page19「清掃員」
〇
雲一つない青空から降ってくる日光を浴びながら、愛流達の乗るバイクは根耳公園へと向かう道路を走っていた。
川が側を流れている影響からか、風が吹いている。陽子はそれをVネックの黒いセーターとジーンズ越しに感じていた。
冷たくはあるが、特別寒いということはない。むしろ心地よさを陽子は覚えていた。
愛流が指定した時間通りに私生活に着くなり、愛流にヘルメットを渡された。
ライダースジャケットは今日は着ておらず、白いシャツの下に赤と白のボーダーTシャツ、紺色のスキニーに黒いブーツという出で立ちだった。
そんな愛流は、陽子に十分な説明をすることもなく、バイクに乗るよう促した。
しかし不思議と、そのことに不満はなかった。
陽子は愛流の腰を摑んでいる両手から右手を離した。そして今日は忘れずに身に着けたマフラーの先端を摑む。
そうこうしているうちに、バイクは根耳公園の駐車場に到着した。昨日と同じ駐車スペースに停めると、愛流と陽子はヘルメットをバイクのホルダーに掛け、園内に入る。
「それで、これからどうするんですか?」
公園を見回しながら陽子は愛流に訊ねた。
調査に同行できることは嬉しいが、具体的に何をするのか、聞かされていない。
「まぁ、陽子ちゃんが帰ってから少し調べたんだけどね」
言いながら愛流も公園を見回していた。
「自治会から派遣される清掃員が、朝の九時にここに来て掃除を始めるらしいんだよ」
「つまり、その清掃の人に話を聞こうってわけですね」
「そういうこと」
言い終わると同時に、愛流は回していた首を止めた。陽子はその視線の先を追う。
草むらの中に置かれた防災倉庫の前に、灰色の作業着を着た男が立っていた。倉庫の中からほうきを取りだしているところだ。
「ちょっと、そこのおっちゃん」
愛流が男に近づいた。
振り返った男は痩せた体型をしていた。顔はらっきょうのように細長く、黒縁メガネのレンズからは、神経質そうな目がこちらを睨んでいる。
作業着の胸に名札が取り付けられていたので、陽子はそちらに目をやった。『山田直樹(やまだなおき)』と書かれている。
「何だ?」
山田が不機嫌そうに睨んできた。陽子は怯み一歩下がってしまうが、それとは反対に愛流はヘラヘラと笑いながら歩み寄った。
「朝からご苦労様。訊きたいことがあるのさ」
「訊きたいこと?」
「そう。あそこに遊具があるでしょ? あそこの街灯に貼られた紙のことなんだけど」
言いながら愛流は、遊具が集まっている方向を指さした。
「あそこの貼り紙にさ、砂場は人間のトイレじゃないって書かれてたけど、あれって書かれている通り、砂場をトイレ代わりに使った人間がいるってこと?」
「あぁ」
「いつ頃?」
「去年の十二月だ」
つまり今から三か月前ということになる。瀬里奈が失踪した時期と一致する。
なぜ愛流がその貼り紙を気にしているのか陽子にはわからなかった。もしかしたら何らかの繋がりを既に見出しているのかもしれない。
「ちなみに、大、小、どっち?」
「大の方だよ」
「なるほど。つまりあそこで、誰かが大便したってわけだ。犬の糞ってわけじゃないよね」
「俺も最初はそうかと思ったよ。でも臭いや大きさに違和感があった。俺も犬を飼っているが、全く違う。それに、過去にホームレスのおっさんが茂みで野糞をしたことがあったからな。警察呼んで、それから保健所だったかどこだったかの奴が来てよ。調べたら人間のものだったってわけだ」
「そっか。それであの貼り紙をね」
言いながら愛流は顎を撫でた。
「警察で思い出したけど、少し前にここの池を捜索したらしいね。確か、池に死体が沈められているかもしれないからって」
「あぁ、あれか。まぁガセだったらしいが、こっちとしてはその日の仕事ができなくていい迷惑だったぜ――あんた、警察の人間か?」
