第四章 穢れなき戦場の中で
第18話 夏至祭
アルフェン山脈沿いまでの攻勢作戦が成功に終わり、いよいよ旧ヴァールス王国領への攻勢作戦が間近に迫ってきていた、六月上旬の夕方。
その日も救援要請に応えて出撃して。全員無事で戦闘が終わって、日が落ちるころにレイズフォード駐屯基地へと帰還するさなか。
眼下の後方駐屯基地に緑の
『そういや、もうそろそろ夏至祭の時期か』
夏至祭。六月の下旬ごろに行われる、世界各地で開催されるお祭りのことだ。
共和国においては、本来の意味である神への信仰と感謝は失われているが。それでも、年に数回の祭事として、飾り付けられたポールだけがその名残りとして残っている。
『一ヶ月後には人類の存続をかけた大作戦があるってのに、呑気なもんねぇ……』
半眼でイヴが呟くのに、レンは言う。
「控えてるからこそ、やるんだろ」
一ヶ月後に控える大攻勢――〈
「旧ヴァールス王国領は、既に全域が浄化された地域だ。〈浄化〉作用にある程度対応できる俺たちと違って、普通の軍人にとっちゃ死地でしかない」
生身の人間の場合、浄化された地ではどれだけ長く耐えたとしてもせいぜい半日しかもたない。その上、〈
「そんな作戦が間近に迫ってるんなら、今できる楽しみはやっておこうって思わないか? 死ぬ前に、後悔しないように……ってな」
どうせ死ぬのならば、楽しい記憶は少しでも多い方がいいに決まっている。
もっとも。この考え方も言葉も、全部
苦しいことばかりを考えるんじゃなくて、少しでも楽しいことを見つけて生きよう。そういう姿勢はいかにも姫様らしくて、レンは好きだ。
『まぁ……確かに?』
『なんだ? それは誰かの受け売りか?』
「そうだよ! 悪かったな!」
不貞腐れたように言い捨てるのに、くっくとフリットが笑う声が聞こえてくる。どうも、レンの思考は彼にはお見通しらしい。
それきり会話は途切れて、耳には士官たちの叫び声と風の音だけが鳴り響く。
『なら、私達もやりませんか? 夏至祭』
突然、リーナがそんなことを言い放った。
言葉の節々に無邪気な上機嫌さを感じ取って、レンは肩を竦める。
「別に反対はしないけど……特別になにかできるような食糧の余裕はないぞ? 前に貰ったジュースとかはもう飲み切ったし」
『それについては大丈夫です。私がなんとかしますので』
自信ありげに言われるのに、レンは目をしばたたかせる。
いったい、どういう打算があってなんとかすると言っているのだろう。
疑念を抱くレンを傍目に、レイチェルの楽しげな声が通信機に響く。
「なら、決定、ですね!」
「――以上のことから、この行事を私達が開催することは極めて合理的かつ有効な行動であると思われます。……司令、どうか、追加補給の申請許可を」
今日の戦闘の口頭報告を終えて、司令部からの通達も聞き終わって。
しばし、ブローディア司令は沈黙して。いつもの無感情な口調で言う。
『……確かに、君の言う通り「夏至時期における催事」の開催には、部隊の士気向上や結束力の強化が期待できる。……しかし、』
続く言葉を遮って、リーナは抗弁する。
「先の〈
一度、短く息を吸って。凛然とした声音でそれを告げた。
「以上の功績から、私達には追加補給を要求する権利があると思われます。ここまでの活躍をしてもなお、報奨がないと周知されれば、
ブローディア司令はしばしの間沈黙を貫いて。帰ってきたのは、いつもよりもほんの僅かに暖かみのこもった声だった。
『……大尉の申し入れは許可しよう。ただ。全ての要求に応えられる訳でないことを承知して貰いたい』
「……! はい!」
ぱあっと顔を明るくして、リーナは応答する。
勝算は十分にあると考えてはいたが。それでも、要求が通ったことはとても嬉しかった。
『明後日の補給申請期日までに、追加の申請品目を纏めて提出したまえ』
こくりと頷いて。リーナは見えない司令に敬礼を送る。
「了解しました!」
「……なにを、そんなに難しい顔をしてるんですか?」
夕食の支度中。隣で久しぶりに支給された葉野菜を切り終わったレイチェルに訊ねられて、レンはさも当然かのように言葉を返す。
「夏至祭、やるんだろ? なら、今からメニューは考えとかないと」
明後日の補給申請期日を逃すと、次に申請できるのは〈
実際につくれるかどうかはともかくして。それまでにメニューを決めてリーナに必要品目を申請しておかないと、夏至祭の時期には間違いなく間に合わない。
「とは言っても、そんな大それたことはできないんでしょ?」
〈
「まぁ、それはそうなんだけど」
