page17「彼女は――」
〇
愛流と陽子を乗せたバイクは、河原沿いの狭い道路を走っていた。
日光を反射し、河原の水が光って見える。タンデムシートに座りながら、陽子はその美しさに見とれていた。いや、見とれざるを得なかった。
正面に顔を向けることができないのだ。あるはずがないのだが、今視線を前に向けると、愛流の背中から黒いオーラのようなものが見えてしまう気がしてならない。
店を出た後、すぐに陽子は駐車スペースへと向かった。案の定、愛流はバイクのエンジンをかけているところであり、あと十秒でも出遅れていれば置いていかれていただろう。その証拠に、愛流は陽子が現れるなり「なんで?」と言って驚いていた。陽子はそれに構うことなく、ヘルメットを被ってタンデムシートに跨ったという次第だ。
それからずっと、愛流は不機嫌なままだ。インカムの接続は繋がっているはずなのに、一言も言葉を発しようとしない。また陽子も、何を言っていいかわからず、重い沈黙がバイクの上で流れていた。
なぜ愛流は急に陽子を外そうとしたのか。そのことを改めて訊きたいと思っていたが、この空気では難しい。
陽子はため息を吐いた。その間にバイクは信号を通り過ぎ、斜め右に現れた道に入っていく。
道路の右側には緑の葉をつけた木々が生い茂っており、思わず陽子は「おぉ」と感嘆の声を上げた。
それからすぐに自動車十台は停まれるであろう駐車場が現れる。バイクはそこに入っていくと、白線で作られた駐車スペースの一つに入り、停止した。
タンデムシートから降り、ヘルメットを足場の側にあるホルダーに掛けると、陽子達は近くにある細い道から公園へと入っていった。
最初に視界に入ってきたのは、池だった。
地図アプリで大まかにはイメージしていたが、実際に目にすると想像以上に大きかった。中心には人工的に造ったと思われる島があり、カモメよりやや小さい、白い羽毛の鳥が群れ集まっていた。
そしてこの池を囲うように、周囲には散歩コースと、池から少し上がったところに木製の柵が設けられている。
「キレイ」
「死体が沈められていたかもしれないけどね」
陽子の感嘆の声は、愛流のぶっきらぼうな一言でかき消されてしまった。
――ひねくれ者。
心の内で陽子は舌を出す。
ようやく話したと思ったら、第一声がこれだ。ナンパはするのに、乙女心というものを理解できていない。
しかしそう言った陽子の心情を愛流が気に留めるはずもなかった。
スマートフォンを取りだし、愛流は周囲を撮影していく。そうしながら「なるほどね」と呟いた。
「どうしたんですか?」
不満を胸に隠し、陽子は訊ねた。愛流は雑草が生えているのも気にせずに、柵の前まで歩いてからしゃがんだ。
柵は身長の高い愛流の胸の高さまであった。子供が入り込まないようにするためか、隙間は細い陽子の腕をギリギリ通せるかどうかという幅だ。
また、愛流の前にある柵の隣は、他とは違っていた。池に入るための門らしく、中心は割れ、その周囲には金具が取り付けられていた。そして閂部分には南京錠が掛けられており、簡単に開けられないことがわかる。
「やっぱり、そうなるか――」
愛流が独り言を呟いた。しかし陽子はその意味がわからず「やっぱり?」と首を傾げる。
「一体、何がやっぱりなんですか?」
しかし愛流は答えようとしない。視線を移したかと思うと、少しの間、動きを止めてからまた歩き出した。
――何か言いなさいよ!
