第9話

シャワーを浴びて、髪の毛の先から足の指の間まで丁寧に洗う。鯖目さんに『シャワーのお湯で全身くまなく洗ってから、湯に浸かるように』と言われたからだ。シャワーを浴びたとき、膝にできたかさぶたがとれたり、手足の傷からこびりついたドロみたいな血がとれた。


(こんなに汚かったのね、……そりゃ丁寧に洗えって言われるわ……申し訳ない……)


 だから丁寧に全身洗ってから、お湯につかった。鯖目さんが用意してくれた石鹸からは、なんだかわからないけれど、甘くていい匂いがした。

 のぼせる前にお湯から上がり、鯖目さんの用意してくれた新品のTシャツとカーディガンと下着を身につける。ズボンはどうしても、どこにも引っかからなかったのであきらめた。それでも、Tシャツは膝下まであるので、良いだろう。

 風呂からあがると、鯖目さんは部屋にカーテンをつけていた。白のレースカーテンと薄紫色のレースカーテンが、二重につけられた部屋は、より愛らしくなっている。彼はわたしが風呂から上がったことに気がつくと、眉をひそめた。

 

「ズボンは?」

「あ、大きくて……」

「私の服ですら? ……痩せ過ぎだな、君」


 言外に、自分が痩せ過ぎであることを呟きながら、彼はわたしを見下ろす。


「……食事は? それとももう眠りたいか?」

「え、ア……その……」


 タイミングよく、わたしのおなかが返事をした。彼は無表情のまま頷いた。

 

「食事にしよう。来なさい」

「……はい」


 恥ずかしく思いながら、彼に続いて階段を下りた。

 わたしがお風呂に入っている間に準備をしてくれていたらしく、暖炉の部屋に長机と、それに合わせたダイニングチェアが二脚運び込まれていた。彼はその内の一脚にわたしを座らせると、隣室のキッチンから食事を運んできてくれた。


「あの、なにか、お手伝いを……」

「手伝う前に、まず、君は太りなさい」

「ふ、太る……?」

「アレルギー反応が出たらすぐ病院だ。少しずつ食べるように」


 メニューは、白米、美味しそうな豚の生姜焼き、野菜炒めに、豆サラダ、海藻たっぷりの味噌汁に、デザートにフルーツポンチまで付いていた。

 

(こんなに、いいのかな……? こんなに、わたしも食べていいの?)


 キュウとおなかが鳴り、つばが込み上げてくる。ぐるぐると頭の中で言葉が回る。『はやく』『はやく』『はやく!』、だめだと理性が言う。またやってしまう、だめだ、と、――彼がわたしを見て、微笑んだ。


「どうぞ、召し上がれ」

「いっただきます!」


 ――そこから、一瞬、記憶が飛んだ。

 

 気がついたら目の前の食事はなくなり、わたしは汚れまみれになっていた。記憶はないのに、息が上がり、汗をかいている。ハァ、ハァ、と息を吐きながら、視線を上げる。

 鯖目さんは目を丸くしていた。


「あ……」


 折角貸してくれた彼のTシャツには生姜焼きの汁がべってりついている。せっかくお風呂に入ったのに、髪まで味噌汁が飛んでいそうだ。


「ご、ごめんなさい……」


 彼は無言で立ち上がり、わたしのそばに立った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る