第26話 対決、作戦開始
「――以上が、〈
半分曇りの空から夕陽が差し込む、薄暮の病室。
朱色に染まる部屋の中で、リーナはブローディア司令から〈
作戦発動日は、一週間後の七月四日。アティルナ共和の革命記念日だ。
参加兵力は、共和国空軍と
空軍部隊が〈
リーナの所属は、特別挺身隊。ただ一人の、この作戦のためだけに設立された部隊だ。第二特戦隊の護衛の下、リーナは〈
絶対に成功しなければならない。失敗すれば、人類に未来はない。
それが、人類の最終決戦――〈
ブローディア司令が、淡々とした口調で告げる。
「君の望む舞台は整えた。作戦発動までの一週間、君は傷の治癒に専念したまえ」
「……ありがとうございます」
これで、私は使命を果たすことができる。ようやく、お姉ちゃんの元へと帰ることができるのだ。
そう思うと、不思議と安堵が生まれていた。
そうか。これで、あと一週間もすればお姉ちゃんに逢えるんだ。ようやく、大好きなお姉ちゃんと触れ合えるんだ。
無意識に笑みがこぼれ出た、その時だった。
「リーナ!」
制止する看護師と警備員を振り切って。レンはリーナの病室へと入るなり叫んでいた。
朱色に染まる部屋の中、そこで見たのは、ベッドに佇むリーナと、その傍らに座る
口元に危険な笑みを宿して、リーナはふらりと視線を向けてくる。
「……面会は拒否したはずですが」
「ああ。そうだな。だから、“まだ”上官の大尉に具申しにきたんだ」
彼女の異動の日付は明日になっている。だから。まだ、リーナはレンの上官だ。
だから。これは
「何を言われようが、私は己の決定を曲げることはありません。帰ってください」
真紅の双眸を細めて、リーナは冷淡に言い放つ。
それを無視して、レンは続けた。
「お前は……、“リーナ”は、この作戦を本当にやりたいと思ってるのか?」
「……」
彼女の顔は伏せられていて、見えない。
「レイチェルは、あんたに生きていて欲しいから、命懸けであんたを庇ったんじゃないのか? それを、お前は無駄にするつもりなのか?」
リーナが好きで、生きていて欲しいと願ったから、レイチェルは命を懸けた。自分の命を差し出してでも生きていて欲しいと願われたから、リーナは今、ここにいる。
それを、こいつは分かっているのだろうか。
しばらくの沈黙ののち、帰ってきたのは微かに震えた声だった。
「……私は、私の意思に基いてこの作戦を受け入れました。だから、これは、私が望んだものです」
「違う!」
思わず叫んでいた。
「そうなるように
足が動く。リーナに近づこうとして――その間に
きっと睨み上げた先、そこにはいつもの冷徹の赤色がこちらを見据えていた。
グレン・
「司令内容は、既に彼女の意思と同意の下で決定されたものだ。貴様に司令を変更する権利はなく、また、変更する猶予も存在しない」
「そうやって、今度はリーナも殺すつもりなのかよ? アンタは!」
「全ては
ぎり、と奥歯を噛み締めて。レンは募る激情のままに叫ぶ。
「その結果が今のこれじゃないのか!? あんたを信じて戦って! それで、
レンと
全ては、無意味な散華だった。こいつのせいで。
冷徹の瞳が、絶えずこちらを見据えている。
「そんな事態を二度と起こさぬために、この一年でありとあらゆる対策を講じた。計画を修正し、情報をさらに精査した」
「だから、お前を信じろと? ふざけたことを言うな!」
レンの大切なものを、なにもかもを奪って、壊してきたくせに。いったい、今さらそんなやつの何を信じろというんだ。
だいたい、母さんさえも守れなかったくせに。そんな父を、レンはどうやって信じればいいというのか。
「レンも司令も、やめてください」
グレンがその場を退くと、見えてきた彼女の顔は、困惑に揺れていた。
「こいつが、エルゼを殺したんだ」
滾る激情を押し殺して、努めて冷淡にレンは告げる。
「全ては
今でも鮮烈に覚えている。一年前の春。レンは、
重い沈黙が、しばしその場を支配する。
最初に口を開いたのは、やはりリーナだった。
「……それでも。私は、しなければならないんです」
「なんで……!?」
