page10「隠し事」


   〇


「ウチの部長、瀬里奈に告白してるんです」

「え!」

 予想外の言葉に、思わず陽子は声を上げた。食堂内にはかなり響き、近くにいる学生らが三人の座るテーブルに目を移し、そしてすぐに元の位置へと戻していった。

 一瞬とはいえ、周囲の視線が集まったことに陽子は恥ずかしさを覚え、声を小さくして言葉を続ける。

「それ、本当なんですか」

「本当です。少なくとも私は、瀬里奈本人からその話を聞きました」

「その話、知っている限り教えてもらってもいいかな」

 愛流が肩肘をつき、前のめりな態勢となる。芽衣は首を縦に振ると、一度周囲を見回した後に話し始めた。

「去年の六月か七月ぐらいだったかな。瀬里奈ともう一人、同じ美術部の一年生の三人でご飯食べに行った時なんですけどね。瀬里奈がため息を吐きながら話し始めたんですよ。実は四月末に福智院先輩に告白されたけど断った。それ以降、福智院先輩は明らかに自分を避けるようになったし、目も合わせようとしない。だから美術部の部室にいることに息苦しさを覚えることもあるし、三年生が引退した後はどうなるんだろうって」

「なるほど。フラれて気まずかったから、というよりも、プライドを傷つけられた腹いせ、と言ったところかな」

「絶対そうですよ」

 陽子は憎々し気に言った。先ほどの、鼻にかかるような智のにやけ面が脳裏を過ぎる。

 フラれてショックだったのはわかる。しかしそれを理由に、瀬里奈を陰湿に避けるのは絶対に間違っている。

 陽子は言い知れぬ怒りから、唇の内側を強く噛みしめた。怒りや悔しさを感じた時に出る癖だった。

「ちなみに、吉岡くんも嫌いな理由は?」

 愛流が腕組みをして訊いた。芽衣はため息を吐き、頭を掻く。

「まぁ、さすがに部長ほどではないですけどね。それでも無関心というか、何を考えているかわからないというか――正直、あまり自分から話そうとしないから、嫌いというよりは苦手といったところですね」

 芽衣の話を元に、先ほどの部室での吉岡とのやり取りを陽子は思い起こす。

 確かに愛流の質問にはちゃんと答えていたが、決して自分から多くを語ろうとはしなかった。故に人柄をつかみにくかったというのが正直な感想だ。

「嫌いな部長に苦手な副部長の組み合わせか――思ったんだけど、よくそれで部活を辞めなかったね」

 愛流が前髪をいじりながら訊ねた。芽衣は自嘲気味な笑みを浮かべると「まぁ、そう思いますよね」と呟くように言う。

「実際に考えた、というより、一年生の三人で話したことはありますよ。まとめて退部届を出してやろうかって。けど結局そこまでで、実際に行動に移すようなことはしませんでした」

「どうしてだい?」

「もう知っているとは思いますけど、美術部はすごく人数が少ないんです。引退した三年生もたった二人でしたし。だから退部届を出してもああだこうだと言い訳を並べられて跳ね返されるんじゃないかって。まぁ本当にそんなことがあったら、大学側に訴えればいいんですけどね」

 芽衣の言葉に対し、陽子は決して考え過ぎだとは思えなかった。

 引退した三年生については何とも言えないが、少なくとも智ならそのようなことはやりかねないと、そう思えたのだ。

 しかし芽衣の話はまだ終わっていなかった。「それに」と言って細められた瞳は、どこか寂し気に思えた。

「恐くもあったんですよね」

「恐い?」

 陽子がオウム返しをした。芽衣は静かに首を縦に振る。

「美術部、というより、先輩達は嫌いでしたけどね。でも私を含めた一年生の三人は本当に仲が良かったんですよ。でもその三人が出会えたのはその美術部に入部したからで、そこから離れちゃうと、今までのことがなかったかのようにバラバラになっちゃうんじゃないかなって、そう思って」

 芽衣が寒さを堪えるかのように二の腕をつかんだ。食堂にいる学生達の声が大きく響く。

「少し、自分の話をしてもいいですか。瀬里奈の失踪には何の関係もない話になってしまいますけど」

 震える声で芽衣が訊ねた。見つめてくるその瞳は潤んでいる。

 その様子から、今から芽衣にとって真剣な話が出てくることを、陽子は察することができた。

 チラリと隣に座る愛流の様子を窺う。眉間に皺を寄せ、不機嫌そうな表情をしていた。鈍い陽子でも、愛流が芽衣の話を聞く気はないのだと理解できる。

 確かに調査には関係ないかもしれない。しかし――

「悪いけど――」

「構いません。どうぞ、話してください」

 愛流の言葉に被せる形で、陽子は言った。その途端、芽衣の表情が若干ではあるが明るくなった。反対に愛流は驚いた顔で見つめてくる。そして陽子の肩をつかみ、芽衣に表情を悟らせようとしないかのように無理矢理振り返らせた。

「ちょっと陽子ちゃん、何勝手なこと言ってるの」

 愛流がしかめ面のまま耳打ちしてくる。

「今は調査が最優先だ。女の子の話を聞くのは好きだけど、彼女の自分語りはその後でいい」

「そんな言い方ないじゃないですか。愛流さんだって美術部の活動のこととか、瀬里奈さんの行方不明の件に関係なさそうなこと聞いていましたし」

「あれは外堀を埋めるようなもの。聞きたいこととは関係ないことから質問して、徐々に本題に入っていくのが俺のやり方なの。芽衣ちゃんに関しては、その段階はとっくに過ぎている」

「芽衣さんのあの泣きそうな表情見たでしょ。きっと胸に抱え続けていた、彼女にとって重大なことなんです。あぁは言ってましたけど、もしかしたら瀬里奈さんにも関わってくるかもしれませんよ」

