page8「好き?」


   〇


 愛流が振り返った。その視線を陽子は追うと、椅子に座りながらテーブルに肘を突き、こちらを観察するように眺めている吉岡がいた。

「さて。じゃあ次は、君の話を聞かせてもらおうかな」

「いいですよ。たぶんそういう流れだろうと思っていました」

 吉岡が深く座り直した後、愛流と陽子にパイプ椅子を勧める。座ると同時に、愛流が口を開いた。

「まず確認なんだけど、吉岡くんは美術部の副部長ということで間違いない?」

「ええ。そうです」

 吉岡は首を縦に振った。表情の変化は乏しいが、ここまで案内してくれたりと、協力的ではあった。

 ――さっきの智のように、瀬里奈さんを侮辱するようなことはないかもしれない。

 陽子は淡い期待を胸に秘めながら、愛流の質問に耳を傾けた。

「部長や副部長はどんな役割なんだい?」

「そうですねぇ。まず部長は部員の意見だったり行動だったりをまとめるのはもちろんですが、その他にも活動の申請とか、そういう書類を書いて提出したり、月に一回の、各部活の部長が集まるミーティングに参加したりするのが主ですね。対して副部長は、合宿があれば旅行代理店と交渉して場所を探したり、活動後の飲み会を開くとなればお店を探したり、幹事のようなことをしたりしますかね。まぁ俺は下戸なんで酒飲めないですし、そういう意味でも幹事は適役だと自分でも思います」

「なるほどね。じゃあ瀬里奈ちゃんが行方不明になった日の食事会も?」

「ええ。俺が幹事でした」

 吉岡の表情に影が差した。何らかの責任を感じているのかもしれないと、陽子は思った。

「場所はここで間違いないかい?」

 愛流はスマートフォンを手に持つと画面を操作し、地図アプリを起動させたディスプレイを吉岡に見せた。下側には店の名前と住所、営業時間といった細かな情報や写真が表示されている。

「そうです、ここです」

「その時の瀬里奈ちゃんの様子はどうだった?」

「どうって――」

 この時、吉岡は初めて答えにくそうに言葉を濁した。目は愛流と陽子を通り越し、部屋の奥にあるソファに腰掛ける智に向いている。

 陽子はこの反応がどういう意味かわからず、何度も瞬きした。しかし愛流は違い「大丈夫」と軽く笑って見せる。

「俺達は別に君から聞いた話を脅すようなことに使うつもりはない。ただ瀬里奈ちゃんを見つけるために色んな情報を把握しときたいんだ。それ以外に利用はしないと、約束するよ」

「わかりました。じゃあ――」

 そう言った後も、吉岡は完全に警戒心が解けたわけではないらしく、部室の扉を見たり、周囲に目を配ったりした。そして声を小さくして、話し始める。

「その時の神野、結構酔っていましたね」

「酔ってた、ね。どれくらい呑んでいたか覚えてる?」

「四杯はいっていたと思います。ハイボールやウイスキーのロック――」

「いや、ちょっと、待ってください」

 話の内容から頭が混乱し始めた陽子は、会話にストップをかけるのがやっとだった。

 愛流と吉岡が怪訝な表情で陽子を見てくる。陽子としては、逆になぜそのような顔ができるのか、不思議でならなかった。

「瀬里奈さんって、大学一年生ですよね。年齢は、十八歳か十九歳であってます?」

「ああ。それであってるよ」

 そう言って吉岡が首を縦に振った。

「じゃあ、お酒を飲むには早いんじゃ――」

「陽子ちゃん。察してあげて」

 愛流が陽子の肩に手を置き、同意を促すように軽く頷いた。彼の言葉で、陽子はようやく事情を飲み込むことができ、何度も首を縦に振る。

「にしても、今じゃ年齢確認も厳しくなっているだろうに、よくそのお店で飲むことができたね」

 愛流が陽子の肩から手を離すと、吉岡に向き直った。吉岡は頬を掻き、少し自慢するかのように鼻の穴を大きくする。

「既に成人している大学生の学生証を借りたりして、ごまかしたんですよ。なるべく使う一年生に顔が似ている人を探したりしてね。まぁ、それでもバレないかどうかすっごい不安でしたけど」

 吉岡の話を聞いている間、愛流は感心すると言わんばかりに首を縦に振っていた。しかし陽子は唖然とするしかない。

 大学生になると飲み会の機会も多くあるという話は何度も聞いたことがあった。しかし未成年もお酒を飲み、年齢確認の対処法についての話を直に聞かされると、妙に生々しさを感じ、聞いてはいけない話を耳にしたような気分になる。

 ――まぁ、声を大きくして話す内容じゃないのは間違いないけど。

 陽子は密かに苦笑いを浮かべた。

明らかに法律に触れている。吉岡が妙に話しづらそうな様子を見せていたのも、これで頷ける。

愛流が言ったように、未成年の飲酒が厳しくなりつつあるのは間違いない。先日観たニュースでも、芸能人が未成年にお酒を飲ませたとして、所属事務所から謹慎を言い渡されたという報道が流れていた。

もし美術部が未成年の部員に酒を呑むことを許可していたことが大学側にバレたらどうなるだろうと、陽子は考えてみる。廃部とまではいかないかもしれないが、何らかの処分が下るのは間違いない。