アティルナ共和国は海洋を失って久しい上に、その他の嗜好品類に関しても生産の余裕がないために殆ど流通していない。
場合によっては、金よりも高値がついていたりすることもあるぐらいなのだ。仮に流通していたとしても、価格が高騰しすぎて
「あれ? まだ少し早かったですかね?」
聞き慣れた凛然とした声に、レンは朱色の瞳を振り向ける。丁度食堂へと入ってきたリーナは、どことなく上機嫌だ。
「あと十分ぐらいだし、丁度いいぐらいだね。……その感じだと、通ったんだ?」
「はい。明後日の期日までに申請書を提出しろと」
言いながら席へと座ると、そのタイミングで洗濯を終えたフリットが帰ってきた。
「お、もう隊長も来てたのか」
「ええ。今さっき来たところですけれど」
にこりと微笑むのに目線で笑顔を返して、フリットはレンへと顔を向けてくる。
「まだ時間かかりそうなら手伝うが」
「残念ながら今できあがったところだよ。……さ、早く席座って」
そう言って、レンはレイチェルと一緒に配膳を始める。今日の夕食は、じゃがいもと葉野菜のたっぷり入ったコンソメスープだ。
ビーフジャーキーも一緒に入れてあるから、普通のコンソメスープよりも旨味が増してより一層美味しくなる。限られた食糧品で少しでも美味しくなるようにと、試行錯誤して編み出した料理法だ。
〈
「そういや皆さん、甘い物って大丈夫ですか?」
雑談の中で唐突にリーナに訊ねられて、一同は困惑を交えつつも答える。
「俺は大丈夫だけど……、みんなは?」
「私も、別に嫌いじゃないけど」
「俺はいけるが」
「私も食べれる……というか、好きですけど。急にどうしたんですか?」
レイチェルの問いに、リーナは少し照れたような笑顔を浮かべる。
「レイチェルとオーレンキール少尉の誕生日が近いでしょう? 材料が手に入るかはまだ分かりませんが、できるのならケーキをつくろうかなと思いまして」
「私の誕生日、覚えててくれてたんですか……!?」
レイチェルが驚愕と歓喜の入り交じった嬌声を上げるのに、リーナは得意げな表情を浮かべてさも当然かのように答える。
「当たり前でしょう。私はあなた達の上官なんですから、ちゃんと全員分覚えていますよ」
そのままの表情を浮かべて、リーナは一人一人の顔を見つめて誕生日を次々と言い当てていく。
「レイチェルが六月二四日で、オーレンキール少尉が七月七日。ラインハート少尉は九月一五日で、ブローディア中尉が一二月二五日です」
「それで、リーナさんが一月一日、でしたよね」
付け加えるようにレイチェルが言って。にこりと、心底幸せそうな笑みを浮かべて、彼女は続ける。
「みんなの分も、全員でお祝いできたらいいですね」
その言葉に、一同は無言の肯定を返していた。
レンたちが居るのは戦場で、つまりは常に命を危険に晒しているような状態なのだ。こうして全員で夕食を食べて、笑って過ごせているだけでも奇跡に近い。
湿っぽくなった空気を吹き飛ばすように咳払いをして、レンは当初の話題へと話を戻す。
「……それで。話戻すんだけどさ。リーナはその肝心のケーキ、つくれるの?」
「技術的にはできなくはないのですが……、私にはあまりそれに割ける時間がなくて。できれば、ブローディア中尉の手を借りたいのですが……、よろしいでしょうか?」
申し訳なさそうに視線を向けて来るのに、レンは肩を竦める。
「断る理由もないしね。手伝うよ」
「……! 助かります」
ぱあっと表情が明るくなるのに、レンはますます苦笑をもらす。別に、そんなことは苦労のうちにすら入らないのに。
「じゃあ、いつも使う食材とかは片方の冷蔵庫に集めといた方が良さそうだな。ケーキは当日のお楽しみにしてた方がいいだろうし」
「……そういうの、当人がいる前で言っていいもんなの?」
イヴの苦言に、フリットはこともなげに応える。
「言わなきゃ事故るだろ?」
「まぁ……、それはそうなんだけど」
いまいち釈然としないらしいイヴをよそに、レンは言葉を続ける。
「なら、二番冷蔵庫の方にそれ用の食材とかは全部入れとくか。ケーキは……」
しばし、考えて。続けた。
「一番上の段に置いとこうか。前にパーテーション置いとけば見えないだろうし」
「ええ。それで大丈夫だと思います」
こくりと、右斜め前でリーナが頷くのが見えて。レンはにやりと笑みをこぼす。
「レイチェルは手届かないと思うけど……、二人とも、くれぐれも覗き見するんじゃないぞ?」
そんな売り言葉に、イヴは呆れたようにぼやく。
「ガキじゃあるまいし、やるわけないでしょ」
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