第一章 亡国の王女

第2話 亡国の王女

 アティルナ共和国首都、セント・アイギス。その一角にある陸軍士官学校では、第一八八期生による卒業式が行われていた。

 つどう人々の殆どは士官学校での勉強を規程通りの六年で修了した人たちで、つまりはその間をずっと一緒に暮らしてきた仲間であり戦友だ。

 これから戦地に赴く者から、陸軍幕僚大学へと進学して高級将校を目指す者まで。今年卒業の新米士官たちは、こぞって桜の舞い散る校門の前で談笑をしあっていた。


 そんな温和と平穏そのものの門前通路を、飛び級を重ねて三年で卒業した首席卒業の少女――リーナは一人で黙々と歩く。

 春を告げる心地の良い風が白銀の長髪を揺らし、陽光を反射してきらきらと煌めく。けれど。それとは対照的に、彼女の真紅の双眸は硬い光だけを湛えていた。


「ったく、なんでアイツが首席なんだよ……?」

「ほんと、それだけが俺らの恥だよな」

「そもそも、なんで人類の敵が共和国の士官学校になんざ通ってたんだ?」

「あんなんの部下になんて、死んでもなりたくねぇ」


 至る所から陰口や嘲笑が囁かれるが、リーナは何一つ反応しない。

 それこそが、ヴァールス王国の第二王女たるリーナの――エルリーナ・エーデルヴァイスが受けるべきとがだからだ。


 ……というのは建前で、実際のところ、もう慣れたからだ。流石に三年もそういったことに晒されていれば、嫌でも慣れる。士官学校を辞める訳にもいかないリーナは、そうした雑音を圧倒的な成績と鉄仮面によって叩き潰してきた。

 まぁ、そんな無為むいな戦いも今日で最後にはなるのだが。


 無意識のうちに拳を握り締めながら、リーナは桜と罵言の通路を足早に駆け抜けて士官学校を出る。校門を出て見えてきたのは、古風な煉瓦造りの街並みだ。

 首都とはいえ士官学校は郊外地区にあるから、この近辺は歴史的な建築様式がいまだに数多く残っている。


 現在、世界を席巻している異形の怪物ども――〈ティターン〉との戦争が始まってから六年。建築用の資材は殆どが軍備に費やされているのもあって、中央区以外の場所では建築の近代化が進んでいないのだ。

 交通信号が青に切り替わり、車道を渡ろうとしたところで、後ろから声をかけられた。


「貴様がエルリーナ・エーデルヴァイスだな?」


 あからさまな侮辱と軽蔑の声色に嘆息しつつも、リーナは振り返る。はたして、そこにはの士官軍服を着た青年がこちらを睨みつけていた。


 燻る感情をなるべく抑えて、リーナは淡々と応じる。

「……はい。そうですが」

「貴様には国軍特務部からの出頭命令が出ている。今から二時間後には出発時刻だ、遅れるなよ」


 不機嫌を隠そうともせずに、青年士官は手に持っていた紙袋を押し付けてくる。受け取って、リーナは困惑げに彼の瞳を見つめ返した。


「……えと。これは……?」

「指令書と貴様の階級章だ。そんなことも分からないのか、紅瞳種ルファリアは?」


 どうやら、彼は王国民――つまりは紅瞳種ルファリアと話すことすらも嫌悪の対象らしい。露骨に苛立つのを、リーナは軽く受け流す。

 どうせいつものことなのだ、一々気にしていては心がもたない。


「ありがとうございます」 


 張り付けた笑顔で軽く礼を言ってお辞儀をして。リーナは振り返る。そのままの足で、点滅する横断歩道を駆け抜けた。





 主幹道路から少し外れた住宅街の一角、二階建てアパートの一室が、現在のリーナが住んでいる家だ。

 部屋に入ってすぐさま鍵をかけて、そこではじめてリーナはゆっくりと息を吐く。質素と高貴の入り交じる調度品の数々が、自分だけの世界に戻ってきたことを如実に物語っていた。

 共和国の、それも首都のセント・アイギスともなれば、紅瞳種ルファリアへの差別意識はより一層と強い。いくら慣れたとはいえども、外では何をされるのか分かったものではないのだ。

 まして、本来ならば紅瞳種ルファリアの女なのだから、尚更に。


 ローファーを脱いで自室へと向かいながら、リーナは先程渡された紙袋からを取り出す。

 案の定、入っていたのはアティルナ共和国陸軍のの階級章だった。決して間違いなどではないことを、同梱された指令書は告げている。

 ……お姉ちゃんが徴兵された時はを拝命していたから、まさかとは思っていたけれど。

 何とも言えない微妙な感情に目を細めながら、リーナは階級章を机に置く。

 ともあれ、まずは正規軍の軍服に着替えなければ。そう思い直して、リーナは士官学校の制服を脱いだ。黒一色の女性用士官候補生制服も、今日で着納めだ。


 制服は適当にそこら辺へと放り投げて、下着とタイツだけの姿でリビングに置いていたビニール袋へと手を伸ばす。今朝、届いたばかりアティルナ陸軍の女性用士官軍服だ。

 袋を開けて、出てきたのは可愛らしいデザインのワンピースだった。どうやら、正規軍の女性用士官軍服は噂通りのデザインらしい。

 一通りを着終えて、着てみた感想は可愛いの一言に尽きた。布地こそ相応に丈夫なものではあるものの、普通にこの格好でも市街地を歩けそうなぐらいにデザインが可愛い。正直、本当にこれが正規軍の軍服なのかと疑いたくなるレベルだ。

