第20話

コーヒーの香りで、ふと、目を覚ました。


(……よかった、まだ鯖目さんの家だ)


 そこは鯖目さんの家のゲストルームだった。わたしは心底安心した。パジャマの袖で顔を拭きながら起き上がり、洗面台でちゃんと顔を洗う。


(きれいなお水……、わたし、こんな顔だったかな)


 鏡に映る自分の顔は、数日前と違うように思えた。でも、それは鯖目さんの家の鏡がとてもきれいだからかもしれない。

 クローゼットを開けて、買ってもらった服を眺める。本当に、きれいな色ばかりだ。


(えっと……)


 ひとまず右から選んで身につける。

 深い青色のセーターとカラシみたいな黄色のズボン。これで合っているのかはよくわからないけれど、触り心地が良いから、『気に入った』。鏡の前に立って、くるくる回ってみる。


(動きやすい! 痛いところがないし、すごく軽い!)


 初めての新しい服だ。じわじわと胸があたたかくなった。


(……アッ、……あれ? 今何時だろう……?)


 部屋をみわたすけれど時計はない。スマートフォンは机の上にあった。


(でも、スマホには時間制限がある……時間がわからないと、……時計、リビングにあったような……)


 階段を下ると、コーヒーの香りがふわりとした。その香りに誘われるように、そっとリビングに入る。

 鯖目さんはコーヒーを飲みながら、一人がけのソファーに腰掛けていた。彼は灰青色のセーターに、黒色のストールを羽織り、眼鏡をかけて、分厚い本を読んでいる。集中しているのか、わたしには気がついていない。


(何の本だろう……)


 そっと歩み寄る。

 彼の本にわたしの影が落ちた。


「あぁ、おはよう、ルル」

「おはようございます、鯖目さん」


 彼は視線を上げてわたしを見てから、視線を落として腕時計を見た。


「あまり寝てないようだが、大丈夫か、ルル」

「大丈夫です。……、今、何時でしょうか」

「十一時だ。君は五時間ほど寝たようだ」


 完全に寝坊だった。

 

「申し訳っ……!」

「君の申し訳を聞きたいと思ったことは一度もない」


 謝罪を途中で棄却し、鯖目さんはわたしの頭を撫で始める。


(あったかい……よかった、鯖目さんは怒ってない……)


 鯖目さんに頭を撫でられるのはあたたかくて、ほっとして、力が抜けてしまう。鯖目さんに頭を差し出しても、鯖目さんは殴ることもなく、わたしの頭を撫でてくれた。


「さて……」


 鯖目さんは立ち上がり、代わりにわたしをソファーに座らせた。体温の残る座面が温かい。さらに彼はわたしの肩にストールまでかけてくれる。


(いい匂い……鯖目さんの匂いだ)


 彼は持っていた本をサイドデスクに置くと、眼鏡を外した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る