第7話

「まず……知人から子どもを預かって欲しいと聞いたのは昨日だ。わたしは了承した覚えはないが、今日、君が来た。この件については知人に事情は聞くが……」


『まず』で説明された内容がもうクライマックスではないだろうか。


(昨日って……どういうこと……)

 

 わたしは床においていたコートのポケットから、新幹線のチケットの領収書を出した。彼はそれを不審そうに見下ろすので、「あの、サカイ様から、……『次の家の人』が出して下さったと……」というと、彼の顔に筋が張った。


「サカイという男は私に百万ほど借金がある。それをこの新幹線代金でチャラにしろということだろうな……」

「エッ」

「もうあれは知人でも何でもない。縁を切る」

「エッ……!?」 

「次の問題だ」


 一つ目の問題が解決しない内に次の問題に進んでしまった。彼はわたしの手から領収書を引き抜いて手の中で握りつぶすと、再びわたしの顔を見た。 


「不躾なことを尋ねる」

「は、はい……」  

「来るのは男の子だと聞いていたんだが……君の性自認は男なのか?」


 重々しく聞かれた言葉の意味を咀嚼し、飲み込み、口を開く。

  

「……体も、心も女です」

「そうか。ならば、……買い物が必要だ。この家に女性が住むために必要なものは、何一つ用意ができていない」

「……必要なもの……?」

「アメニティ各種だ。しかし、今から出かけるには遅い。明日用意をするとして……問題は今晩だな……どの部屋が使いやすいか考える必要もある……とにかく、準備ができていないため数日は君にも苦労をかけてしまう。そこは了承してもらいたい。以上が私の言い訳だ。納得していただけただろうか」


 彼は深くため息をつくと、わたしに右手を差し出した。意図がわからず、その右手を眺める。彼は静かに右手を差し出し続けている。


(……もしかして……握手?)


 自分の手を見る。切り傷もあるし、ひび割れもあるし、乾いているし、……汚い手だ。一方で、彼の手は、綺麗だった。ペンだこがあり、骨の形が目立つ、大きくて、白くて、きれいな手だ。


「……わたし、ここにいていいんですか?」


 彼の右手を眺めながら聞くと、彼は首を傾げた。


「構わないと思うが、君、サカイからなにか書類はもらってないのか」

「ア、はい、あの、あ、……あります」


 慌ててトランクケースを開けようとしたら、ついにジッパーが壊れて、破れた。が、開いたので、書類を取り出し、彼に渡す。彼は大破したわたしのトランクケースを一瞥してから書類に目を通し、「君はここにいていいようだ」と頷いた。


「それで、君、保護者から数日苦労をかけると言われて、不服申し立てはないのか」

「ふ、不服申し立て……?」

「思い付かないなら納得したとするぞ。では、改めて」


 彼はまた右手をわたしに差し出した。


「私は鯖目 琉生さばめ るいだ。本日より君の保護者となる。よろしく頼む、ルル」


 今度こそ、間違いなく握手だった。わたしは自分の手を膝に何度かこすりつけてから、そっと、彼の手を取った。彼の手は氷みたいに冷たいけれど、でも、わたしの手を優しく握ってくれた。


「よ、ろしく、お願いいたします、鯖目さん……」


 これが、鯖目さんとの最初の握手だった。

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