第9話 隠したい心

「……えっと。リーナ、その顔、なに?」


 夕食のカレーを食べながら。ブローディア中尉に困惑気味に訊ねられて、リーナはどうにか笑顔を張り付ける。


「ここに来る前に、花粉の薬を飲み忘れていまして。それで、です」


 全くの嘘だ。リーナは花粉症ではないし、そもそもそういった類のアレルギーは何一つ持ち合わせていない。涙でさらに赤くなった瞳は、みっともないことで泣いただけだ。

 しかし、そんな事実は馬鹿正直に言えるものでもないし、そもそも個人の感情としても言いたくはない。

 とはいえ、嘘というのはやはり完璧につけるものでもないわけで。

 「そ、そうか……」と、口では言いつつも疑念を向けてくるのに、リーナは何とか話題を逸らそうと口を開く。


「このカレー、とても美味しいのですけれど。いったい誰が調理をしたんですか?」 

「俺だ」

「ブローディア中尉が?」


 完全に予想外の人に、リーナはまばたく。それから、ふ、と笑った。


「ブローディア中尉ってお料理お上手なんですね」

「まぁ、元々趣味だったのもありますけど。前の部隊ではずっと料理番だったんで」

「その“前の部隊”って、具体的にはどこに所属していたんですか?」

「あれ、人事資料には載ってませんでした?」


 きょとんとした表情でレンが言う。リーナは困ったように笑みをこぼしながら続けた。


「どうやら機密事項扱いらしくて、殆どの行は黒塗りだったんです。……よろしければ、どこに所属していたのか教えて頂いてもよろしいでしょうか?」


 レンは少しの間沈黙して。それから、頭をかきながらいつもの調子で再び口を開いた。


「北西戦線に配置はされてましたけど、別に、全然普通の部隊でしたよ? 強いて言うなら、他の部隊よりもちょっとだけ精鋭揃いだったぐらいで」

「……そうですか。答えてくださってありがとうございます。あまりにも黒塗りが多かったので、つい、気になったもので」


 本心を悟られないように笑顔を繕って、リーナは感謝を述べる。幸い今回の嘘は成功したらしく、ブローディア中尉がリーナの嘘に気付くそぶりはなかった。

 適当に笑顔と言葉を繕いながらも、リーナは胸中でを確信する。

 彼の元いた部隊は、少なくとも“普通の部隊”などではないということを。


 本当に普通の部隊ならば、そんなに所属をぼかして情報を開示する必要がない。所属していた部隊の名前を出せば終わりだ。たとえそれが機密事項だとしても、ここには彼の発言を軍令部に報告するような人も居ない。

 つまり。そこまで巧妙に嘘をついてまで所属部隊を隠す必要は、本当に“普通の部隊”だったならば、ないはずだ。

 何か、ある。

 リーナは直感でそう思った。


「戦闘もあんなにできるくせに料理もできるの、卑怯よねぇ」


 オーレンキール少尉が恨めしげに言うのに、リーナの思考は現実へと引き戻される。


「卑怯……?」


 レンが怪訝な表情で反芻するのに、リーナも胸中で同じ言葉を反芻していた。卑怯、とは。


「そう。卑怯」

「何が卑怯なんだ……?」

「全部」

「全部!?」


 レンの戸惑う姿に、リーナは思わず苦笑する。

 まぁ。オーレンキール少尉の言いたいことは分かったけれども。

 可愛い顔をしているくせに戦闘ではめっぽう強くて、そのくせ料理もできるのだ。女の子からすれば、今の彼は理想の軍人像でしかないだろう。

 その理想の軍人像を、同年齢の男の子が体現しているのだから、まぁ、色々と納得がいかないのは理解はできる。

 とはいえ、その不満をレンにぶつけるのは理不尽でしかないが。


「でも、なんであんなに戦闘のできるレンが料理当番だったんだ? 言っちゃ悪いが、そういうのってあんまり戦闘できねぇ奴がやることじゃないのか?」

「そうだよ。だから、前の部隊では俺が一番弱かったんだ」


 当然のようにさらりと放たれた言葉に、一同は驚愕に静まり返る。

 ……レンが、前の部隊では最弱だった?

 さしものリーナも信じられない言葉だった。


「え、レンさんが……ですか?」

「うん。部隊の中じゃあ俺が一番弱かったよ。間違いない」


 おずおずとレイチェルが確認するのに、レンは肩を竦めてさらりと言う。

 思いもしなかった事実に全員が言葉を出しあぐねている中、リーナは部隊資料に書かれていた彼の戦歴を思い出していた。

 レン・ブローディア中尉が前に所属していた部隊は、一年前に彼一人を残して全滅したとの記載がなされていた。それは、彼より強い人達でさえもが〈ティターン〉の軍勢の前に敗退し、そして戦死したことを意味している。

