page24「推理」


   〇


 芽衣の部屋を後にした愛流と陽子は、吉岡の住むアパートへと向かっていた。

 昨日愛流が頼んでいた、部員の住所を調べておくという仕事を、芽衣が見事にやり遂げてくれていたのだ。それにより、吉岡がどこに住んでいるのかが判明した。

 ファーストフード店から来た道を戻るような形だが、先ほどより車は渋滞し、思うようにバイクは進まない。

〈陽子ちゃん。到着する前に俺の考えを言っておきたい。推理を整理するためにもね〉

 バイクが停まっている中、ヘルメットのスピーカーから、愛流の真剣な声が聞こえてくる。陽子は「はい」と強く頷いた。

〈結論から言うと、瀬里奈ちゃんを殺したのは、吉岡くんだ〉

 愛流の言葉に陽子は答えることができなかった。

 芽衣の話を聞き、ある程度は想像していたが、ハッキリそう言われるとやはり驚く自分がいる。

 もっと早く知っていれば先ほど吉岡に会った時点で詰めることができたのかもしれないが、芽衣を責めることはできない。自分が思い出したことが、それほどまでに重要なことだったとは、考えもしないだろう。

〈まずは瀬里奈ちゃんの死体を公園で見たという話から触れて行こう〉

 愛流が言うと同時に、前のトラックが動き出した。陽子達を乗せたバイクも前進する。

〈この証言は、芽衣ちゃんや櫂入くん、そして吉岡くんと、複数の人間が認めているから、根耳公園には本当に死蠟化した瀬里奈ちゃんの死体があったと考えていいと思う。そうじゃなければ智くん以外の美術部員が口裏を合わせて手の込んだ悪戯をしていることになるけど、警察に話している時点でその線も薄い〉

 少し進んで、バイクはまた停まった。トラックのせいで前は見にくいが、どうやら赤信号の間隔が長い信号に引っ掛かっているらしい。

〈問題は、瀬里奈ちゃんの死体があったとして、どうして警察が捜索したのに死体は見つからなかったのか〉

「どうしてなんですか?」

 思わず陽子は訊き返した。

〈考えられる答えは一つ。誰かが彼女の死体を回収したんだ。状況から考えても、犯人は宴会に参加し、瀬里奈ちゃんの死体を見た美術部員か映画研究部員に絞られる〉

「嘘――」

 それ以上陽子は言葉が出なかった。

 信じられなかった。腐らないとはいえ、死体を回収するなど、一体何を考えているのだ。

〈さっきの芽衣ちゃんの話。吉岡くんがタクシーを拾い、瀬里奈ちゃんの家のある方角へと向かったってやつ。この目的は俺の推測も入るけど、こういうことだろうね〉

 そこで愛流は、一呼吸の間を置いた。

〈三か月前の飲み会の後、駅で解散してからみんながそれぞれ帰ったのを確認すると、吉岡くんはタクシーに乗り込んだ。瀬里奈ちゃんが乗ったバスが動き出すよりも先に。そして彼女の家から一番近いバス停の辺りで降りて、瀬里奈ちゃんを待った。彼女の帰路のパターンについて、もしかしたら彼は以前から尾行してわかっていたのかもしれない。だから瀬里奈ちゃんよりも先回りすることができた〉

「何のためにですか?」

〈おそらく告白だろうね〉

「告白、ですか?」

 陽子は疑問を率直に口にした。

 告白することが、なぜ殺人につながるのか。そもそも瀬里奈には、米田という彼氏がいるではないか。

〈酔った勢いに加えて、これから自分達が上に立つということもあって、態度がちょっと大きくなっていたんだろうね。そして瀬里奈ちゃんがバスから降りるのを確認すると、吉岡くんは告白のタイミングを窺うため、彼女の後を追った。すると瀬里奈ちゃんは、家への近道として、根耳公園に入っていった〉

