第7話 レン・ブローディア

「え?」


 いったい。今。何が。

 思いもよらない事態に呆気にとられていると、突然、隣から怒号が飛んできた。


「周囲警戒もまともにせずに敵中に突っ込むやつがあるか!」


 声のした方へと視線を向けて、いたのは黒髪赤瞳せきとうの少年だった。着ている服はリーナ達と同じアティルナ陸軍の正規軍の軍服で、左胸には第二特戦隊に特有の薄雪草エーデルヴァイスの花をあしらった徽章きしょうが取り付けられている。襟の部分の階級章は、中尉だ。

 ……もしかして。彼が。


「あ、あなたって……?」


 言いかけて。彼の苛立ちの混じった声がリーナの言葉を遮る。

 

「話はあと! まずはこついらを片付けるのが先だ!」


 迫る〈哨戒鳥種ポーラス〉を正確な射撃で撃ち落としながら、彼は言う。


「アンタは右の編隊をやれ! 中央と左の編隊はおれがやる!」

「なにを……!?」

「いいから! 分かったな!?」

「りょ、了解しました……?」


 有無を言わせぬ圧倒的な気迫に、リーナはたじろぐ。一応、この戦闘での最上官は私なのだけれど。どうやら、彼はそれを認識していないらしい。


「ちゃんと周りも見て動くんだぞ! 分かったな!」


 言い捨てて。黒髪赤瞳せきとうの少年は左の〈天竜種ヒュペイオン〉編隊へと突撃していった。

 ……なんだか、嵐みたいな人だったな。

 胸中でそう呟きながら。リーナは指示された通りに右の編隊へと突撃していった。





 左翼に展開していた〈天竜種ヒュペイオン〉の個体防壁を射撃と突撃の合わせ技で突破し、そのままの勢いで本体へと〈魔術式銃剣カルンウェナン〉を突き刺す。〈魔術式銃クラウソラス〉を零距離射撃で撃ちながら、レンは苛立ち混じりに吐き捨てた。


「ったく、何やってんだよあのバカ王女は……!」


 士官学校ではぶっちぎりの主席で卒業したと聞いていたから、どんな戦闘をするのかと思ってみれば。まさか、仲間を置いて単騎突撃に出るとは思わなかった。

 それも、射撃武器もなしに、だ。〈魔術式剣アロンダイト〉を駆使しての突撃戦法自体は彼女の姉もやっていたとはいえ、初陣でやるのは流石に無茶が過ぎるだろう。実際、レンが周囲の〈ティターン〉を掃討していなかったら彼女は間違いなく死んでいた。


 ……遺された命をそんな風に散らすだなんて。そんなの、絶対に許すもんか。


 巧みな機動で〈天竜種ヒュペイオン〉の熱線と突撃をかわして、レンは次から次へと〈魔術式銃剣カルンウェナン〉を突き刺しては零距離で魔力の弾丸を叩き込んでいく。ものの数分で左翼の編隊を壊滅させると、一旦戦域を下がって援護射撃を行っていた三人組へと近寄った。


「君ら、第二特戦隊の所属だな?」 

「え? あ、うん。そうだけど……?」


 戸惑いを混じえつつも反応した赤髪の少女に、レンは一方的に告げる。


「一人、君たちの中から俺の直掩ちょくえんについてくれないか。突破口の〈哨戒鳥種ポーラス〉の掃討を頼みたい」


 いくら戦闘の技術があったとて、所詮吐き出せる火力は銃口一門分の火力だけだ。左翼編隊の〈哨戒鳥種ポーラス〉残存部隊が中央編隊へと合流している今、単騎で突撃するのは流石に無謀でしかない。そのまま突っ込めばたちまち蜂の巣だ。


