第5話
「ア、申し訳ありません、ウロウロしてしまい……不躾なことを……」
「先程も言ったが私は君の申し訳を聞くつもりはない。また子どもに躾も求めていない。席に付きなさい」
「ア、はい……」
彼にうながされ、五人がけのソファーの隅に浅く腰掛ける。引きずるほど長いコートはソファーのそばの床に置かせてもらった。
「どうぞ」
彼はわたしに右手に持っていたマグカップを差し出した。あたたかそうな、ココアだ。
(……もしかして、わたしに?)
見上げると、彼は静かにわたしを見下ろしていた。
「牛乳アレルギーはないか?」
予想外の問いかけに、わたしは呆けてしまった。彼はわたしが答えなかったためか、左手に持っていたマグカップを代わりに差し出してくる。どうやらそちらはコーヒーのようだ。わたしは慌てて口を開く。
「あ、ありません……アレルギーは……多分……」
「多分?」
「調べたことがないので……」
「症状が出たことは?」
「あ、……その、……飲んだことなくて……ココア……」
彼はまばたきをしてから、わたしにココアを差し出した。
「少しずつ飲みなさい。なにか違和感を覚えたらすぐに言うように」
「ア、……ありがとう、ございます……」
両手でマグカップを受け取り、彼を見上げる。『早く飲みなさい』とその目が言っていたので、何度か息を吹きかけてから一口。
(ア、こういう味なんだ。……美味しい)
物語で何度か見たことがある、ココアは、想像よりもずっと甘くて、美味しい。幸せな家族の印象に合う、味わいだ。続けて、二口、三口飲んでいると、「気に入ったようで何よりだ」と低い声。
気がついたら彼は一人がけのソファーに腰掛けて、コーヒーを飲みながら、わたしを見ていた。
「あ、えと、ごめんなさい、少しずつ飲むようにと……」
「好きに飲みなさい。アレルギー反応が出たら二度と飲めないのだから、楽しめばいい」
「そ、……あ、……はい……」
そういうものだろうかと思いつつ、もう一口。
(美味しい、……ほっとする)
もう一口、もう一口、そう思っている間に、わたしらココアを飲み切っていた。飲み切ってからも飲み口や、味の残る自分の唇を舐めていると、「アレルギーはないようだな」と低い声。
ハ、とそちらを見ると、彼は眼鏡をかけて、本を読んでいた。完全に待ちわびている人の体勢だった。わたしは慌てて立ち上がり、マグカップをチェストに置き、床に跪く。
「申し訳ありませんっ……お待たせしてしまい、わたし……」
「床に膝をつけるな!」
「エッ、……アッ! お部屋を、汚してしまい、あの、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ!」
咄嗟に両手をあげて頭をかばったが、立ち上がった彼の手が振り下ろされる。
(殴られる!)
しかし彼の手はわたしを殴るではなく、わたしの肩を掴むと、引っ張るようにわたしを立ち上がらせ、ソファーに深く座らせた。
彼は、深く、深く、息を吐く。
「上林ルル、顔を見せなさい」
恐る恐る腕を下ろすと、彼は光のない瞳でわたしを静かに見つめていた。
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