第19話 〈生命の樹〉

 それから数日後。無事に申請していた補給物資が届いて、昨日の夕方にはケーキの材料も何とか到着して。夏至祭の開催に向けての準備は、着実と進んでいた。

 今日も防衛線からの救援要請で出撃して、全員無事で夕方までを戦い抜いて。いつも通りのあかいろに染まる薄暮の空をゆっくりと飛びながら、レイズフォード駐屯基地へと向かっている時だった。


「……最近、ちゃんと寝れてるか?」


 いつの間にか近くに来ていたレンが、訝しげな表情で訊ねてくる。その問いに、リーナは何とか笑顔を取り繕って答えた。


「ええ。ちゃんと睡眠はとっていますよ?」

「嘘つけ。今日の戦闘、危なかったぞ」


 見透かしたような真剣な表情と声色で追及されて、リーナはしばし押し黙る。

 さっと目を伏せて、観念したように小さな声で呟いた。


「……すみません」


 いつの間にか随分と嘘が下手になってしまったな、とリーナは胸中で苦笑いを浮かべる。

 彼の言う通り、最近は〈春の目覚めスプリング・アウェイキング〉作戦で入手した情報の分析だったり、夏至祭の準備だったりであまり眠れていなかったのだ。


 自分では戦闘に支障はないと思っていたが……。どうやら、気付かないうちに彼らには迷惑をかけてしまっていたらしい。全員の命を預かる身として、部下たちに不必要な負担を与えていたのはあるまじき失態だ。

 罪悪感に俯くリーナに、レンは苦笑したように笑う。


「情報分析が大事なことなのは俺も分かってるけどさ。けど、それであんたが怪我でもしたら元も子もないだろ? ましてや、俺たちの負担になっちゃ本末転倒だ」

「……」


 宥めるような口調の言葉に、リーナは全く返す言葉がなかった。思わず、自嘲の笑みがこぼれ出る。

 危険を遠ざけるために情報分析をしているのに、それが原因で彼らに負担を強いてしまっていてはまるで意味がないではないか。彼の言う通り、本末転倒でしかない。


 とはいえ、どちらかを疎かにすることなどはできないし。とリーナは胸中で呟く。

 どうしたものかとしばし考えて。リーナは、レンの瞳を真摯に見つめ返す。


「では、今日の準備は中尉、あなたに一任してもよろしいでしょうか?」


 どちらも疎かにできないのならは、私にしかできないことに集中しよう。それが、リーナの出した結論だった。

 幸い、ケーキはレン一人でも作ることができる。久しぶりのお菓子作りができないのは残念だが、だからといって情報分析を士官教育のない部下にやらせるわけにはいかないのだ。隊長として、ここは己の楽しみよりも優先すべきことをやるべきだ。

 一瞬の暗い表情を見抜いてか、レンはにっと無垢な笑顔をつくって言う。


「任せとけって。今日はちゃんと寝て、明日、一緒に飾り付けしようぜ」


 その言葉に、リーナは今度こそ偽りのない笑顔で答えた。


「はい!」





 駐屯基地へと帰還して、そこでレン達とは一旦別れて。二回の執務室にある通信モニターの画面を見て、リーナは目をしばたたかせる。


「……不在着信?」


 そこには、司令部からの一通の不在着信が表示されていた。時刻は今から数分前。恐らく、リーナたちが帰還してくる時間帯を見計らったものだろう。

 とはいえ、司令部から直接通信をかけてくるのはこれが初めてだ。何かあったのだろうかと首を傾げながら、リーナは司令部へと通信を繋げる。

 三コール目で、通信は繋がった。


「……! こちら第二特戦隊隊長、エルリーナ・エーデルヴァイス大尉です。つい先程司令部よりこちらに着信があったようですが、なにか急用でもあったのでしょうか」


 リーナの問いに、ブローディア司令は淡々と、けれども彼にしては珍しく僅かに感情のこもった声音でそれを告げた。


『本日午後二時、君達に明日出撃の緊急任務が下達、発令された』




  †




 一通りをコピーした書類を抱えて、大急ぎで食堂へと向かって。そこで夕食前のみんなを集めると、リーナは明日出撃の緊急任務――〈勇者の弓矢ブレイヴ・スパロー〉作戦についてのブリーフィングを始める。


