第27話

彼は書物机の前に立つと、「ルル」とわたしを呼んだ。駆け寄ると、彼は椅子を引き、「ルル」と、また、わたしを呼ぶ。


(椅子……に座れということ? それとも、椅子をとこかに運ぶということ?)


 意図がよくわからず彼を見上げると、彼は手で『座るように』と示してくれた。なのでその指示のとおりに席に腰掛ける。彼は座ったわたしを眺めて、頷いた。


「……君の背丈だと、やはり机も椅子も高さがあったか。調整する」

「調整、ですか?」

「ルルはそのまま座っていなさい」


 彼は机の脚や椅子についたボトルを捻り、なにかをして、その『調整』ということをしてくれた。わたしはモジモジしながら、席についていた。

 彼の『調整』が終わると、椅子に座って本を置くだけで、すっと背筋が伸びる。そして、少し腰の痛みが楽になった。


(なんでだろう、魔法みたいだ……)


 彼はわたしの様子を見ると、長い前髪を耳にかけた。

 

「階段は暗い。加えて君の姿勢、……視力と筋力が落ちる。正しい読み方をまず知りなさい」

「正しい読み方、ですか?」

「あぁ、読書を生涯の趣味にしたいとき、必要なものは何だと思う」


 目を閉じて考える。


(生涯の趣味……生涯……)


 鯖目さんはよくそういう先の話をする。わたしにはいつもうまく想像ができない。でも、鯖目さんに言われるから、なるべく考える。


「時間と、お金と……読める字がたくさんあることですか?」


 目をあけると、鯖目さんは首を横に振った。


「健康と、好奇心。それだけだ。君には前者が足りていない自覚を持ちなさい」

「健康……」

「本を読むときはこの机で読み、手元の明かりをつけること。できるか?」


 わたしが頷くと、彼もまた頷き、「では自由に過ごしなさい」と踵を返し、部屋から出ていこうとする。


(あ……)


 体が勝手に、彼の背中を追いかけるように立ち上がった。


「あの、……」

「何だ」


 振り向いた彼の光のない瞳を見て、自然と口が開く。


「……ありがとうございます」


 彼は目を細めてわたしに手を伸ばす。頭を差し出すと、彼は優しく頭を撫でてくれた。と、彼の手がわたしの額に触れた。


「……すこし、熱があるか? 気持ち悪さはないか」

「なにも」

「そうか。……なにかあればすぐ起こしなさい」

「でも、……」

「わかったね?」

「……ありがとうございます」


 彼はほんの少し口角を上げた。


「礼には及ばない」


 彼はその言葉を残し、今度こそ部屋から出ていった。

 残されたわたしは、再びスマホを開き、残りの僅かな時間で、山月記の残りを読むことにした。

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