見つめ返した先、リーナの顔には笑顔が浮かんでいた。安堵の表情だった。
「これが、私に課せられた使命なんです。私が生きている意味で、私に残された、唯一の務めなんです。……だから、」
一拍置いて。リーナは柔らかい、けれども確固たる意思の声で告げた。
「あなたの具申は受け入れられません。決して」
「ごめん」
軍病院を追い出されて、失意の中で帰った駐屯基地の食堂。夜の静けさが支配する中で、レンはイヴとフリットに対して頭を下げていた。
「俺、なんにもできなかった」
絞り出すような声が、食堂に響いては消えていく。
リーナの意思を――あんな、自死にも等しい作戦を、レンはついに撤回させることはできなかった。
それどころか、彼女の意思を、レンはさらに明確なものにしてしまった。迷いの部分を、断ち切らせてしまった。
……守ると、誓ったのに。おれは、いったい何をしているんだろう。
「や、やめてよ。頭上げて」
「別に、お前のせいであいつが行くわけじゃあねぇんだ。謝んな」
気遣うような声が、頭上から振りかけられる。優しい言葉が、失意の心にはなおのこと痛かった。
レンが駐屯基地を出たあと、二人も指令書の内容は読んでいた。
リーナが、明日付で第二特戦隊を離隊すること。それと同時に、たった一人の特別挺身隊へと入隊すること。リーナが一人で〈
目の前で戦うリーナを、けれど一切の手出しが許されない、無慈悲な作戦指令。いくら必要な行動だからとはいえ、それは三人にとっては断じて納得のいくものではなかった。
だから。
たとえ、リーナの意思を変えられなかったとしても。作戦を撤回させることができなかったとしても。ただ、彼女の死を座視する気は全くなかった。
短く深呼吸をして、レンは顔を振り上げる。
朱色の瞳に決意の炎を宿して、レンは言葉を紡ぐ。
「俺、やっぱりリーナには死んで欲しくないんだ」
察して、二人は無言で頷いてくれる。
「おれは、リーナにこれからも一緒に生きていてほしい。俺
二人の目を交互に見つめて、レンは告げた。
「二人とも。協力、してくれないか?」
リーナを死なせないために。これから先も、一緒にいられるように。そう、言外に伝えていた。
しばらくして、そのことが伝わったらしい。二人はにこりと笑った。
「もちろん、言われなくても」
「で。具体的には、どうするんだ?」
「内容は夕食でもつくりながら話すよ」
「あぁ、夕食ならもう俺たちで作っといたぜ」
え、と声を漏らすのに、イヴははにかむように笑う。
「さすがにレンほど美味しくはできなかったけど……。それでも、ちゃんと美味しいはずよ」
†
作戦当日は、雲の切れ目から青い日差しが差し込む微妙な空だった。
梅雨時期に特有の生暖かい朝風の中。広大な飛行場からは、爆装を施した戦闘機が次々と離陸していく。十二機によるV字編隊を組み終わった編隊から、ただ一点、北西方向にある赤い空へと向かって進軍していく。
それらの次に発進していくのは、双発の爆撃機だ。弾倉には大型のロケット弾を抱えて、戦闘機隊の後を追随していく。
そして。それと同時に、
第二陣の一部隊、中央打撃群の輸送機の一つで。レンたち第二特戦隊と
第二特戦隊と特別挺身隊。つまりはレンたちとリーナの部隊は、敵地深奥にある目標地点――〈
目的地へとたどり着くまでは、空軍部隊と
『あと数分後にはこの機体も発進しますんで、各自ベルトは付けといてくださいね』
機内通信から、
「怪我、大丈夫なのか」
「戦闘に支障はありません」
振り返ることもなく、帰ってくるのは、素っ気ない返答だ。
己の感情を極力排した、冷徹の声。
「そうか。なら、よかった」
あえて、レンも素っ気ない声音で返していた。
今は、お互い感情に波風を立てているような状況ではないのだ。
敵は〈
機内通信から、
『では、定刻になりましたんで、これより本機も離陸を開始します』
次の瞬間、ふわっとした感覚がレンたちを襲った。
離陸したのだ。
『離陸成功。これより、本機は中央打撃群の編隊に入ります』
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