「では、本題に入る前に、まずは今回の作戦が発令された経緯から説明します」


 全員に見えるように司令書を開いて、リーナは硬い声音で続ける。


「現在、旧ヴァールス王国領は〈生命セフィロトの樹〉と呼ばれる巨大な魔力紋様によって全域が浄化され、人類はおろか、〈ティターン〉以外のあらゆる生命体が生存できない状態になっているのは、みなさんもご存知だと思います」

「……ああ」


 重い沈黙が渦巻く中で、レンが全員を代表してこくりと頷く。

 六年前、神との契約に失敗したその日。レンたちの祖国であるヴァールス王国は、首都のフェアシュプレを中心としてそのほとんどが浄化された。


 結果、王国だった地域は穢れなき純白の大地と化し、そこに住んでいた人々も同じく浄化されていなくなった。

 今、レンたちの祖国にあるのは、穢れなき純白の大地と、浄化の発生と同時期に現れた〈奈落の門タルタロス・ゲート〉。そして、それを中心に広がる紅い空だけだ。


「この六年間、浄化の範囲は徐々に拡大し続けており、一ヶ月後には共和国との国境付近にまで到達すると予想されていました。……ですが、」


 そこで、リーナは一枚の写真を内胸ポケットから取り出して、机に置く。

 その写真に一同が絶句する中で、彼女は淡々と告げた。


「先日、共和国空軍の偵察隊が撮影したアルフェン山脈の峡谷地帯――つまりはレクス回廊にあたる地域の写真です」


 リーナが提示した写真には、地平線の彼方から続く純白の大地が、旧国境検問所付近にまで広がっている光景が映し出されていた。

 空の色はまだ青色だから、そこまで浄化の度合いは高くはないけれど。それでも、浄化されていることに変わりはない。


「……もう、こんなに浄化が進んでるのか」


 やっとのことで絞り出した言葉が、それだった。

 浄化の原因であると考えられる〈生命セフィロトの樹〉は、一年前までに第一特戦隊によって〈神の真意ダアト〉を残して破壊された。それによって浄化の速度は六年前のそれよりも大幅に遅くなっていて、だから共和国軍もその速度に合わせて最終決戦ロンギヌス作戦の準備を進めてきたのだ。

 なのに。なぜ、今になって浄化が急速化したのか。

 募る疑問は、次に提示された写真によってすぐに判かった。


「そして。浄化が急速化した原因と思われるものが、これです」

「――〈セフィラ〉!?」


 置かれた写真に、レンは思わず声が出ていた。

 四枚の純白の翼を携えた、巨大な人型の生命体。その姿に、レンは酷く思いあたりがあった。


「……やはり、中尉は一度見たことがありましたか」


 目を細めるリーナに、レンは苦虫を噛み潰したような表情で言う。


「……〈慈悲ケセド〉、だろ?」


 こくりと無言の肯定を返して、リーナは続ける。


「先程、私は〈生命セフィロトの樹〉は巨大な魔力紋様だと言いました。しかし、厳密に言うと〈生命セフィロトの樹〉は、全部で一一個の〈セフィラ〉と呼ばれる小さな魔力紋様から成り立っているんです。……これについては、私よりも中尉の方がよく知っているのではないでしょうか?」


 ちらりと視線を振られて、レンは司令書の余白に六角形を描き始める。それに全員が注目するのを確認しながら、言葉の続きを引き取った。


「……〈生命セフィロトの樹〉は、〈奈落の門タルタロス・ゲート〉を中心として一一個の比較的小さな魔力紋様から成り立ってる紋様だ。この一一個の魔力紋様のことを、共和国は〈セフィラ〉と呼んでる」


 六角形のそれぞれの角と、左右の直線に一つずつと。そして中央にもうひとつ線を引いて、そこに三つ、黒点を描く。この黒点の位置に、〈セフィラ〉は存在する。 


「それで、この〈セフィラ〉にはそれぞれに魔力紋様を守る守護者がいる。その写真に映ってる巨人は、東側の線の真ん中にある〈セフィラ〉――〈慈悲ケセド〉って呼ばれてるやつの守護者だ」