不満に思いながらも、陽子は後をついて行った。そうするしかなかったからだ。
愛流が目指しているのは、遊具のあるスペースだった。錆びたブランコや赤、青、黄色の三色に塗装された滑り台などがある。
その中心にある街灯の前で愛流は立ち止まった。食い入るような目で、街灯に貼り付けられた紙を見る。
そこには手書きでデカデカと次のように書かれていた。
『砂場は人間のトイレではありません。警察には既に通報済みです』
「これって、どういうことですか?」
思わず陽子は愛流に問うた。
外国語で書かれているわけではない。書かれた字も特別読みにくいというわけでもなかった。ただその内容が、陽子にはあまりにも理解できないものなのだ。
「書いてある通りの意味さ。きっとね」
素っ気なく言った後、愛流は回れ右をすると、またスマートフォンを持って歩き出す。
「ちょっと」
慌てて陽子は駆け出した。すぐに追いつくが愛流は振り返りもせず、カメラ機能を使って撮影を再開した。
「何してるんですか?」
「根耳公園がどういうところか、写真を撮っておこうと思ってね。考える時に参考になるかもしれない」
「そうですか――ちなみに、何かわかりましたか?」
陽子は愛流の隣に立ち、その顔を覗き込んだ。愛流はスマートフォンのディスプレイから目を離さずに「うーん」と唸る。
「わかったというより、俺が考えていた可能性の一つが、一気に低くなったってところかな?」
「一気に、低くなった?」
陽子は首を傾げた。愛流は歩きながら、説明を続ける。
「俺、夢見市には子供の頃からずっと住んでるけど、この根耳公園には来た事なかったんだよね。だからネットに上がっている画像でしか見たことがなかったっていうか」
「はぁ」
「ここに来るまで、ある一つの可能性を考えていた。芽衣ちゃんや櫂入くんが証言したことの裏付けはできていないけど、それが事実だと仮定すると、瀬里奈ちゃんは事故として池に落ちてしまったんじゃないかって」
「事故、ですか」
「そう。三か月前、酔っていた瀬里奈ちゃんはこの公園に来た。ここを通ると家への近道になるって神野先生も言ってたしね。ふらつく足つきで池の側を歩いていたけど、足を滑らせて落ちてしまった。そして溺れるか、頭を打ってしまったかで死んだ」
「でも――」
言いかけて陽子は柵を見つめた。何を言いたいのか察したらしく「そう」と愛流が言葉を続ける。
「池の周りには柵がある。つまり簡単には池に入れないってわけだ」
「けど、瀬里奈さんはその日酔っていたんですよね。柵を上って、池の側に行くということも」
「芽衣ちゃんに見せてもらった、瀬里奈ちゃんの写真覚えてる?」
愛流がやや強めな口調で言った。しかし陽子は戸惑い、首を傾げるしかない。
「瀬里奈ちゃんが失踪した日に撮ったという写真だよ。あの時、彼女はロングスカートにブーツという恰好だった」
「それがどうかしたんですか?」
愛流が何を言いたいのかわからず、陽子は訊ねることしかできなかった。愛流は出来の悪い子を相手にするように首を横に振ると、人差し指を青空に向けて突き出す。
「つまり、動きにくい恰好だったっていうわけだ。にも関わらず、そこそこの高さがある柵を上ろうとした。酔っていたとはいえ、そんな手間をしてまで柵を乗り越えようとしたとは、俺には考えにくい」
愛流が話し終えるなり、陽子は納得して何度も首を縦に振った。
酩酊状態になった時の感覚が、お酒を呑んだことのない陽子にはわからない。しかし理性的に動けていないからこそ、そのような面倒をしたとは、陽子としても可能性が低いように思えた。
しかし――
「それじゃあ、どうして瀬里奈さんは池に――」
「あまり考えたくはないけど、もう一つの可能性が大きくなってきた。っていうより、最初からそれしか考えられなかったんだ」
そう言って愛流は立ち止まった。柵に手を突いてしゃがみ込み、静かに池を見つめる。
「櫂入くんや芽衣ちゃん達が発見した時、瀬里奈ちゃんは裸で、手足には石を括ったロープが巻かれていた。瀬里奈ちゃんじゃない、他の人間がいないと、脱がせることもロープを巻くことも不可能だ。このことを俺は忘れていた。というより、過去に仕事で関わった女の子がそうなっているなんて、思いたくなかったんだ。私情が入ったか、クソ」
口元を抑えながら愛流は独り言のように語る。その言葉と瞳は、悲しみを帯びているように陽子には感じられた。
そして、愛流が次に放った一言にも。
「瀬里奈ちゃんは、殺されたんだ」
(続)
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