「にしても、よく彼がそんなことを許可したね」

 愛流が前のめりな態勢になると、声を潜めて振り返った。ソファの上では智が参考書を読み続けている。

「なんて言うか、そういうのには厳しそうなのに――」

「今だけですよ」

 急に智から放たれた声に、陽子は飛び上がりそうになる。

 智が参考書を顔の前からずらし、こちらを無表情に見ていた。対して隣にいる愛流は「聞こえていたか」と舌を出す。

「あの時の食事会は三年生の引退会も兼ねてましたからね。でも今は僕が部長だ。大学側にばれたら不都合なことは、僕が引退するまでに消していきますよ」

 言い終わると、智は参考書に視線を戻した。愛流もまた吉岡に向き直ると口を開く。

「それで、吉岡くんから見て、瀬里奈ちゃんはどういう人物だったんだい?」

「まぁ、穏やかな女の子だったなとは思います。口数は少なかったですけど、誰に対しても優しくて――」

「君が彼女に惚れている、なんて噂も流れたよね、確か」

 また後ろから智の声が飛んできた。

 ――協力したいのか邪魔したいのか、どっちなの?

 陽子は半ばうんざりした気持ちになった。しかし智の言ったことが当たっていたのか、目の前に座る吉岡の顔は紅潮し「おい!」と智に軽く怒鳴る。

「そ、そんなことないよ」

 そういう吉岡の言葉は声の調子が外れており、動揺が露わになっていた。それを馬鹿にするように智の笑い声が飛んでくる。

「あからさま過ぎるだろう。だから今まで恋人の一人も――」

「智くん」

 隣から愛流の冷淡な声が飛んできた。その短い一言だけで、部室の空気が冷たいものへと変わる。

 心臓の鼓動が早くなるのを感じながら、陽子は愛流の目を見た。その瞳は光を反射しないのではないかと思えるほど暗く、ソファに座る智を睨んでいる。

「君の話はもう聞いた。また聞きたいことがあったら改めて質問するよ。それとも、俺達の話が勉強の邪魔になるようなら場所を変えようか?」

「――いえ」

 智が苦虫を噛み潰したような顔をして言った。目尻に集まったしわからは、屈辱が滲み出ている。

 そのような智の姿を見ても、陽子はざまぁ見ろとは思えなかった。それよりも部室内の空気が重くなったのを感じ、再び外に出たいという衝動に駆られそうになる。

 愛流が正面に向き直った。その表情から冷たさは消え、柔和な笑みへと変わる。

「話を中断して悪かったね。続けて質問しても大丈夫かい?」

「え、は、はい」

 吉岡が我に返ったように呆然とした表情のまま首を縦に振った。陽子はその反応だけで、彼もまた重い空気に耐えていたのだろうと察する。

「君は個人的に瀬里奈ちゃんと仲は良かった? 例えば普段からよく喋ったり、もしくはどこかに遊びに行ったり。あぁ、もちろん二人きりとかじゃなくて、複数人で遊びに行った時とかでも」

「いえ、確かに話すことはありましたけど、遊びに行ったことはないですね。会話にしても、活動についてのことだったりとか」

「活動のこと?」

「ええ。例えばいつまでに作品を完成させるのかという締切の確認や、参考のためにどのような絵を描いているのかと訊ねたりとか。後、洋画の画集を俺が持っているんで、良かったら貸そうかって提案したり。まぁ、断られましたけど」

「なるほどね。となると、瀬里奈ちゃんが行きそうな場所に心当たりも――」

「すみませんが、思いつかないですね」

 吉岡が申し訳なさそうに眉尻を下げて言った。しかし愛流に気にした様子はなく「謝ることはないよ」と肩をすくめる。

「じゃあ、瀬里奈ちゃんと仲が良かった友達とかってわかるかな」

「俺の知る範囲だと、美術部の一年生同士は仲が良かった印象ありますね。よく夢見市駅前のラーメン食べに行ったり、カフェに行ってたみたいですし」

「そう。確か一人は今日来ていないんだよね。そしてもう一人が――」

「昼飯を食べに食堂に行きました。さっき福智院も言いましたが、いつも行ってから一時間ぐらいは戻ってこないんで、まだいると思います」

「ありがとう。それじゃあ今から向かうよ」

 そう言って愛流は立ち上がった。陽子もその後に続く。

「あ、でもその一年生の顔とかわからないからさ。写真とかあったら助かるんだけど」

「あぁ、確か夏合宿の時の写真があるんで、ちょっと待ってください」

 言いながら吉岡はスマートフォンを取りだし、画面を操作した。一分もしないうちに画像が表示される。

 夜に撮ったものらしい。炎に照らされて顔の右半分をオレンジ色に染めた女性が、紙皿と割りばしを持ちながらカメラに向かって笑いかけていた。

 アーモンドの形に似た目に、引き締まった頬。髪は後ろで束ねており、袖の下から見える腕は細かった。

「うん、中々可愛い子だ」

 愛流が顎を擦りながらニヤリと笑った。陽子は呆れながら彼の脇腹を小突く。

 腹を抑える愛流を下がらせ、陽子は画像の女性を指さした

「この方の名前は?」

「新谷芽衣(しんたにめい)って言います」

「芽衣ちゃんね、ありがとう。この画像ほしいからさ、LINEのIDとか交換しとこうよ」

 愛流の提案に、吉岡は「いいですよ」と気軽に頷いた。

「智くんもお願いできるかい? もしかしたら君にも今後、聞きたいことができるかもしれないから」

 愛流が振り返って訊ねた。参考書から顔を上げた智は、屈辱に歪んだ顔を消し、不自然なくらいにこやかに「いいですよ」と言って立ち上がった。

 三人が連絡先を交換し終えると、愛流と陽子は質問に答えてもらった礼を改めて述べ、部室棟を後にした。


                                   (続)

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