第11話 〈幻影の嵐〉作戦

 先程送付された〈集結地シェオル〉の掃討作戦――作戦名〈幻影の嵐Phantom Storm〉の資料を紙面でコピーして。リーナは険しい面持ちで一階の食堂へと向かう。

 階段を降りて、そこに居た四人はもう夕食を食べ終わっていた。


「ん? 今日は降りてくるの遅かったな?」

「何か急な業務でも入ってたんですか?」

「えぇと。まぁ、そんなところです」


 レンとレイチェルが訊ねてくるのに、曖昧な笑顔をつくって返事をして。リーナは四人が座る席へと近寄る。机に資料を置いて、硬い口調で告げた。


「先程、司令部より〈集結地シェオル〉の掃討作戦が発令されました」


 その宣言に、一同はしんと静まり返る。暫しの沈黙ののち、静寂を破ったのはフリットだった。


「……そのうちくるとは思ってたが。思ってたより早かったな」

「それに関しては私も同意見です。……ですが。そうも言っていられないようでして」


 資料をめくって、作戦概要の地図を示して。リーナは作戦説明へと移る。


「今回確認された〈集結地シェオル〉の地点は、アルフェン山脈ふもと、レクス回廊のすぐそばに位置しています。私達の目標はこの〈集結地シェオル〉を掃討して、〈奈落の門タルタロス・ゲート〉への連絡路を確保することです」


 アルフェン山脈はアティルナ共和国と旧ヴァールス王国との国境線に位置し、平均標高が四〇〇〇メートルほどもある大きな山脈だ。しかし、レクス回廊付近だけは渓谷けいこく地帯となっており、ここでのみ大規模な兵力の移動が可能となる。


「この〈集結地シェオル〉は今日の発見時点でかなりの規模を有しており、〈ティターン〉の大群たちがいつ攻勢を開始してもおかしくありません。一週間後に全面攻勢を控えている今、これは早急に討たなければならない危険事項であり脅威です。放置すれば、最悪の場合北西戦線での攻勢作戦を中止せざるをえない状況に陥ってしまいます」

「……それは、やべぇな」


 神妙な顔でフリットが言うのに、リーナは深く頷く。

 レクス回廊付近の確保を目的とした北西戦線の攻勢は、今後の作戦展開においても極めて重要なものだ。中止など絶対にあってはならない。


「山脈を迂回してでの進撃が不可能な現状、レクス回廊は唯一〈奈落の門タルタロス・ゲート〉へと突入できる地点です。この地域だけは、絶対に人類圏として確保しなければなりません。もし、この地域が浄化されたり、ましてや奪還に失敗したりすれば」


 少し、言い淀んで。リーナは断言を込めて告げた。


「それは、人類の敗北を意味します」


 言ったきり。食堂には再び重い静寂がたちこめる。

 唯一の連絡路。それはつまり、ここを失えば全ての元凶である〈奈落の門タルタロス・ゲート〉には辿り着けなくなるということだ。〈ティターン〉が増加し続ける。そんな未来だけは、絶対に避けなければならない。

 極めて重要かつ危険で、けれどもそのリスクを背負わなければ自分たちだけでなく人類そのものが死に絶える。


 この災禍の元凶である王家リーナはともかく、ただの少年少女には重すぎるな、とリーナは思う。本来ならば背負う必要のない重苦を、私が弱いばっかりにみんなに背負わせてしまっているのだから。


「放っておいたら、危険なのはわかるけど。……でも。だからって、いくら何でも私たちだけでだなんて…………」


 不安げに言葉を紡ぐイヴに、リーナは何も答えられない。相手は〈ティターン〉の大群で、それも味方の援護が一切期待できない敵地での戦闘になるのだ。彼女の怯えは当然だし、無理もない。


「イヴ……」


 レイチェルが慰めようとして、けれども言葉が続かずにそのまま消えていく。

 重い沈黙を破ったのは、吐き捨てるようなレンの言葉だった。


「それが、共和国のやり方だからだ」


 真紅の瞳をきっと細めて、レンは憎々しげに言葉を吐き出していく。


「俺が前の部隊に居た時からアイツらはそうだった。危険な場所だから。早く討たなきゃなんないからって、ろくに情報も集めずに危険な作戦を押し付けてくるんだ」

「なんで、そんなことを、」


 レイチェルがおずおずと訊くのに、レンはわらう。激情の炎を瞳に湛えて。


「共和国の奴らにとって、俺ら紅瞳種ルファリアは……、いや、ヴァールス王国の人間は人類の敵だからな。雑に使い捨ててもいいって思ってんだろ」

「それは、違うのではないでしょうか」


 たまらず、リーナは口を挟んでいた。

 いくら作戦が危険なものだからといって、流石にそれは言い過ぎだ。


「……何が違うんだ?」


 憎悪の炎で向いてくるのに、リーナは毅然とした態度で言葉を返す。


「現状、魔術を以前のような形で使えるのは私達紅瞳種ルファリアの人間だけです。いくら機甲部隊や航空隊が魔力付与エンチャントをしたとしても、私達ほどの戦力ちからは生み出せません」


