第五話 人の欲望

第25話

――山月記 著:中島敦


 大変優秀で、多岐にわたり才に溢れ、その名を轟かせる若者がいた。しかし彼はその才故に、他人に教えを請うことも、友人と切磋琢磨することもなく、傲慢に自虐的な物言いで他者を否定したり、ひどく……端的に言うのであれば、面倒な男であった。

 彼の名前は李徴。

 彼は、優秀すぎるがゆえに役人のことを卑しいと蔑み、開かれていた官僚への道に唾を吐くと、詩人として名を残すことを目指した。

 事実、たしかに彼の詩を聞けば、作者が非凡であり素晴らしいものだとわかる。しかし、彼の詩にはなにか足りなかった。故に、一向に彼の名は詩人としては広まらない。

 その内に彼は生活にも困窮し、妻子を護るためにかつて唾吐いた道に戻ることになる。すると、かつて歯牙にもかけなかった同期たちはすでに出世し、彼らから指示を仰ぐ日々。

 ――ついに彼は発狂し、姿を消した。


 後年、役人となった袁傪という男が先を急ぎ、人食い虎が出るという道を行く。すると噂の通り、一頭の虎が躍り出た。しかし、虎は袁傪を襲ったものの、逃げるように草むらに隠れた。


「あぶないところだった、あふないところだった……」


 草むらから聞こえてくる声に袁傪は覚えがあった。


「その声は、我が友、李徴子ではないか?」


 そう、たしかにその人食い虎はかつての友人であり、あの李徴だったのである。


「……山月記か……」


 鯖目さんの声で物語の世界から意識が途切れ、現実に意識が戻る。

 視線をあげると鯖目さんと目があった。彼は光のない瞳で、私を見下ろすと目を伏せた。


「邪魔をしただろうか」

「エッ、いいえ、……いいえ」

「君は嘘が顔に出るからやめた方がいい。そして、それほど集中して読むなら場所を考えてほしい」

「場所……」


 周りを見渡して、気がつく。

 わたしはリビングルームの前、階段に腰掛けて本を読んでいた。鯖目さんはリビングから出てきて、階段に座り込んでいるわたしを見て声をかけてきてくれたらしい。


「夕飯の後からだとするとゆうに二時間は経つ。そろそろ君の端末は制限がかかる時間だ」

「アッ」


 それで、思い出した。

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