山田が粘着質な目で愛流を睨みつけてきた。
まずいと陽子は思った。
さすがに怪しまれている。妙なことを質問しているのだ。違和感を持たない方がおかしいかもしれない。
しかし愛流は何者か名乗ろうとしない。不敵な笑みを浮かべると「それよりもさ」と側に建っている防災倉庫を見上げる。
「ここの倉庫の中、詳しく見せてもらうことってできる?」
「どうしてだ? まさか、お前らがやったのか?」
山田の目がさらに細められた。
どうやらさらに警戒心を強めたようだ。しかし「やった」とは一体何のことだろう。
陽子は隣をチラリと見た。愛流がどうするつもりなのか気になったのだ。
愛流はまずいと思った様子すらない。むしろ意味深長に笑っている。
陽子はひどく嫌な予感がした。
「もしかして、南京錠のことかな?」
惚けたように愛流は言ってみせた。その途端、山田のらっきょうのような顔が、一瞬にして真っ赤になる。
地雷を踏んだ。頭の鈍い陽子でも、それだけはハッキリと感じ取ることができた。
「やっぱりお前らか!」
山田が唾を飛ばして怒鳴った。眼鏡が傾いたが、気にする様子はない。
まるで石にされてしまったかのように、陽子はその場で固まってしまった。
どうすればいいのかわからない。助け船を求め、愛流に目をやった。
しかし隣にいるはずの愛流の姿が、いつの間にか消えていた。かと思うと、軽く背中を押される。
「俺の妹が、本当に申し訳ないことをしました」
背後から愛流の声が飛んできた。それよりも彼が放った言葉に、陽子はパニックになる。
誰が妹だ。愛流は一体、何に謝っている。
「三か月前、大学受験で溜まっていたストレスが爆発したみたいでね。鬱憤を晴らすために南京錠二つを壊してしまったみたいなんだ。それを、兄である俺に今朝になってようやく告白し、謝らせに来たというわけなんだよ」
いつもの飄々とした態度から打って変わり、熱っぽく愛流は語っている。
愛流の言っていることは何もかも嘘だ。しかしその意図は察した。
南京錠が何のことかはわからないが、山田が怒っている原因を愛流は知っている。そしてそれを利用し、陽子に濡れ衣を着せようというわけだ。
陽子は慌てて弁解の言葉を口にしようとした。しかし山田の怒りの叫び声の方が早かった。
「何を考えてるんだ、このクソガキが!」
案の定、山田が陽子に向かって怒鳴り散らした。
「これ、器物損壊だぞ。わかってんのか、犯罪だ犯罪! ったく、近頃の若いやつは法律もわからないのかよ。俺らの頃は――」
山田の怒りの言葉は湧き水のように出てきた。いつの間にかそれは現代に生きる若者への不満から会社を定年退職するまでの自分の功績に変わり、また目の前にいる「クソガキ」への怒りに戻る。
その間、陽子は泣きたいのを我慢しながら「はい」と「ごめんなさい」の二言を繰り返すしかなかった。
「次やったら、問答無用で警察に突き出すからな!」
ようやく山田の怒りは収まったらしい。というよりも、吐き出したいことを吐き出しつくしたと言ったところか。いずれにしろ、清掃員はいつの間にか地面に置いていたほうきを手に取り、肩を怒らせて去っていった。
どっと疲労感が押し寄せた。その時、ピロンという電子音が耳に届く。そして陽子の肩にポンと何かが置かれた。
振り返ると、愛流が馬鹿にするような笑みを浮かべながら陽子を見下ろしていた。
「お疲れさ――」
愛流が言い終わるよりも早く、陽子はそのみぞおちを殴ろうとした。しかしすんでのところで軽く受け止められてしまう。
「落ち着きなよ」
「うるさい! 一発殴らせてください」
「暴力的だな」
陽子の拳を握りながら、愛流が肩をすくめて見せた。その態度が陽子の神経を逆なでする。
「誰のせいでこうなったと思ってるんですか!」
「それよりも、君はいい仕事をしてくれたよ」
