閑話 罪の自覚(side 鯖目さん)

第12話

side 鯖目さん


 ――青天の霹靂。

 言葉の意味はもちろん知っていたが、自分の身に起こるとは考えもしなかった。だが、大学の同窓生であるさかいから電話で告げられた内容は、まさに、日常を破壊する雷だった。


『いやぁ、俺ね、無理よ。子どもの時点で無理だけど、こんな子は本当に無理なわけ。で、この子さぁ、どうも死んでも誰も困らないっぽいわけ。だからうまいこと、こうさ、事故とかにできないもんかね。お前、天才だろ? なんとかならん?』


 少し考えれば堺のお得意の手口で、こちらを怒らせて、自分の思いどおりにするための『煽り』だ。だが、そうわかったところで怒りを抑えることはできなかった。

 売り言葉に買い言葉、了承したつもりは微塵もないが、話の流れでその子どもは私の下に送られることになった。


『私に子どもなど育てられるはずが……!』

『じゃあ、死なすぅ?』


 私に他にどんな選択肢があったろうか……。

 だからどれだけ無理だといったところで、その子どもは来るのだろうと、覚悟はした。

 とはいえ、――まさか、翌日とは考えていなかった。

 まず、インターフォン越しに人間のの姿は見えなかった。あまりにも、彼女が小柄だったために画角に入らなかったのだ。

 だから、一瞬、いたずらかと思った。こんなところまでいたずらにくる暇人など存在しないのに『あぁ、面倒くさい』とさえ思った。だから、愛想なく返事をしたのだ。

 その結果、聞こえた子どもの声と、その言葉に、ゾッとした。

 階段を駆け下りて扉を開けると、あまりにも惨めな子どもが立っていた。


(何だ、この子ども……)


 もうゴミにしか見えないトランクケースを抱え、ゴミにしか見えない大人用のコートを引きずりながら身にまとう、表情がまったくない子ども。


(ここは日本だぞ。しかも……、令和の、……)


 しかし目の前に、その子はいた。

 言葉こそ達者に使うが、確実に貧困のひずみを抱えた子どもだ。その子どもを迎え入れ、話を聞く内に、はたと気がついた。


(ルル、……この子、『ルル』か?)


 それは、――はるか昔に、幼馴染と約束した名前だ。


『俺に子どもができたらさ、お前の名前を一文字くれよ、ルイ』

『私の名前は二文字しかない。一文字お前に渡したら、一文字しか残らない』

『アハ、そういうことじゃねえよ、ばかだな、『イ』は』

『おい、勝手に『ル』をとるな』

『男だったらルーで、女だったらルルだな』

『犬の名付けじゃないんだぞ』


 目の前の子どもは、男にも女にも見えない。

 痩せすぎていて、幼すぎて、まだ男女の差もできていない、未発達な『子ども』。とはいえ、よくよく見れば、たしかに女の子にも思えた。

 そして――じっくり見れば、どこか、面影がある。


(でもあいつは、とうの昔に……こんな子どもがいたはすが……)

 

 でも、十五歳だ。

 それならギリギリではあるが、可能性があった。ならば、……なら、私は、……もしかしてあいつの子どもを十五年、放置し、生き地獄を味あわせていたのだろうか。


(もしあいつに子どもがいたなら……あいつの家なら、ありえなくはない。やりかねない、……この子は……だとしたら、私のせいで……今まで……?)


 彼女は飢えていた。

 食事を与えれば獣のように食べちらかし、落ち着くと、怯えた目で私を見上げる。哀れで、申し訳なくて、……慰めたくて触れてみると、初めて笑った。

 無防備な赤子のような笑顔に、胸が痛んだ。張り裂けそうなぐらい、痛んだ。

 それは、あいつが死んで十五年、感じることがなかった痛み――『罪悪感』だった。


(私は今まで、何をしていたんだ)

 

 彼女は私の腕で眠ってしまった。

 抱き上げるとあまりにも軽い体だ。この子は、背負わなくていいものを、背負わされ、しなくてもいい経験を押し込まれている。


(何をしてあげられる、ここから……この、壊れた子どもに何をあげられる……?)


 吐き気がした。

 汚れた彼女の体を清めて、ベッドに横たえる。寝顔の中に、かつての友人が見える。もしそうなら、……堺はわかった上で、この子を送り込んできたのだろう……あいつは本当に性格が悪い。


(書類を、読み直さなくては……)


 頭が痛い。割れそうなほどに、痛い。 


(……私は子どもになど、優しくできない……察しも悪ければ、人相も悪い……どうしたら……この罪は償えるんだ……)


 途方に暮れても、彼女はすでに私の家にいた。

 だから、手放す選択肢はなかった。それだけは、もう、どこにもなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る