 アルフェン山脈の峡谷地帯を直進すると、丁度進撃路上に出現するのがこの〈慈悲ケセド〉の地点だ。恐らく、進撃路の事前偵察の際に偶然発見したのだろう。


「こんなやつが、あと十体もいるの……?」


 写真に目を向けたまま、イヴはぽりつと呟く。

 レンは首を横に振った。


「いいや。〈奈落の門タルタロス・ゲート〉と同化しちまってる〈神の真意ダアト〉以外は、俺たち第特戦隊が一年前までに全て倒したはずだ。光の十字架が出てたのも覚えてる。……んだけど」


 そこで、レンは視線を落とす。察して、レイチェルがあとの言葉を続けた。


「どうしてか復活している……ということですか」

「まぁ、そういうことだ」


 苦笑を顔に浮かべながらも、レンの胸中には酷い虚無感が渦巻いていた。

 あれだけ苦労して、大切な人すらも喪って。大きな犠牲の果てに倒したやつらが、どうしてか復活している。その現状は、レンにはどうしても信じたくない事実だった。

 感情を抑えたリーナの声が、淡々と食堂に響く。


「復活した経緯も、その他の〈セフィラ〉が復活しているのかも現状は不明です。ですが。少なくとも、この〈慈悲ケセド〉は倒さなければ、〈奈落の門タルタロス・ゲート〉には辿り着けません」


 浄化という障害がある関係上、〈運命の聖槍ロンギヌス〉作戦は早期決着が必要とされる。そして。それを達成するためには、直進上にある〈慈悲ケセド〉の撃破は必要不可欠なのだ。

 つまり。それが意味するものは。


「この作戦を成功させないと、俺たちに未来はないってことか」

「……そう、なります」


 フリットの呟きに、リーナは苦渋のこもった声で答える。

 今回の発見によって、〈運命の聖槍ロンギヌス〉作戦が前倒しで発動されることになるのはほとんど確定事項と言っていいだろう。


 レクス回廊が浄化されてしまえば、旧ヴァールス王国領に展開できる戦力はさらに少なくなる。そうなれば、犠牲を前提とした突進作戦はさらに困難を極めることとなり、それだけ作戦の成功率も低くなるのだ。

 現状ですらも成功確率が決して高くないと考えられている以上、これ以上の成功確率低下は容認できないはずだ。

 再びこちらに視線を向けて、リーナは言う。


「ブローディア中尉、〈慈悲ケセド〉についての情報はあなたが一番正確なものを持っていると思います。申し訳ありませんが、今日中に〈慈悲ケセド〉についての情報を書類にして提出してくれませんか?」

「了解。片付けが終わり次第すぐに取り掛かる」

「助かります」


 こくりと頷いて、リーナはぐるっと一同を見渡す。小さく深呼吸をして、彼女は告げた。


「〈勇者の弓矢ブレイヴ・アロー〉作戦の開始時刻は、明日の午前一一時。後方の〈ティターン〉が前線へと到着するのを待って、レクス回廊付近の敵攻撃部隊を突破。敵地後方へと侵入し、〈慈悲ケセド〉を破壊します。……明日の作戦は、これまでとは違い浄化世界での戦闘となります。何が起こるかは分かりませんので、今まで以上に周囲警戒をしつつ戦闘に臨んでください」


 総括の言葉に、一同は了解と頷き返して。


「以上、〈勇者の弓矢ブレイヴ・アロー〉作戦についてのブリーフィングを終了します。詳細については、各自で司令書に目を通していてください」


 それを合図に、緊急で始まったブリーフィングは終わりを告げた。

 ばらばらとみんなが詰めていた息を吐く中で、先程とは打って変わって柔らかい声音のリーナが訊ねてくる。


「中尉、夕食の準備はまだもう少しかかりそうですかね?」

「調理はもう終わってるから、温めなおすだけだね。五分もあれば終わると思う」

「では、今日は久しぶりにみなさんと一緒に待ちますね」


 無垢な笑顔でそう言うのに、レンの顔にも自然と笑みがこぼれ出ていた。


「今日のは厚切りのビーフジャーキーを入れてるからね。いつもよりも食べ応えあると思うよ」

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