「あっ!」

 思わず陽子は声を上げた。

 根耳公園の園内は街灯が少なく、夜になると光が当たらない場所が多いという。

 人目を憚らずに告白するには、いささか気味が悪い気もするが、適しているように思えた。

〈そして吉岡くんは瀬里奈ちゃんに声をかけ、告白した。だけど当然断られた〉

 愛流の背中に陽子は頷いた。

 恋人がいるのに他の者からの告白にオーケーを出すとは、とても思えなかった。

〈けど吉岡くんも彼氏の存在をわかったうえで告白したんだ。なおのこと食い下がっただろうね。でも瀬里奈ちゃんが首を縦に振ることはない。もしかしたらしつこいとか、拒絶するような言葉を瀬里奈ちゃんが言ったのかもしれない〉

「そんな――」

〈粘着質に言い寄られたら、誰だって鬱陶しいと思うことはあるだろう。そして吉岡くんは怒りに駆られ、瀬里奈ちゃんを殺害した〉

「そういえば愛流さん、瀬里奈さんの当時の服装から殺害された可能性があるって言っていましたよね」

 気付けばバイクは渋滞から抜け、スムーズに走り出していた。そのことを把握するのが遅くなるほど、愛流の推理に意識を傾けていたようだ。

 陽子は走り去る車を眺めながら、昨日の公園での愛流との会話を思い出す。

 あの時愛流は、瀬里奈が飲み会の日に動きにくい服装であったことから、柵を超えて池に向かった可能性は低い、殺害されたのかもしれないと言った。

 陽子もその話に疑問はない。むしろ色々とわかってくるたびに、瀬里奈が殺されたかもしれないという思いが強くなっていった。

〈まぁね。それともう一つ、殺害を疑わせる要因がある〉

 愛流がわずかに振り返った。ヘルメットの下で、愛流が口元に不敵な笑みを浮かべたような気がした。

〈根耳公園の貼り紙のこと、覚えているかい?〉

「貼り紙? あぁ、砂場は人間のトイレじゃないっていう――」

〈そう。あれは瀬里奈ちゃんが首を絞められている時に排泄してしまったものなんじゃないかな〉

「え?」

 あまりに突飛な愛流の発言に、陽子は目を丸くした。

〈首吊りや、首を絞められている時、ドラマでは表現されることは少ないけど、実際は失禁したりするって話は聞いたことないかい? 生きている人間は自律神経を無意識に働かせることによって、尿道括約筋という筋肉を使い、尿の排出を防いでいる。でも死亡したり、意識不明になると、自立神経の緊張はなくなり、尿道括約筋、肛門括約筋、瞳孔括約筋は麻痺し、瞳孔拡大や大小便の失禁が起こる。三か月前に瀬里奈ちゃんがあの公園で殺されたのだとしたら、排泄したのは瀬里奈ちゃんの可能性が十分にあるってわけだ〉

 愛流のこの考えに、陽子はポカンと口を開けるしかなかった。

 清掃員の山田が言うには、その貼り紙が貼られたのは三か月前だという。確かに時期は被っているが――

「さすがに、たまたまじゃありませんか?」

〈それだけだったら、そういう偶然もあるかもしれない。さらなる問題は、場所だ〉

「場所?」

〈疑問には思わなかったかい? 女の子とはいえ、人一人を柵で囲われた池にどうやって棄てたのか〉

 陽子は思わず息を呑みこんだ。

 確かに死んだ人間を池に棄てるにしても、柵に覆われているのでは持ち上げるのも大変だ。ましてや、手足は石を巻き付けたロープで縛られていた。それを明かりもままならない状況で行ったとは考えにくい。

「一体、どういうことなんですか?」

〈殺害後の流れはこうだろうね。まず吉岡くんは、近くの石とかを拾って防災倉庫に取り付けられた南京錠を壊した。そして倉庫の中に入った〉

「そういえば山田さんもそのことで怒っていましたね」

〈そう。そして南京錠が壊されたのが三か月前であることも確認している〉

 思い返すと、確かに愛流は山田が陽子に怒りを向けるよう仕向けた時「三か月前」という言葉を口にしていた。

「でも、どうして三か月前だとわかったんです?」

〈使い古した物にしては、あまり錆びついていなかった。つい最近変えたものだったんじゃないかと疑ったんだ。そして、それはあの柵の門に取り付けられたものにしても同じだった〉

 池を囲う柵の一か所に、確かに内側に入れる金具がついた門があった。そして閂部分には南京錠が掛けられており、場所も遊具が集まっていたところ、あの貼り紙が貼られていた街灯の近くだ。

