第28話

――虎になった李徴は草むらに隠れたまま、姿を見せず、このまま友人として話がしたいと願う。袁傪は了承し、二人は懐かしくあれこれと話をする。

 話は次第に、どうして虎になるに至ったのか……李徴の告白となっていく。李徴は気がついたら虎となっていて、理由など分からなかったという。分からないまま、しかし体に合わせるように気がついたら虎の心に支配され、あたりには血が残っている。こうして人の心があるときは話すこともでき思索もできるが……次第に人の心に戻るときは少なくなっているという。

 彼は人の心が残っている内に、と自分の詩を記録してほしいと頼む。李徴は了承し筆を執る。そうして詩の記録が終わると、李徴は、理由はわからないといったが、考えてみれば思い当たらんこともないと話し始める。

 彼は優秀で多才で……鬼才だった。そして尊大だったと周りが言うが、彼がそのように振る舞ったのは尊大な羞恥心のせいであった、と。自分の才に対して自信はあった。けれど同時に不安でもあった。……本当に自分に才があるのか? 故に人と交わるのを避けた。

 人と関わらなければ化けの皮が剥がれない。そよ臆病な自尊心故に、彼は人を傷つけてでも、孤高を選んだ。自分が傷つきたくないという尊大な羞恥心故に、彼の才は磨かれることはなかった。そして何もかも彼は失ったのだ。

 彼の中のこの、尊大な羞恥心、彼の行動の基盤とまでなっているその心が虎だったのだ。だから、彼は虎になったのだ、と……。


 スマホの制限時間が来て、本を閉じる。


(……よく、分からない話だった)


 才能があり、周りから認められていて、それでも不安で、傷つきたくなくて、恥をかきたくなくて……そして虎になる。


「虎……? 虎になるほどの心って、どんな……」


 どうして虎になったのかはよく分からなかった。けれど、一つだけ、共感できるものがあった。


 ――己の中の人間の心がすっかり消えて了えば、恐らく、その方が、己はしあわせになれるだろう。


 目を閉じて、頭の中で諳んじてみると、やはり、『そのとおりだ』と思った。人でなければ、人であることを願わなければ、獣である自分に傷つかないのだから。


(なれるのならば、わたしは今すぐに獣になる。ほんのすこしも、後悔はない……だけど、彼はこう続ける)


 ――だのに、己の中の人間は、その事を、この上なく恐しく感じているのだ。


(……わたしにはきっと、彼の言う自尊心がないのだろう……だから、わからない……)


 目を開けて頭をふる。


(だめだめ、制限時間だ。もう寝ないと……)


 風呂に入り、気持ちを戻して布団に潜る。早く寝なくては、寝なくては……そう、思えば思うほど眠れない。


(……どうして虎になったんだろう?)


 瞼の裏で、わたしはずっと、虎になった人のことを考えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る