第21話

「食事にしよう。待っていなさい」


 彼はそう言い置いて、キッチンに向かおうとする。わたしが慌てて立ち上がると、彼は不審そうに眉をひそめた。

 

「料理ならわたしが……」

「料理は私の趣味の一つだ」


 彼はわたしの肩を掴むとソファーに押し戻す。

 

「でもせめて、お手伝いを……」

「私が頼んだ君の仕事は私の手伝いだったか?」

「それは、太ることです……でも……」

「大人しく席に座っていなさい。本は、好きに読んでいい」


 最後の彼の言葉に、言おうとしていた『でも』がとんでいってしまい、つい、顔を上げてしまった。彼はわたしの反応を見て、面白がるように目を細めた。


「す、すみません……あの……」

「ルルは本当に読書が好きだ。さいわいだな。神から与えられたギフトだ」

「ギフト……?」

「本とは、先人の苦悩であり、挫折であり、地獄であり、成功であり、さいわいであり、天国である。そしてそれらは全て、いま生きている者のために残されている。それを愛せることは、人を愛せることだ」


 彼の言葉は美しい調べをしていた。この先何度も思い返すことになるだろう、そんなことを思った。 

  

「ここにある本はすべて君の自由だ。そして、ここにない本も、いつでも君のために開かれている」


 彼はわたしの頭に右手をおいた。胸が痛くなる。


「健やかに、叡智を養いなさい」


 窓から差し込む陽の光があたたかい。彼の手のひらがあたたかい。見上げた彼の瞳に陽の光が混ざり、宝石みたいに見える。彼の掌がわたしの頭から離れ、優しく肩をたたいた。それで、自分が息を止めていたことに気がついた。

 息をついて、彼を見上げる。


(神様は、きっと、ずっと前からこんな形をしていた。わたしが見えていなかっただけで……)


 夢の中にいるような気持ちだ。この家に来てから、ずっと。もしかして、わたしはこの家に来る前に死んでいて、これは死んでから見てゆる夢の話なのかもしれない。


(……じゃあ、ここはやっぱり天国なんだ)


 彼はサイドチェアにおいた本を手に取ると、わたしに差し出した。夢見心地のまま、その表紙を見る。二匹の蛇が描かれたあかがね色の装丁の本には『はてしない物語』とタイトルが書かれていた。


「きっと、君の好きな本になる」

「……はい」


 読む前から、もう『好きな本』だと思った。どうしてそう思ったのかはわからないけれど、でももう、『好き』だった。わたしは渡された本を胸を抱きしめてから、彼を見上げる。


「読み終わったら感想を聞いてくれますか」

「もちろん、いつでも。ただ読み出すのは食事の後にしなさい。君はきっと、寝食をわすれるから」


 きっとその通りだ。わたしは笑ってしまった。

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