page11「ファミレスにて」


   〇


 大学の食堂を出て十五分後。パスタやドリアといった、イタリア料理を主に提供しているファミレスに到着すると、空いた席に三人は座った。

 注文を聞きに来た店員に、陽子と芽衣はドリンクバーの単品、愛流はそれにレモンシャーベットのセットをそれぞれ頼む。

 陽子と芽衣はコーヒー、愛流がレモンスカッシュをドリンクバーまで取りに行き、席に戻ったところで、タイミングを見計らっていたのか、店員がレモンシャーベットを持ってきた。愛流は舌なめずりすると、デザートスプーンを黄色い球体に差し込む。

 ――どれだけレモンが好きなんだろう。

 隣で美味しそうにシャーベットを口にほおばる愛流の姿を、陽子は半ば呆れる気持ちで見ていた。しかし幸せそうに食べるその姿が妙に可愛らしく思えてしまうから悔しい。

「さて。じゃあそろそろ、さっきの話に戻ろうか」

 芽衣と陽子がそれぞれコーヒーを一口飲む姿を見届けて、愛流が切り出した。途端に、カップをソーサーの上に置いた芽衣の表情が強張る。

 芽衣がどのような秘密を抱えているのか、陽子はわからない。だからこそ彼女の心情を十分に理解することができず、歯がゆかった。

「――わかりました」

 そう言った後も芽衣は周囲を見回したり、深呼吸を繰り返したりした。その姿は苦しんでいるようにも見える。

 ――やはり、無理に話を引き出すべきではないのではないか。

 ここに来て、そのような迷いが陽子の心に生まれた。その思いを伝えようと陽子は「あの」と言おうとするも、口を開いた瞬間に愛流の手が目の前に現れる。

 呆然とした表情で、陽子は隣に座る愛流を見た。黙ってこちらを見つめるだけだが、それでも口を出してはならないという無言のメッセージは伝わってきた。

「陽子さん。大丈夫です」

 芽衣が力強い頷きと共に、そう言った。そして少し間を空けた後「始まりは、十日前の金曜日のことでした」と低いトーンで話し始める。

「お二人は、夢見市内にある根耳公園をご存じですか?」

「根耳公園、ですか?」

 陽子は首を傾げる。初めて聞く名前であるはずだが、妙に頭に引っ掛かる。

「池のある公園だろ。瀬里奈ちゃんの家の近くだ」

 愛流がレモンスカッシュを飲んでから言った。同時に陽子も「あぁ」と声を漏らす。

 食事会の後、瀬里奈がどのような帰路についたか予想するために地図アプリを起動した際、そのような名前の公園も表示されていた。

「そうです。その公園で、美術部と映画研究部の宴会があったんです」

「え、外で、ですか?」

 驚きのあまり、思わず陽子は質問を投げかけた。芽衣は静かに頷く。

「あの公園、街灯が少なくて、騒がしくなければ通りがかりの人にもばれにくいんです。それでウチの大学の隠れた宴会場みたいになっていて。居酒屋に行くよりも、おつまみや缶のお酒の方が、コストを抑えられますし」

「美術部はずいぶんと危ない橋を渡るのが好きなようだね。まぁ、世の大学生はそういうイメージ持たれやすいけどさ」

 愛流が呆れたと言わんばかりの表情で、スプーンですくい取ったシャーベットを口の中に運んだ。

 それは陽子も同感だった。

 騒音ということで通報されてもおかしくない。未成年の飲酒を許可する点といい、なぜそう禁止されたことを平然とできるのか。陽子は理解に苦しむところだった。

 芽衣は困り顔で「本当です」と呟いた。愛流の言葉を不快に感じている様子がないことからも、気持ちはこちらと一緒なのかもしれない。

「福智院部長としても、大学にバレて不利なことはしたくないと思っているみたいなんですけどね。もしかしたら近いうちに、少なくとも美術部の中ではそういうイベントはなくなるかもしれません。まぁ、それだけは私としても応援したいですね」

 芽衣は苦笑しながらコーヒーを一口飲んだ。「脱線しましたね」と言ってから言葉を続ける。

「その宴会で、映画研究部の一人が酔った勢いで、池で泳ぐことを提案したんですよ。美術部にも声をかけたんですけど、うちの男子はそういうの絶対にやりたくないタイプなんで、結局は映画研究部の何人かで池に飛びこむことになったんですよね――それで、あんなことが起きるなんて」