 いくら魔力付与エンチャントの技術が発達していようが、所詮それは魔術を排した魔力の使い方だ。数千年をかけて極限まで効率化された魔術には遠く及ばない。

 そして。その魔術が紅瞳種ルファリアにしか使用できない以上、少数での潜入作戦でリーナ達を頼ることになるのは当然だ。他の人では、やりたくてもできないのだから。


「だからって、俺たちを捨て駒みたいに使って雑な作戦を押し付けてもいいと? 仕方ないって、アンタはそう言うのか?」

「そうではなくて! ……どうして、そんなふうに考えてしまうんですか!?」


 思わず、苛立ちのこもった声がこぼれ出た。どうしてそう、共和国軍を悪の化身かのように言うのか。リーナには分からなかった。

 救援に行った部隊からの感謝状は、この一ヶ月で三十通以上も届いている。共和国人の全員が紅瞳種ルファリアを蔑んでいるのではないのだと、彼も知っているだろうに。

 リーナの抗議も虚しく、レンの口は止まらない。


「だいたい、司令長官のアイツもアイツだ。無理な作戦を押し付けられてばっかで、いったい何をしてるんだ。上から来た作戦をそのまま俺たちに流すばっかで、何も助けちゃくれないじゃないか!」

「それは……、仕方ありません。司令長官は紅瞳種戦術義勇軍RTVFに対する指揮権こそ有してはいますが、それに実質的な権限はありません。司令長官には、国軍本部からの作戦には何一つ要求することが許されていないんですから」

「それは! ……分かってるけどさ!」


 だからって、納得できるわけじゃないだろう。そう、彼の瞳は言外に物語っていた。

 彼の言い分も、分からないわけではない。共和国が紅瞳種ルファリア人からあらゆる権利を剥奪したのは事実だし、それを何とも思っていない人が多いこともやはり事実だ。

 けれど。だからって自分たちには人権がないのだと思ってしまえば、全てが終わる。諦念を持ってしまえば、この体制は二度と変えられなくなる。

 〈奈落の門タルタロス・ゲート〉を、紅瞳種ルファリアが破壊する。それ以外に、紅瞳種ルファリアが生き残る術はないのだ。司令長官はそれを分かっていて、だからこそ〈幻影の嵐PS〉作戦を第二特戦隊へと託した。紅瞳種ルファリアの人々を守るために。


 はぁ。とレンは大きく息を吐いて。舌打ちすると、無言で食堂を去っていった。

 残った沈黙の空間を、リーナは何とか和まそうと声を明るくして告げる。


「では、これで明後日の作戦についてのお話は終わりですので、皆さんは解散で構いませんよ。……あ、ただし。作戦開始までにはこの資料に目を通しておいてくださいね?」

「わ、分かりました」

「オーレンキール少尉とラインハート少尉も、よろしくお願いしますね?」

「あ、ああ。わかってる」

「……ええ」


 二人の応答に、リーナはおおげさにこくりと頷いて。張り付けた笑みを向けて、まくし立てるように言葉を紡いだ。


「では、私はもう少し仕事が残っているので、これで失礼しますね。お夕食は……、後ほど頂きます。食器洗いはちゃんとやっておきますので、今日はゆっくり休んでください」


 一息で言い切ると。リーナは逃げるようにしてその場を去った。





「……レンのやつ、どうしたんだろうな」


 レンとリーナが二人揃って食堂を出て。残されたフリットは、訝しげに言葉をもらす。


「らしく……ないですよね。あんな、屁理屈みたいなことで怒鳴るだなんて」


 レイチェルの呟きにも戸惑いの感情が含まれていて、まぁ、そうだよなとフリットは心中で呟く。

 少し激情家なところはあるものの、この一ヶ月間、レンが怒鳴ったりしているのは部隊のみんなが危険になるようなことだけだった。彼の気持ちは分からなくもないが、とはいえ、今日のあれは少しめちゃくちゃだ。随分とらしくない取り乱し様だった。


「司令長官……、確か、グレン・って人だったわよね」

「……ああ、そういうことか」


 イヴの言葉に、フリットは合点がいったというように渇いた笑みを浮かべる。

 春星花ブローディアの名は、ヴァールス王国の国民ならば誰もが知っている。王家直属の、由緒正しき騎士の家系だ。数百年前に王家が直接下賜かしした苗字であるために、庶民の間でこの名前が使われることはまずない。


「身内、かねぇ?」

「そう考えるのが普通だと思う。……ブローディアだなんて名前、そうそういないわよ」

「それに、レンの前の部隊って全滅、してましたよね?」

「……ああ。それもあったか」


 はぁ。と、フリットは頭を抱えて大きくため息をついて。心底面倒臭げに、その赤い瞳を細めさせる。


「なんか、色々と面倒な関係に巻き込まれたっぽいなぁ」


 フリットが言うのに、イヴとレイチェルも無言の肯定を返すばかりだった。 

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