第32話

彼は何度かまばたきをして、その涙を隠し、いつもの光のない瞳に戻した。


「君は部屋で倒れたんだ。医者が言うには……積もり積もった過労が出たんだろう、と」


 彼の冷たい手がわたしの目尻を撫でる。彼の手が触れて、わたしは自分が泣いていることがわかった。


(どうして……わたしは、泣いているんだろう……)


 胸が痛くて、苦しくて、息を吐いたらまた涙がこぼれた。そしたら、彼の冷たい手が頬を撫でてくれる。こぼしてもこぼしても、彼は拭ってくれた。


「気がつくのが遅くなってすまなかった。苦しいか? 点滴に、眠剤も入れてもらおうか」


 ナースコールに手を延ばそうとする彼の手を掴んで、口を開ける。


「くるしい……」


 どうしようもない言葉が口をついた。


「あたま、……、いたい、……しんどい……ねたい……」 


 頭の中で自分の声がする。


(そんなこと、この人に言ってもどうしようもないでしょう。馬鹿だな)


 でも目の前の彼は頷いた。だからまた、口からこぼれてしまう。


「こわい……やだ……もう、やだ……ひどいよ……ひどい……」


 彼はわたしの涙をぬぐって、「ウン」と頷く。それどころか彼は悪くない以前に、関係だってないのに、「すまない」と謝った。

 そんなことを言われてもどうにもならないとわかっているのに、どうしてか、わたしはほっとした。


(謝ってくれるんだ……)


 それだけで、もう、息が吸えるほど、楽になった。


(……わたしはもう、謝ってもらえた……なら、もう、許していいんだ……)


 彼の手に頬を寄せる。冷たくて気持ちがいい。


「……鯖目さんの家の子になってもいいの……」

「いいに決まってる」


 両手でわたしの頬を掴んで、彼が力強くそう言ってくれた。そしたら、もっと涙がこぼれてしまう。けれど彼はそれも丁寧にぬぐってくれた。


「わたし、……普通じゃないから……鯖目さんを、たくさん傷つけるよ……?」


 彼は涙に溺れるわたしをすくいあげて、笑った。


「わかった」

「……わかったの?」

「ウン、わかった」

 

 彼の声は嬉しそうだった。


「……へんなの」


 重たいまぶたを閉じると、ずき、ずきと頭が痛む。痛くて、苦しいのは変わらないけれど、息はしやすくなっていた。


「おやすみなさい、鯖目さん」

「あぁ、おやすみ……ルル」


 彼のその声を聞いたらまた意識が遠のいていく。

 そしてそれは今度こそ、夢すら見ない、ただ深い、真っ暗な眠りだった。

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狼は夜毎、ウソをつく 木村 @2335085kimula

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