 最後はほとんど独り言のような調子だった。そう感じた陽子は芽衣の目を見て、また驚いてしまう。

 芽衣の日焼けした顔は、いつの間にか青ざめていた。カップをソーサーに置くとき、カタカタという音が陽子の耳に響く。

「何が、起こったんだい?」

 愛流が前のめりになってその先を促した。芽衣は緊張した面持ちで、色素の薄い唇を開いた。

「――したい」

 その言葉を、陽子は瞬時に理解することができなかった。

 したい、したいと言ったのか? したいとはなんだ。何かをやりたいということか。

 ――違う。「死体」と言ったのだ。

 そう理解した瞬間、陽子の背筋に冷たいものが走った。

 聞き間違いだと思いたい。そう祈りながら、陽子は隣に座る愛流に目をやる。だが、陽子の淡い希望はすぐ打ち砕かれることとなった。

 愛流の目が先ほどよりも鋭いものとなっていた。数分前にレモンシャーベットをほおばっていた可愛らしい表情は完全に消え去っている。

「本当、なんだね?」

 慎重な様子で愛流は確認した。芽衣は静かに頷いた後、言葉を続ける。

「その言い出した男子の一人が、飛び込んだ際に何か柔らかいものを踏んだって言うんです。最初はみんな砂だろうと思ってたんですけど、その男子は違うって言い続けていて、陸に上がると映画研究部の一人が手に持っていた懐中電灯を奪い取って、もう一回池の中に飛び込んだんです。すると――」

「踏んだものの正体は死体だったってわけか」

 愛流が静かに言った。芽衣はそれ以上言葉が出てこないらしく、黙って頷いた。

 夜の公園に現れた死体――想像するだけでゾッとする。陽子は強い寒気を感じていた。

「その映画研究部の男子、パニックになって溺れそうになったんです。そして助け上げられた後、人が沈んでいたって騒いで。映画研究部の部長とウチの福智院部長が二人がかりで池に潜ることになって、で、二人が引き上げたものが本当に死体だったんです。服は着ていなくて、手首と足首は錘の代わりなのか、大きな石を巻き付けたロープで縛られていました。もう騒音問題とかどうでもよくなって、みんな悲鳴を上げたり腰抜かしたり。まぁ、私も近くの木にしがみついちゃって、人のこと言えなかったんですけど」

 自嘲気味に芽衣が笑う。まるで生気を感じさせない笑みだ。

 無理もないと、陽子は思う。池から出てきたのが死体だったのだ。それで平然としていられる方がどうかしているし、もし陽子もその場にいたならば、気絶していたかもしれない。

「ちなみにその死体が誰だったか、当てようか?」

 愛流が人差し指を突き出して言った。そして芽衣の返答を待つこともなく、言葉を続ける。

「君達が発見した死体――それは、神野瀬里奈ちゃんだろ?」

 店内のざわめきが、聞こえなくなった。しかしそれはほんの一瞬のことで、すぐに聴覚が正常に戻る。

 だが、それだけ愛流の言ったことは衝撃的であり、同時に信じられないものだった。

「何を、言っているんですか」

 頭が鈍くなるのを感じながらも、陽子はそう訊かずにはいられなかった。

 探していた女性が、既に死んでいる。そんなこと、あるわけがない。

 ――本当にそうか?

 頭に過ぎったその言葉が、陽子の脳をさらに混乱させた。

 三か月も行方不明である時点で、死亡している可能性は非常に高い。ただ死んでいると思いたくないから、目を背けようとしていただけだ。

 そのことを自覚した瞬間、陽子の心には自己嫌悪の黒い雲が生まれた。自分は何と、愚かな人間なのだろう。

 そして愛流の言葉は、やはり正しかったらしい。芽衣の震えは目に見えて激しくなっていた。再び涙が溢れ、テーブルに落ちる。何人かの客がこちらを見ていたが、当惑した陽子はただ黙って座っているしかなかった。

「――どうしたらいいか、わからなかった」

 やがて、芽衣が嗚咽交じりに言った。顔が下を向いているために鼻水が垂れ、首元や手が赤くなっている。

「ずっと、ずっと気になっていた瀬里奈が、池から出てきて、私は、その時考えることもできず、ただ驚くだけで、ショックとかそういう感情も生まれてこなかった――」

 芽衣が両手で顔を覆う。陽子はその姿がつらくて思わず席を立ち、芽衣の隣に座った。そしてその肩を抱きしめる。

「芽衣さん――」

 陽子はそれ以上の言葉が出てこない。

 何を言っていいかわからなかった。

 突然死体を見ることになったのだ。パニックになり、どのようにすればいいかわからなくなるのは、仕方がない。

「それで、瀬里奈ちゃんの死体が出てきて、その後何が起こったんだい」

 愛流は淡々とした調子で言った。その冷たさが信じられず、陽子は愛流を睨みつける。

 愛流の表情は、冷めきったものだった。芽衣の涙にも感情が揺れ動いた様子は一切なく、見透かすように真っ直ぐ見つめ続けている。

「愛流さん。芽衣さんは今、話せる状態じゃないんです。ちょっと待ってあげてもいいじゃないですか」

「陽子ちゃん、何を甘いことを言っているんだい」

 愛流が鼻で笑う。その目は軽蔑するかのように細められていた。

「公園の池から死体が出てきた。けどそんな報道は流れていない。それがつまり、どういうことかわかるだろ?」

 その瞬間、芽衣の体の震えが止まった。陽子は心配になり、その顔を覗き込む。

 芽衣の顔は、まだ青かった。空気を求める魚のように、何度も口を開けたり閉めたりと繰り返している。

 しかしその理由は、愛流の言葉を最後まで聞かなくても、陽子にはわかった。

「まさか――」

「もう一度池に沈めた。それ以外には考えられない」


                                   (続)

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