きした。

「そう。爆発的に売れているアイドルってわけじゃないみたいなんですけどね。ライブがあると何が何でも行って、同じファン仲間で盛り上がって。だからなのか他の女子にはあまり見向きもしないというか、こいつあの子のことが好きなんじゃない? みたいな疑問を持たせないというか」

 徐々に芽衣の声が苛立ったものに変わっていく。そしてヤケ酒のようにコーヒーの残りを飲み干した。まだ湯気が出ていたにも関わらずだ。

 ――もしかして芽衣さん。

「芽衣ちゃん、櫂入くんのこと好きなの?」

 陽子の考えたことを代弁するかのように、愛流が訊ねた。その瞬間、芽衣の顔が真っ赤になる。

「は、はい? 何で私が櫂入のことを!」

「いや、訊いている限りそうなのかなって。ねぇ?」

 愛流が同意を求めてきた。陽子は一瞬迷ったが、首を縦に振る。

 そして芽衣のこの焦りよう。どうやら図星だったようだ。

「私は、ただですね。友達として、今のままだと彼女できないしどうしたものかなって心配しているだけなんです。あくまで、友達として」

 芽衣が激しく首を横に振り、手を揉んだ。

「まぁ、無自覚に好きになっているっていうパターンもあるしね」

 愛流はニヤニヤ笑いながらカップを口まで運んだ。しかしコーヒーを飲んだ瞬間、苦い顔に変わる。どうやら完全には愛流に合う味にならなかったようだ。

「とりあえずその話は置いといて。まぁ、櫂入くんはあくまで瀬里奈ちゃんを友達として見ていた、恋愛感情はない。そう思っていいんだね?」

 愛流の問いかけに芽衣は何度も首を縦に振った。徐々に顔の赤みが落ち着いていく。

 確かに昨日話した時の雰囲気からも、櫂入が瀬里奈に恋愛感情を抱いているようには感じられなかった。芽衣が思った通りであろうと陽子は思う。

「あ、そうだ。思い出したことがあるんですけど」

 冷静さを取り戻した芽衣が顔の角度をわずかに上げて言った。この言葉に反応したのか、愛流が真剣な表情になる。

「思い出したことって何だい?」

「はい。飲み会があった日の帰り道。夢見市駅で解散になったんですけどね」

 芽衣はその時の記憶を一つ一つ思い出しているのか、ゆっくりと話した。

「バスや電車、あるいは歩きでみんな帰っていったんです。私も歩いて帰る予定だったんですけど、途中で駅のロッカーに荷物を入れたままにしていたことを思い出して、慌てて取りに行ったんです。すると――」

 そこで芽衣が一度言葉を止めた。上手く思い出せないというよりは、その次の言葉を言っていいか、躊躇っているように陽子には見えた。

 それから十秒と経たないうちに、芽衣は再び話し出す。

「すると、美術部員の一人が、タクシーに乗り込む姿を目にしたんです。その人、いつもは電車で家まで帰るのに珍しいって思ったんですけど、酔った勢いで贅沢したくなったのかなと結論づけました。ただ――」

「ただ?」

 愛流が前のめりになり、先を促した。

「ただ気になったのが、その人が住んでいる家とは反対方向にタクシーは向かって行ったんです」

「まさか根耳公園が、瀬里奈ちゃんの家がある方向だった?」

 芽衣はそれ以上言葉が出ないらしく、黙って頷いた。

 これに陽子は驚いた。

 普段は使わないタクシーを利用し、瀬里奈の家がある方向へと向かった。それが彼女が行方不明になった日に行われたことを考えると、無視できることではない。

「それで、それが誰だったか、思い出せるかい?」

 混乱する陽子とは対照的に、愛流は冷静に訊ねた。

 この事実を聞き、どうして落ち着いていられるのか。陽子は疑問に思うも、口には出さなかった。

 一呼吸の間を空けた後、芽衣が重々しい口調で答えた。

「確か、吉岡さんだったと思います」


                                   (続)

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