第8話 真意
魔力の枯渇に気を遣いながら、残りの旅路を飛行魔術で移動して。駐屯基地に着いたのは戦闘終了から四時間もたった夜のことだった。
北西戦線第一戦区、第二防衛線レイズフォード基地。そこが、リーナたち第二特別戦術戦隊〈ヴァイスエッジ〉の駐屯する基地だ。
これから数ヶ月間、リーナたちはレイズフォード基地を本拠として戦線の各戦区へと赴き、攻撃してくる〈ティターン〉の撃滅を行うこととなる。つまり、機動防御の戦力として実戦経験を積むことになるのだ。
本格的な作戦投入は、ある程度の練度が確保されてからになる。それまでは、比較的安全性の高い戦闘になるといえよう。
もっとも。だからといって気は抜けないのだけれど。
仮設テントの一棟、通信設備の一通りを揃えた簡素な執務室で、リーナは各種の書類業務にあたる。
既に輸送されてきた補給品の受領サインに、今後必要となる補給品の選定と数量の指定。それに付随する書類の作成に、今日の戦闘で必要が生じてしまった報告書の作成。
それだけでも大変なのに、まだ他にもやることが沢山あるのだから目が回りそうになる。最短で終わらせようとせると、少なくとも今夜は寝れない量だ。
これは長い戦いにりそうだ……と胸中で呟きながらも、リーナは書類業務を黙々と処理していく。区切りのいいところまでをやり終えて、ふと、時計を見ると。針は九時の少し前を指していた。
確か……、九時には夕食ができあがるとブローディア中尉が言ってたっけ。
休憩がてらに部隊のみんなと一緒に食べれたらいいなと思い立って、リーナはテントを出る。
執務テントを出ると、そこは併設された食堂テントだ。どこまでも続く草原の中、レイズフォード基地周辺だけが柔らかい人工の光を灯していて。前線に特有の
「あ、リーナさん! 丁度いい時間に!」
ぱあっとレイチェルが満面の笑みを向けてくるのに、リーナはつい表情が緩む。確か、彼女の年齢は一四でリーナの二個年下だ。自分に妹がいたらこんな感じなのかなと、ふとそう思った。
「そろそろお夕飯ができあがるんです。ぜひ、ご一緒にどうですか?」
「貴方達の迷惑にならないのであれば、是非」
「やったぁ!」
嬉しそうに腕を引いてくるレイチェルの姿に、リーナは困惑しつつもなされるがままに足を進めていく。
これなら、仕事を一旦切り上げてきた甲斐もある。多少無理を押してでも部下との交流は持っておかなければ、いざという時に信頼されない事態に陥ってしまう。彼らの命を預かる身として、ある程度の信頼は絶対に勝ち取らなければならない要素なのだ。
たとえ、それが嫌悪と憎悪の上に成り立った薄氷のものであったとしても。
「仕事、まだかかりそうなの?」
〈
「……私のことを心配してくれているんですか?」
「んなわけないでしょ! ただ、変に頑張って明日の戦闘に影響が出たら困るってだけよ!」
ぷいっと顔を背けられて、リーナはしまったと目を伏せる。
「……すみません」
完全に対応を間違えた。自分から挑発して信頼を損ねるような言葉を吐くだなんて、無能にも程があるだろう。
自己嫌悪に陥りかけたところで、ふいにレイチェルが耳打ちしてきた。
「……リーナさんはちょっと勘違いしてるみたいなんですけど」
「え?」
勘違い? いったいなんのことだろう。
視線を向けた先、レイチェルはいたずらっぽい笑みをつくって囁くように言う。
「別に、イヴはリーナさんが嫌いってわけじゃないんです。ただ、ちょっと素直じゃないところがあるってだけで。……だから、そう、思い詰めなくても大丈夫ですよ。リーナさんに敵意を持っているような人は、少なくともこの部隊には居ませんから」
「………………どうして、ですか?」
たまらず問い返していた。
「私は、貴方達を今の最悪な状況に追いやった元凶の血筋です。恨んだり、憎んだりだってしていいはずです」
憎悪して侮辱して、心に積もった
そもそも。どうしてレイチェルがこんなにも好意的に接してくれているのか。あまりの居心地の良さに、リーナは耐え難い苦痛を感じていた。
私には、そんな優しい言葉を投げかける価値などないというのに。
戸惑うリーナの瞳を真正面から見つめて、レイチェルは肩を竦めて困ったように笑う。
「でも。リーナさんが今を変えようと必死に頑張っているのは、みんな知ってます」
「……?」
それがいったいどうしたと言うのか。困惑に顔を
「リーナさんのお姉さん……エルゼさんが私たちのために戦って、そして死んだことも、私たちは知ってるんです」
「でも、だからって、私達を恨んだりしない理由にはならないでしょう……?」
息苦しい感覚に襲われながらも、リーナは問う。だって。そんなことで赦されるほど王家のしたことは軽いものじゃないのに。私達が
世界を滅茶苦茶にした罪。それは、全ての〈ティターン〉を屠って、元凶たる〈
「確かに、
にこりと微笑して、レイチェルは告げる。
「少なくとも、私たちはリーナさんが指揮することを承知で〈
「え…………?」
思わず声がこぼれ出ていた。私が指揮をすることを知っていた? それなのに、〈ヴァイスエッジ〉に志願した?
全部、意味が分からない。ならなぜ、誰も私に暗い感情を一つたりとも叩き付けて来ないのか。そもそも。私が指揮すると知っているのに、何故、わざわざこの部隊に志願したのか。リーナには何もかもが分からない。
自分でもよく分からない程に感情が混ざりあって、なのに何故だか視界だけが歪んでいく。何か熱いものが込み上げてくる。そんな感情は、決して持っちゃいけないのに。
目を潤ませるリーナを、レイチェルはどこまでも真摯に見つめてくる。全てを赦すような、慈愛に満ちたあかいろの瞳で。
「……だから。そんなに自分を追い詰めなくてもいいんですよ。少なくとも、ここではリーナさんを殺したいと思っているような人はいません。仮にいたとしても、そんな人は私が許しません」
「……」
優しく告げられた言葉に、リーナは心の中に棲みついていた何かが溶けていくような感覚を覚えていた。ずっと張り詰めていた緊張の糸が切れたような、そんな感覚だ。
私のことを赦してくれる人がいる。そのことが、何よりも嬉しくて、そして哀しかった。王家のことを赦してしまえるほどの心の優しい人を、自分のせいで戦地に送ってしまっているという事実。王家の罪をこれ以上ないぐらいに突き付けられている気がして、とても苦しかった。
「ちょっとそこ、さっきから何をコソコソ喋ってるのよ?」
「んー? 今日のお夕飯はカレーだよって話をしてただけだよ?」
「……なら、いいけど」
オーレンキール少尉が半眼でこちらを流し見てくるのに、リーナは涙を拭って見つめ返す。何でもない、というふうに口元に笑みを浮かべて。
リーナの手をとって、レイチェルは言う。
「さっきのも、別にリーナさんを傷つけたくて言ったわけじゃないと思いますから。だから、それだけは、覚えておいてあげてください」
こくりと頷いて。手を引かれるがままに夕食のテーブルへと向かった。
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