亡国王女とエーデルヴァイスの騎士

暁天花

序章 やがて来たる日々

第1話 やがて来たる日々

 空は、どこまでも絶望のあかだった。



 見渡す限りの底の見えない暗闇の中、原罪の深紅を背景にしてぽつぽつとしろい島が浮かんでいる。

 その一つで、黒髪の少年は隊長の少女と共に身を隠していた。


 身を隠した浮島は何もかもがけがれなき純白で、原罪の深紅に染まる空には、深淵しんえんの黒色が巨大な円弧を描いて悠然と佇んでいる。

 その深淵からは、周囲に群がる異形よりも遥かに大きな異形どもが這い出てきていて。深紅の空につどう異形の数は、刻々と増えていた。


 黒髪の少年から止血手当を受けつつもその状況を冷静に分析して、隊長の少女は言う。


「……君だけでも撤退して」


 けれど、言われた黒髪の少年は切羽詰まった様子でその言葉を跳ねのけた。


「何を言ってんですか姫様! 貴女はおれたちに必要な人なんです! こんなとこで死んじゃ駄目だ!」


 真紅の瞳を冷徹に細めて、少女は淡々と事実を告げる。


「この身体じゃ、〈奈落の門タルタロス・ゲート〉を壊すことも、〈神の真意ダアト〉を消し去ることもできない。……この作戦は、失敗したんだ」


 〈奈落の門タルタロス・ゲート〉。それは、人類を絶滅の危機に追いやった異形どもの発生源だ。そして、それを破壊する事が叶わなくなった今、ここに生きた人間が留まる意味はない。早急に撤退しなければ、異形と純白に飲み込まれるだけだ。

 しかし、黒髪の少年は止血の手を止めずに毅然と言い返す。


「おれは薄雪エーデルヴァイスの騎士です! 貴女を守るのがおれの役目で、存在意義なんです! それを見捨てろだなんて……できませんよ!」


 悲愴な声に、少女は困惑げに眉をひそめて苦笑する。


「君には、このことを人類に伝える義務があるんだよ。……それに。君がいなかったら、いったい誰がボクの妹を守ってくれるのさ?」

「けど……!」


 少年の曇る顔に心を痛めつつも、少女はそれを押し隠す。短く深呼吸をして、冷然と言い放った。


「……ヴァールス王国王女、エルゼシュネー・フォン・ヴァールス=エーデルヴァイスよりレン・リッター・ブローディアへ命ずる。貴官は直ちに止血手当を中止し、人類圏まで撤退せよ」

「っ…………!?」


 驚愕の表情で押し黙る少年に、姫様隊長の少女は冷徹な声音のまま問う。


「レンくん。君は、君主の命に背くの?」


 少年は悲愴に顔を歪めて、再び顔を伏せる。胸の奥で燃える激情を何とか抑えて、少年は訥々とつとつと言葉を紡いだ。


「……いいえ。騎士は、姫様の仰せのままに動きます」


 そんなレンとは対象的に、隊長の少女は傷だらけの顔ににっと笑みを浮かべる。王家の血筋を感じさせる、誇り高き意志と白銀の髪。


「それでいいんだよ、レンくん。民草を一人でも多く守るのが、王家たるボクの使命だ。……を、ボクは生みたくないからね」


 真紅の瞳に真剣さを灯して、少女はしろい大地に剣を突き立てて立ち上がる。左手には、一丁のライフル銃が携えられていた。異形どもをほふるのに最も効率的な、魔術式銃だ。

 茫然とするレンに、隊長の少女は苦笑する。


「心配せずとも、君の撤退路を創り出すぐらいの力はまだ残ってるよ。……射撃と同時に、射線の後を全速力で突っ走って。わかった?」


 こくりと頷いて。レンも立ち上がる。

 緩く目を閉じ、自分の中にめぐる魔力を一点に集中させる。直後、それを記憶術式の一つへと浸透させた。

 刹那、術式が起動し、レンの身体は宙に浮かび上がる。

 飛行魔術の術式を発動したのだ。これで、いつでも動く準備は整った。


「……いつでもいけます」

「了解」


 短く、応答して。隊長の少女――エルゼは残る力を振り絞って魔力を銃へと注ぎ込む。その力が臨海に達し、撃鉄を引く直前。エルゼは二人だけに聞こえる声で呟いた。


「妹をよろしくね」


 直後。発射。

 極限まで増幅された銃弾は極光を描き、絶大な魔力が恐るべき破壊の光となって射線上の異形どもを纏めて消し飛ばす。光の十字が空を彩るさなか、レンは光条が消えるのと同時に全速力でそこへと飛び込んだ。

 二度と、背後を振り返ることもなく。

 君主エルゼを、原罪と浄化の世界に見捨てて。

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