「わかった。それなら俺がやる」


 言って視線を向けてきたのは、金髪赤瞳せきとうの少年だ。彼の瞳をじっと見据えて、そこに決意があるのを確認してからレンは頷く。


「助かる。俺はレン。レン・ブローディア中尉だ。あんた、名前と階級は?」

「フリット・ラインハート。少尉だ」

「フリットだな、分かった。よろしく頼む」


 視線を少女達の方へと向けて、レンは続ける。


「君たちはあのの直掩に回ってやって欲しい。……あれを放っておいたら、いつ落とされるかも分からないからな」

「…………!」


 レンの言葉にサイドテールの少女は何か言いたげな表情をする。が、結局それを言葉にすることはなかった。

 赤髪の少女と視線を交わして。サイドテールの少女は決然の炎を瞳に宿してレンに向き直る。


「分かりました。リーナさんは、死なせません」


 醸し出される物言いたげな雰囲気を全力で無視して、レンはその瞳を正面から見据える。心の奥底に巣食う恐怖と不安を抑え付けて、こくりと頷いた。


「ああ。頼む」




  †




 戦闘開始から数時間が経って、全ての〈天竜種ヒュペイオン〉と散発的に襲撃してくる〈哨戒鳥種ポーラス〉の群れをあらかた撃破して。

 生き残った〈哨戒鳥種ポーラス〉があけの西空へと撤退していくのを見て、レンははぁと一息をつく。

 〈ティターン〉は基本的に夜間は行動しない。これで、今日の戦闘は終わりだ。


 振り返ると、そこには三人の少年少女が疲れ切った様子で西の空を見つめていて。視界の奥には、一機の輸送機が不時着しているのが見えた。どうやら、今回の戦闘では誰も死ぬことはなかったらしい。そのことに、安堵の笑みがこぼれ出る。

 、誰も死なせなかった。それが何よりも嬉しかった。


 だが。それはさておき。 

 再び西の空へと視線を向けて、レンは少し離れた位置にいる銀髪の少女へと近寄る。込み上げてくる激情を隠そうともせずに、レンは叫んだ。


「何をしてんだ、アンタはっ!」


 振り返ってきて、目に入るのは炎にも勝る真紅の双眸に、綺麗な白皙の肌を持った少女の可憐な顔だ。何を言われているのか心底分からないといった表情に、レンはますます怒りを募らせる。


「直掩もつけずに単騎で敵の真っ只中に突撃して……。自分がどれだけ危険な戦闘をしてたのか分かってるのか!?」


 実践経験もろくにない人が敵中に突撃するなど、命を投げ捨てているのに等しい戦闘行動だ。いくら彼女が近接戦闘特化の〈魔術式剣アロンダイト〉を使っているとはいえ、流石に無謀がすぎる。


「……ああ。そのことですか」


 張り付いた笑顔で、その少女は冷然と言う。


「危険性は十分に承知していますよ」

「だったら、なんで……!」

「その方が部隊のためだからです」

「……は?」

「確かに、直掩を一人も付けていなかったのは迂闊でした。目の前の敵に気を取られて、周囲警戒を怠ってしまっていたことも反省すべき点ではあります。……しかし。私一人が突出して〈ティターン〉の注目を受けることで、私の部下は――守るべき民草である人達は安全に戦闘を行うことができました。全ては、皆さんが生き残るために必要なことです」


 驚愕に言葉も出ないレンに、目の前の少女は笑う。微かな虚無を真紅の瞳に湛えて。


「『王族たるもの、民草を守るのが使命であり、存在意義である』。それが、王族たる私の――エルリーナ・エーデルヴァイスが成すべきことです。王家の失態が世界中の人々を虐殺し、今なお数多あまたの人々の命を脅かしている以上、私が自分の命を惜しむだなんてことは決してあってはなりません」

「……」


 返す言葉がなかった。

 何故、リーナがそこまでの自己犠牲を貫こうとしているのか。

 何故、そんな風に何もかもを諦めたような瞳をしているのか。


 それらが全て理解できるからこそ、レンは血の気が引くような絶望感と恐怖を覚えていた。

 使命だから。やらねばならないから。だから、己の命を惜しまない。それどころか、率先して己の命を危険に晒し、仲間の危険までおも一身に背負おうとする。過剰なまでの英雄的精神ヒロイック。自己犠牲の精神の究極系だ。