「倉庫に侵入した理由は?」

〈手押しの一輪車とロープさ。後は、ロープカッターも。それらを取ると、まず吉岡くんは瀬里奈ちゃんの服を脱がせた。そしてロープを短く切って四本にし、石を巻き付けてから手首に縛った〉

「暗い中で、そんなことできますか?」

〈スマートフォンのライト機能を使えば、一応可能ではあったはずだ。仮にスマートフォンのバッテリーがなかったとしても、あの倉庫には懐中電灯があった。いずれか、あるいは両方を使って作業をしたんだろうね〉

 よくそこまで見ているなと陽子は感心した。

 陽子を利用して倉庫の中を確認したのは、そういった物があるかを確認するためだったのだろう。

〈そして作業を終えた吉岡くんは手押しの一輪車に瀬里奈ちゃんを乗せて運んだ。柵の門にかけられた南京錠を倉庫の時と同じように壊して開き、池に棄てたというわけだ〉

「そして三か月後、宴会の後に瀬里奈さんの死体を回収した」

〈おそらく智くんが隠蔽を提案し、解散となったすぐ後だろうね。時間を置けば置くほど誰かがこのことを他言するリスクは高まるし〉

 現に櫂入は一度通報している。吉岡の懸念も最もだろう。

〈瀬里奈ちゃんの死体は、たぶん吉岡くんのアパートの部屋に置いている。人の目を気にすることがないと言う意味では、一人暮らしは非常に都合が良い〉

 愛流の言葉を聞き、反射的に陽子は想像してしまった。

 アパートの畳の部屋。その中央に、全裸で寝ている美しい女性。しかし人形同然であり、動く気配はない。そこに同じく全裸で静かに忍び寄る、吉岡のずんぐりした姿――

 そこまで考えて、陽子は背筋が冷たくなり、恐怖から身震いした。

「けど、もしアパートに置いていなかったら、どうするんですか?」

 今の想像を掻き消す意味も込めて、陽子は質問した。

〈その時は吉岡くんに問いただすけどね。アパートにあるだろうっていう推理には、もう一つ根拠がある〉

「それって何です?」

〈陽子ちゃん。相手の言っていることが本心か否か。確認する時は、顔の左側に注目することだよ〉

「え?」

 急に何を言われたのかわからず、陽子は戸惑いの声を上げた。

〈脳は左側と右側で役割が違うっていう話は聞いたことがあるかい? 左脳が人間の思考する働きを担当しているのに対し、右脳は人の感情部分を担っている。そして右脳から伸びた神経は顔の左側と繋がっているんだ〉

「つまり?」

〈つまり、人の本心は右脳と直結している顔の左側に現れやすいってわけ〉

 はぁ、と陽子は頷くも、自分でも反応がイマイチなのがわかる。結局愛流は、何を伝えたいのだろう。

「あっ!」

 そこまで陽子が考えた瞬間、思い出したことがあった。

 ファーストフード店を出る少し前だ。絵画や美術品を手にできるチャンスがあったらどうすると愛流が質問した時、吉岡の左頬が痙攣したように見えた。

「あの時!」

〈そう。吉岡くんはそんな機会が来てもビビッて手を出せないだろうと言った。けどそれは嘘の可能性がある。今までは怪しまれないようにとなるべく本当のことを言うようにしていたんだろうけど、この時は彼自身が隠していることに大きく関わることだったから、嘘を吐くことにしたのかもしれない〉

陽子でも今ようやく思い出したわずかな仕草を、愛流は一切見逃さず、さらに先に進んだ推理も組み立てていた。

愛流の洞察力に陽子は改めて舌を巻いた。

〈池に沈めたのは、死蠟化を狙ってのことだろう。倉庫の中には、シャベルもあった。死体が見つからないことが一番の目的なら、単に池に沈めるよりも、土の中に埋めた方が見つかる可能性は低い〉