 なるほど、これなら軍服に釣られて志願してくる者も多少はいるだろう。……まぁ。長年の戦争で軍も人手不足なのだから、まだ徴兵制が敷かれていないだけマシではあるが。


 机から階級章を掴んで、左首の布地へとそれを取り付ける。同梱されていた所属部隊の徽章きしょうを左胸に取り付けて、再び鏡の前へ出た。

 不備がないのを確認してから、ふと、リーナは棚に置いていた写真へと目を向ける。

 少しでもそれを見ていたくて、昨夜の準備でもキャリーバッグに入れていなかった写真だ。

 もう七年も前になる、アティルナ共和国への留学の前に撮った、家族写真。二度と戻らない過去。取り戻せないもの。

 決然と目を細めて、リーナは低く呟く。


「私は、使命を果たします。お姉ちゃん達のように」




  †




 天星歴二二五〇年、六月一二日。聖霊降臨祭ペンテコステの日。リーナが、姉と一緒に留学に出ている最中のことだった。

 その日、世界でも有数の魔術大国であったヴァールス王国は、ある一つの儀式によってした。

 五〇年に一度の、それも大掛かりな儀式なものの、有史以来は一度も失敗例のない、簡単な儀式のはずだった。

 これからも世界中で魔術を行使できるように、ヴァールス王と――エーデルヴァイスの民が神と契約を更新するだけの、なんてことはない儀式のはずだった。特に何かが起こる訳でもなく、そしてたった一日で契約は終了する。そんな儀式のはずだった。


 そうなる


 その筈なのに、儀式は失敗した。神との契約は半端な更新に終わり、以前のように魔術を振るえるのは紅瞳種ルファリアの――それも若い人々のみに限定され、儀式は変質の果てに暴走した。

 結果、儀式場のあったヴァールス王国首都フェアシュプレは異界の門を開く大きな紋章の一部と化し、その土地は住民諸共された。

 そして。その中には当然リーナの両親――ヴァールス国王と王妃もいた。


 一夜にして祖国が消滅したリーナ達紅瞳種ルファリアは、当初は憐憫の対象でしかなかった。国王の不手際によって帰る国を失い、魔術を使えなくなってしまった可哀想な人達なのだ……と。

 けれど。そんな状況は長くは続かなかった。

 魔術を失った人類を襲ったのは、異界の門――〈奈落の門タルタロス・ゲート〉を中心にして発生するようになった異形の生命体〈ティターン〉の大軍勢だった。

 〈ティターン〉の圧倒的な物量と暴威に、近代化の遅れていた国々は為す術がなく、次々と敗退。瞬く間に世界を席巻した彼らの殺戮さつりくによって、人類は滅亡の危機に瀕するまでになった。


 明確な人類の敵の出現に対し、唯一、まともに対抗できていたのがアティルナ共和国だった。ヴァールス王国の隣国でありながら、魔術を放棄し科学技術大国となっていたために、儀式の影響を殆ど受けなかったのだ。

 人類の叡智えいちと、唯一遺されていた魔力を駆使して、共和国は〈ティターン〉の攻勢に対抗。激戦の果てに防衛に成功した。

 しかし、戦闘が一段落した五年前に、抑圧されていた人々の不満は爆発した。


 世界がこんなことになってしまったのは、全て王国の――紅瞳種ルファリアのせいなのだと。俺たちがこんな戦争に付き合わされているのも、生活が苦しいのも。全てはなのだと。自国民の紅瞳種ルファリアでさえも敵視して。


 そして。その歪曲された憤懣ふんまんと憎悪は、ある一つの政策として発現されることとなる。



 国家防衛特別措置法。



 それが、共和国がたった一人の反対のみで可決した法案である。

 国家の――果ては人類の安全のために紅瞳種ルファリアの権利の一切を剥奪し、全てを共和国民の統制下に置く、というものだ。

 〈ティターン〉の電波妨害ジャミングもあって他国との通信が一切取れない中、それは粛々と、そして速やかに行われた。


 国籍は関係なく紅瞳種ルファリア人は全て強制収容所に送られ、そこで過酷な肉体労働か軍役かのどちらかを決められた。拒否権はあるはずもなかった。

 『王族たるもの、民草を守るのが使命であり、存在意義である』というエーデルヴァイス家の標語を逆手に取って、共和国軍はリーナ達をも徴兵した。


 まず姉のエルゼが徴兵され、その間にのみリーナに士官学校への通学が許された。

 そして。その姉も、一年前の攻勢作戦で戦死した。私が殺した。

 今までは、成績が首位だったために一年の猶予が許されていただけなのだ。これからはもう、誰かの庇護にはない。自分の手で敵を屠り、仲間を指揮しなければ、死ぬ。 

 使命を果たさなければならないのだと。姉の想いを継がなければならないのだと、もう一人の自分が告げていた。 

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