 その心の在り方は、彼女の姉も全く同じものだった。己の命を犠牲にして、できうる限りの幸福と安寧を周囲へもらたそうとする、エーデルヴァイス王家の家訓モットーのその果ての精神。


 ――できれば、こんな使命はリーナに背負わせたくなんてないんだけどね。


 昔聞いた姫様エルゼの言葉が、ふいに脳裏に甦る。

 結局、その願いは最後の最後に叶うことはなくて。彼女の祈りも虚しく、王家の使命は確かに妹へと紡がれてしまっていた。そして。その原因は、レンだ。

 俺が、あの原罪と浄化の世界に姫様エルゼを見捨てたから。何もかもを投げ出して、この一年を過ごしてきたからだ。


「それよりも。今日はありがとうございました。ブローディア中尉」

「え?」


 先程までの虚無と重圧は嘘みたいに綺麗さっぱり消え去って、リーナは頭を下げてくる。顔を上げると、リーナは戸惑うレンを真正面からしっかりと見つめてにこりと笑った。


「私の戦闘中、部隊の指揮をしていてくれたのでしょう? 色々と助かりました」

「あ……いや。俺もほとんど指示は出してないから……」

「でも、貴方の指揮がなければもっと苦戦していたのは間違いありません。本当に、ありがとうございました」

「どう……、いたしまして……?」


 あまりにも突然かつ温和すぎる雰囲気に、レンは戸惑いを隠せない。いったい、さっきの虚無はなんだったのだろうか……?


「リーナさん、これでもう終わりなんですか?」


 甲高い少女の声が割り込んできて、レンはそちらへと視線を向ける。いたのは、先程の三人組だった。


「ええ。〈ティターン〉の夜間行動は確認されていませんので、今日はもう大丈夫です」

「でも、これからどうするわけ? このまま駐屯基地に向かっても大丈夫なの?」


 赤髪の少女が気怠げに言うのに、リーナは目をしばたたかせる。


「大丈夫……とは?」


 赤髪の少女は露骨にため息をついて。心底呆れたような表情をつくる。


「前線を突破されたからさっきの〈ティターン〉は来てたんでしょ? そんなところに、私たちの住める場所なんてあるわけ?」

「あー、それなら大丈夫だ。……えっと、」

「イヴ・オーレンキール少尉よ」


 ……ちゃんと指令書を読んでおくんだった。

 気を取り直して、レンは続ける。


「……オーレンキール少尉。今向かってる設営部隊のトラックは被害を受けてないから、少なくとも仮設のテントぐらいはあると思う」


 あの進捗から考えるに、どうせ当初の予定でもこれから数日は仮設のテント住みの予定だったのだろう。着任までに兵舎バラックぐらいは完成させておけよと苛立ちを覚えるが、どうせだ。感情を荒立てるだけ無駄でしかない。


「……とのことなので。とりあえず、駐屯基地の予定場所に行きましょうか。あちらには通信設備もあるでしょうし、そこで司令官からの指示を仰ごうと思います。これで大丈夫でしょうか?」

「異論はない」

「それでいいんじゃない?」


 と、フリットとオーレンキール少尉が賛同して。


「リーナさんがそう言うなら!」


 リーナの隣にくっついていたサイドテールの少女も、快く賛成の声を上げた。と同時に、敵意のこもった瞳で見つめてくるのにレンは戸惑う。

 どうやら、この少女はリーナによく懐いているらしい。戦闘中にリーナのことをバカ王女と呼称したのを根に持っているらしいのだが、とはいえレンはそれを撤回するつもりはないので反応に困る。あんな戦闘、バカとしか言うほかないのだから仕方ないだろうに。 

 というか。そもそも。この少女は誰なんだ。


「あんた、さては指令書ろくに読んでないな?」


 図星を突いてきたフリットの言葉に、全くもってその通りなのでレンは何も言い返せなかった。

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