第10話

「失礼、少し触るぞ」


 ハァ、ハァ、とあらく息を吐くわたしの喉に彼は人差し指と中指を当て、それから、汚れたシャツ越しに私のお腹に手の甲で触れた。


「……心拍と体温が高すぎる、腹は膨れているし、これ以上食べると後で低血糖をおこしそうだな……飴を用意しよう」

「え、あの……」

「今日のところ、おかわりはフルーツポンチだ。いいね?」

「あ、はい、あの……その、ぞうきんを……」


 机の上の荒れをどうにかしなくてはいけない。しかし彼は首を横に振った。


「君はそんなことを気にしなくていい。先程も言った。まず太りなさい」

「でも……」

「君の飢餓がおさまるまで、君の仕事はそれだけだ」

「……飢餓……」


 ボタボタと額から汗が落ちる。それを手の甲でぬぐってから、彼を見上げる。彼は光のない瞳でわたしを見下ろし続ける。


「わかったね、ルル」

「わ、……わたし、もし、ずっと、こうだったら……」


 彼は指先でわたしの前髪をすくい上げた。汗と食事の汚れでベタついているそれを、気にもしないで、触れた。

 

「構わない。食べたいだけ食べなさい。食べなくては死ぬ」

「こんな、意地汚いもの、死んだほうが……」

「君は、ただ、生きていればいい。逆に言えば、君は生きなくてはいけない。それだけが君の義務だ。そして、仕事は太ること。理解したか、ルル」


 彼はもう一度、わたしに仕事を告げた。わたしは、汗を落としながら、なんとか頷いた。


(太る、こと……そんなの、初めて、言われた……太ったら、もっと邪魔になるのに……)

 

 俯いていると、彼の冷たい手がわたしの頭に触れる。


(ァ、……頭、撫でられてる……)


 目の前で、家族である子どもが家族である親にそうされているのは見たことがある。小説でも読んだことがある。でも、自分の頭を、大人に撫でられるのは初めてだった。

 しかも、食事の後に。

 食べると汚いから食べさせてもらえなかった。食べさせてもらえないから食べたくなった。そうするともっと汚くなる。殴られてもいいから食べたくなる。それをなんとか我慢しようとしている内に、頭も働くなくなって……グルグル、グルグル、同じことを繰り返して、邪魔になりたくないのに、嫌われたくないのに、『そういうところが子どもっぽくなくていや』『見ていて惨めだからいや』『邪魔』、そう言われて、どこにもいつけなくて……鼻の奥が熱い。


「……グスッ……」


 息を吐いたら泣いていた。

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