「そうじゃない可能性の方が高いと思うね。俺は――」

「あの!」

 コソコソと話す陽子と愛流の間に、芽衣の声が割り込んできた。二人は同時に視線を戻す。

 長い間話していたわけではないはずだが、芽衣の顔は先ほどよりも憔悴しているように陽子には見えた。

「すみません、変なこと言っちゃって。私、そろそろ美術部に帰りますね」

 そう言って芽衣は立ち上がろうとする。しかしそれを「待って!」と愛流が焦って呼び止めた。

 愛流は迷うように、目を伏せた。そしてため息を吐いた後、芽衣に座るよう促す。芽衣はキョトンとした顔で席に戻った。

「いいよ。話してくれて」

 ため息交じりに愛流が言う。陽子は口元がほころびそうになるが、何とか堪えた。

 ここで笑みを見せれば、愛流が拗ねてしまい、前言撤回するかもしれないと思ったからだ。

「本当に、いいんですか?」

 芽衣が戸惑いながら愛流、陽子という順番に視線を移していく。愛流は金髪の頭を掻きながら「もちろん」と歯を見せて言うが、その目は決して笑っていなかった。

 ――後で色々と文句を言われるかもしれない。

 陽子は芽衣と別れた後の展開を思うと、少し憂鬱になった。しかし後悔は不思議とない。

 目の前で泣きそうになっている人がいるのだ。調査も大切だが、ここで話を聞かなければ、人間として何かを失うに違いない。

 陽子はその思いが、間違っているとは感じられなかった。

 ――それに、あの人ももしかしたら、こうしていたかもしれない。

 脳裏に過ぎる姿に嬉しさを覚え、陽子は背筋を伸ばした。

「私、高校時代にバレーボール部に所属していたんです」

 芽衣が深呼吸をした後に、一拍置いて語り始めた。

「けど高校一年の十二月、練習中に膝をケガしてしまって。それで初めてレギュラーに選ばれた試合に出ることもできなくて。自暴自棄になって当時付き合っていた恋人に八つ当たりして別れを告げられるし、今度は部員にも冷たい態度を取ったりして、もう荒れに荒れてました。で、バレーボール部にいづらくなって退部しちゃったんです。まぁ、自業自得ですよね」

 自嘲するかのように芽衣が目を伏せて笑った。陽子は何と声をかけていいかわからず、沈黙を続けるしかない。

「けどそのことがトラウマとなって、残りの高校生活では人と接することが怖くなり、気付けば周囲と距離を取っていました。でも自分のせいだから、助けを求めることもできなかった――」

 芽衣の頬を、一筋の涙がつたった。目は充血し、丸みのある鼻は赤くなっている。

 ――あぁ、ダメだ。

 陽子は自分もまた涙腺が緩んでいることを感じた。

 しかしここで自分もまた泣き出すことは違う。そしたら芽衣は驚き、自分の話をすることができなくなってしまうかもしれない。

 強引にでも引き出させた話だ。自分には最後まで彼女の話を聞く責任があると、陽子は唇の裏側を噛みしめて、涙を堪える。

「だから嬉しかったんです。美術部で、友達になってくれる二人の同期がいて。最初は同じ講義を受けた人が入部するようだし、何となく文化系の部活をやってみようかなっていう軽い気持ちでしたけど、好きなドラマや漫画の話だったり、レポートが難しいからって愚痴を言ったり、そういう関係性をもう一度築けたのが、私にとっては何よりも救いだった。それなのに、私は――」

 そこで芽衣の言葉が突然途切れた。信じられないといった調子で口を半開きにし、空気を求める魚のように呆けた顔をしている。

 一体どうしたというのか? 陽子が疑問に思い声をかけようとするが、それよりも一足早く芽衣が「ごめんなさい」と目を伏せた。

「私、これ以上は――」

「いや、待ってくれ」

 呼び止めたのは、愛流だった。立ち上がろうとする芽衣の手を素早く握る。先ほどまでの拗ねた態度は消え、鋭い目つきで芽衣を見つめていた。

「何か、隠しているね。本当は瀬里奈ちゃんに関係する、重要なことを」

 愛流が見上げるような姿勢のまま芽衣に問いただした。

 ――一体、何の話をしているの?

 陽子はまた戸惑うしかなかった。

 隠しているとは、一体何のことか。どうして愛流はそう思うのか。陽子にはわからないことばかりだ。

 無意識の内に、陽子は芽衣の顔に視線を移していた。

 芽衣の目が大きく見開かれている。その姿は怯えているかのように見えた。すぐに否定しようとしないことからも、愛流の指摘が間違いでないことがうかがえる。

 だが、芽衣は中々言おうとはしない。視線を泳がせ、口を半開きにしたまま、その場から動けずにいるようだった。

「――わかった、場所を変えよう」

 そう言ってようやく愛流が芽衣の手を離す。そして立ち上がり、テーブルに手を突いた。

「大学以外で話せそうなところはあるかい? 喫茶店でもいいし、どこだって構わない」

「じゃあ、ファミレスでお願いできますか? ここから十五分ぐらい歩くことになりますけど」

「いや、それでいいよ。陽子ちゃんも、大丈夫かい?」

 愛流が覗き込むように陽子の顔を覗き込んできた。陽子は「はい」と頷き、席を立つ。

「ちなみにどこにあるんだい?」

「案内しますので、私について来てください」

 そう言って芽衣が歩き始めた。愛流と陽子は、その背中を追いかける。

 ファミレスに到着した後、芽衣は何を語るのか。陽子にはわからない。

 だからこそ、緊張が再び体を支配し始めていた。


                                   (続)

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