「でも、死蠟化って世間一般にはあまり知られていないんですよね」

〈陽子ちゃん、肝心なことを忘れている。吉岡くんの父親は、死体を取り扱う監察医だ〉

 そこで陽子はまたあっと声を上げた。

 愛流の見解では、死蠟化を知る人物の多くは、死体に関する知識がある者か、ミステリーを好む人間だということだ。

 親が監察医なら、吉岡が何らかのタイミングで死蠟化を知った可能性は十分にあるということだろう。

「でも、単に掘るのが手間だから池に遺棄したと言う可能性は?」

 否定的かもしれないとは思いつつ、陽子は反論した。ここまでくれば、疑問に思ったことは可能な限り排除したい。

〈わざわざ服を脱がせ、石を巻き付けたロープで手足を縛り、倉庫だけじゃなくて柵門の南京錠まで壊したのに?〉

 なるほど。こう聞くと陽子もぐぅの音も出ない。

 しかしまだ疑問は残る。

「どうやって回収したんですか? 車を使ったにしても、吉岡さんが持っているかどうかという問題がありますし」

〈カーシェアだよ〉

「カーシェア?」

〈専用のアプリもしくはサイトに会員登録することで、店頭で手続きをすることなく車を借りられる、レンタカーみたいなものさ。吉岡くんはこれを使って瀬里奈ちゃんの死体を回収したんだろうね〉

「でも、その日は宴会があったんですよ」

 吉岡は飲酒運転も行っていたということだろうか。だとしたら、警察が検問などで吉岡を引き止めて呑んでいるかの確認をした場合、一発でアウトだ。

 しかし愛流はその心配をしていなかった。わずかに後ろを向く。ヘルメット越しに、愛流がニヤリと笑ったような気がした。

〈陽子ちゃん、また忘れているよ。吉岡くんは下戸なんだ〉

「そうでした」

 そのことを思い出し、陽子はばつが悪くなって下を向く。自分の記憶力の低さが恥ずかしい。

 確かに昨日、部室で話を聞いている時、吉岡自らが下戸だと言っていた。

「つまり、十日前も吉岡さんは吞んでいなかった――」

〈そういうこと。もちろん瀬里奈ちゃんの死体を回収しているところを見られないか、あるいは車の中を覗かれてもバレないように細心の注意をはらったりと、リスクがあることに変わりはないけれど、飲酒運転の問題はそもそもない〉

 陽子は改めて愛流の頭脳に感服した。よくそこまで推理を構築できるものだと、皮肉などなしにすごいと思う。

 しかし――

「愛流さんは、いつから吉岡さんを疑っていたんですか?」

 頭に浮かんだ疑問を、陽子は率直に訊ねた。愛流が被るヘルメットのシールド部分が、太陽の光を反射してキラリと光る。

〈昨日からさ〉

「昨日?」

 陽子は驚き、ヘルメットの内側で目を丸くした。

 吉岡が昨日の時点で何か犯人だと臭わせるようなことをしただろうか。

〈覚えているかい? 部室を出て、芽衣ちゃんがいる食堂に向かう少し前だ。吉岡くんはこう言った。自分は瀬里奈ちゃんとは個人的に仲が良かったわけじゃなったけど、一年生同士は夢見市駅前のラーメン店やカフェに行ったりと、仲が良かったって〉

「それがどうかしたんですか?」

 聞いた感じだと、特におかしなところがあるようには思えない。にも関わらず、スピーカーからため息が流れてくる。まるで出来の悪い子供に勉強を教える先生か親のようだ。

 しかしそのような態度を取られても、わからないものはわからない。

〈具体的過ぎるんだよ〉

「具体的、ですか?」

〈そう。瀬里奈ちゃんと仲が良かったわけじゃない。部室内の空気も悪い。それなのに、どうして友達とどこに行ったのか、例をあげることができるんだい?〉

 その瞬間、陽子はハンマーで頭を殴られたかのような衝撃を受ける。それほど愛流の言ったことに驚いたのだ。

 愛流が指摘したことで思い返すと、確かに妙に詳しい。なぜ吉岡は、瀬里奈が芽衣や櫂入とどこに行くかまで知っていたのか。

〈まぁ、さすがにその時は殺人犯だと思っていたわけじゃなかったけれどね。瀬里奈ちゃんにストーカー紛いのことをしているのかもしれないと、疑う程度だった――まぁ、とりあえず吉岡くんの部屋に瀬里奈ちゃんの死体があれば、死体を回収した罪は確実なものとなるってわけ〉

 愛流の言葉に、陽子は頷いた。

 いずれにせよ、吉岡の住むアパートに行かねばならないということだ。

 

                                   (続)

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