陽子の言葉を受け流し、愛流は手に持つスマートフォンのディスプレイを見せてきた。何かの動画らしい。物が置かれた棚に被る形で、横矢印のマークが浮かんでいる。
怒りはまだ収まらないが、一旦は落ち着いた方がいいだろう。そう判断した陽子は愛流に捕まれたままだった拳を振り払い、手の自由を取り戻す。
オーケーと受け取ったのか、愛流は画面の中央に軽く触れて動画を再生する。カメラはゆっくりと左へ向き、中央の棚に戻ったかと思うと、今度は右側を覗いた。
そこで動画は停止した。
十秒にも満たない、短い動画だった。何より陽子には意味がわからない。
映ったものは、棚とその上に置かれたヘルメットや消火器、折りたたまれたブルーシートや立てかけられた手押しの一輪車、丸められたロープに「木炭」と書かれた段ボール箱、赤い三角コーンといったものだった。
「何ですか、これは?」
「倉庫の中。陽子ちゃんがあの山田っておっちゃんに怒られている間に撮影しといた」
愛流が自慢げに倉庫の壁をノックした。
つまり陽子は、その倉庫を撮影するためのスケープゴートとして利用されたというわけだ。
「どうしてカメラじゃなくて動画なんですか?」
「カメラだとシャッターを切る音で気付かれるかもしれないだろ。動画機能を起動するのだって、タイミングを見計らったんだぜ?」
そう言いながらも愛流の顔は得意げだった。
先ほど聞こえた電子音は、動画撮影を終了した音だったというわけだ。
確かに愛流の言う通り、何度もシャッターを切ろうものなら、音で山田にわかっただろう。しかし――
「動画撮影でもバレるリスクは十分ありそうなのに、よく上手くいきましたね」
「山田のおっちゃん、見るからに頭に血が上って周囲が見えなくなりそうなタイプだったからね。目の前にぶちぎれる対象を用意すればいけるだろうって思ったのさ。まぁもし倉庫に入っていることがバレたとしても、物を落としたとか言って言い逃れしてたけど」
狡猾な笑みを愛流は見せる。本当に大胆な男だと、逆に陽子は感心してしまった。
「さて」
そう言って愛流が歩き出した。陽子は慌ててその背中を追う。
「どこに行くんですか?」
「神野先生のところだよ。昨日電話の後に言ったろ?」
そう言われて、陽子は思い出した。
確かに今日、神野と会う約束をしたと愛流は言っていた。
「この公園から近いんでしたっけ?」
「みたいだよ。あぁ、それと陽子ちゃん」
歩きながら愛流が振り返った。
「瀬里奈ちゃんが死んでいるかもしれないこと、神野先生には言わないでおこう」
「どうしてですか?」
思わず陽子は大きな声を出してしまった。
確かに神野にとって、娘の死を知らされるのはつらいかもしれない。しかしそれは黙っていれば良いという問題ではないような気がした。
「今のところ、瀬里奈ちゃんが死んだという証拠は何もない。あくまでその可能性があるという段階に過ぎないんだ」
「でも、じゃあ櫂入さんと芽衣さんの話は? 警察だって、実際にこの池を捜索したんですよ?」
「でも死体は出てこなかった。もちろん、あの二人の話を疑っているわけじゃない。ただ証拠があるわけでもない。瀬里奈ちゃんの死は、あくまで二人の言っていることが事実だとするならっていう、仮説に過ぎないんだ」
愛流にそこまで言われて、陽子は不満ながらも黙るしかなかった。
そう、冷静に考えれば、瀬里奈の死体を陽子は見たわけではない。それなのに神野に娘は死んだかもしれないと告げるのは、悪戯に混乱を招くような気がしてきた。
「わかりました」
渋々ながら、陽子は首を縦に振った。愛流は「ありがとう」と呟くように言うと、再び前を向く。
その背中は何を考えているのか。陽子には察することすら難しかった。
(続)
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