第二話 豚の奇跡

第8話

「しばらくはゲストルームを使ってくれ」


 鯖目さんが用意してくれた部屋は、三階の階段を上ってすぐの踊り場に最も近い部屋だった。壁紙の色は淡いグリーン、床は白、そして真鍮と曇りガラスでできたシャンデリア。置かれている家具は寝具とクローゼットとスタンドライトのみだけれど、それらは白を基調としたお姫様が使いそうな華奢なデザインで、とても可愛らしい。

 シャワールームもついており、そちらは白を基調としつつ、金の装飾がされていた。金の猫脚の浴槽と金の蛇口の洗面台。


(こんな、素敵な部屋を使っていいのだろうか……)


 所在なく呆けていると、鯖目さんは「気に入らなかったか」と、とんでもないことを聞いてきた。


「き、気に入らない、なんてことは、あの、ないです」

「君は困った顔をしているように見える。不満があるなら言ってくれ。改善しよう」

「不満なんて……」


 鯖目さんは光のない瞳でわたしをじっと見下ろしている。それは、ちゃんと話さないと認めない、と言っているようだった。わたしは唇を舐めてから、口を開く。

 

「わたし、こ、ここ、を、気に入っても、いいんですか?」

「質問の意図がわからない。君が気に入ったならこのゲストルームは君の部屋にするし、そうでなければ別に用意する。それだけだ」

「……わ、……わたし、あの、……」


 こんな立派な部屋じゃなくて、ゴミ置き場でいい。……だってわたしは、この家の家族じゃない。家族のためにお金を使いたいのに、急にやってきた邪魔で、厄介で、何の役にも立たない子ども。置物の方が価値がある、……何度も言われてきた言葉。


(わかってる……でも、この部屋……かわいい……小説のお姫様の部屋みたい……)


「ここが、良いです。で、でも、ゲストが、使われるなら、他の……他の部屋に……わたし……」

「私はゲストより家族の君を優先する。君がここが良いなら、ここは君の部屋だ。タオルと……すまないが今日は私のシャンプー類を使ってくれ。部屋着もだな……用意する。待っていなさい」


 彼はブツブツ言いながら部屋から出ていった。部屋に残されたわたしは、サラリと彼がいった言葉を思い返す。


(『家族』の、君……?)


 たしかに、今、わたしの保護者、後見人の権利は彼にある。だから、わたしにとって、ある意味家族の言えるのは彼だけだ。だけど、彼にとってはそうじゃないはずだ。


(だって、あの書類、いつも、荷物の受け渡しみたいな意味しか……そんな、……)


 もう蓋のしまらないトランクケースを抱きしめて、わたしはため息をついた。目の奥と鼻の奥が何故か痛くて、頭の奥がじんわりと熱い。


(……ウソじゃないといいな、鯖目さんはウソつきじゃないといい……)


 素敵なお部屋の真ん中でそんなことを思いながら、鯖目さんの帰りを待った。

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