 そう。ブローディア中尉よりも強い人達ですら、死んだのだ。

 なら。彼よりも何倍も弱い私達は。


「まぁでも。別に、俺が強かったとしても料理当番はやらされてたんじゃないかな。今みたいに」

「……へぇ。随分とデカいこと言うじゃねぇか」

「少なくとも今ん所は事実だろ?」


 にやりと笑うレンに、フリットは肩を竦めて苦笑をもらす。全くもってその通りなので、リーナも何も言い返せない。


「レンの言う通り、今の俺たちじゃあひっくり返ってもお前には勝てねぇよ。……だがな、かといって今の状態をただ座視するつもりもねぇ」


 そもそもとして、だ。レンよりも強い人達ですらも戦死するのが、対〈ティターン〉戦争の戦場なのだ。今日のような戦闘ばかりを行っていたら、いずれ来る死の運命からは逃れられない。

 けれど。来たる運命をただ受け入れるだなんてつもりは、フリットたちにはさらさらないのだ。だから。


「まぁ。流石にお前みたいに……とは言わねぇけどな。それでも、邪魔になんないぐらいにはなってやるよ」

「じゃあ、私はフリットぐらいは倒せるようになろうかな?」

「俺を倒してどうすんだよ。相手は人型じゃねぇんだぞ」


 オーレンキール少尉の言葉に、フリットが苦笑する。

 今のところ、〈ティターン〉に人間と同等の大きさの種類は確認されていないのだ。対〈ティターン〉戦と対人戦では勝手が違いすぎて、対人戦闘をいくらマスターしようが実戦では殆ど役に立たない。


「私も、みなさんの援護をもっと効果的にできるように頑張ります!」


 少し遅れて、レイチェルの決意のこもった声も続いてくる。


「君ら……」


 三人の意志表示に、レンは呆気にとられているようだった。無理もないな、とリーナは思う。

 所属部隊こそ志願したとはいえ、元はと言えば彼らは強制連行で軍人の道を選ばされた人たちだ。守られこそすれ、横に立てるようにと努力をする必要など、本来ならば、ない。


 そして。明日の保障がない戦場に身を置きながらも、明日を強く願い、生きようとする姿。それは、部隊の全滅を経験したレンにとってもとても眩しいものだろう。

 彼の戦歴に書かれている空白の一年。その間、彼大切な人の喪失によって絶望し、明日を見いだせなかったはずだから。

 短く息を吸って、吐く。

 部下が三人とも一緒に戦ってくれることを示してくれたのだ。ならば、隊長であり彼らを戦場へと押しやった王族エーデルヴァイスであるリーナも、彼らの意志には応えなければならない。


「私は、」


 全員の視線がリーナに向けられる。構わず続けた。 


「私は、この部隊の誰よりも強くなります」


 今の私の力では、民草の全員を守ることはできない。そんな権力は、私にはない。けれど。

 せめて、私の活躍が少しでも紅瞳種ルファリア人の励みになるのなら。私の命が、少しでも紅瞳種ルファリア人の人権回復に寄与できるのなら。

 そして。何より。私の力で、この部隊の人達を守れたのなら。

 私は、使命を少しは果たせると思うから。

 暫し、沈黙して。不意に笑って、レンは穏やかな口調で応えた。


「……分かった。期待してる」




  †




「ねぇ、レイチェル」


 夕食を食べ終わって、簡易のシャワーを浴びて女子用の仮設テントのベッドの上で。イヴは横の毛を弄りながら、ぽつりと呟く。


「私、隊長に嫌われちゃったかな」


 しょげた様子で突然イヴが言い出すものだから、レイチェルは思わず驚きに目を向ける。


「……なんでそう思ったんですか?」

「だって、私、あんなこと言っちゃったし」


 視線を床に彷徨さまよわせながら言うのに、レイチェルは苦笑する。

 いざという時に素直になれないのは、訓練兵時代に一緒の部屋になってから知ってはいたが。まさか、ここまで拗れているとは思わなかった。


「嫌う……というか。嫌われた、と思ってたよ?」

「……なんで?」


 暫し、間が空いて。


「…………あなた、ほんとに不器用なんですね」


 思わずそんな言葉がこぼれ出ていた。

 心底戸惑った様子で視線を向けられるのに、さしものレイチェルも少し呆れたように嘆息する。自分の髪をブラシでかしながら、それを問うた。


「イヴは、リーナさんのことが好きなんですよね?」

「それは……、その。まぁ…………、うん」

「なら、どんなところが好きなんですか?」

「……」


 しばらくの間押し黙って。イヴは訥々とつとつと言葉を紡ぐ。


「……ずっと、私たちのために頑張ってくれてるところ、かな。ほんとは普通の学校で普通の生活して、普通の勉強がしたかったはずなのに。なのに、私たちのために士官学校に入って、たった三年で卒業できるぐらいに頑張ってて。お姉さんが戦死しても、それでも私たちのところ戦場に来てくれたのは、嬉しい」


 ……思ったよりも好きだな、この人。

 想定以上の想いに少し気圧されつつも、レイチェルはその中に垣間見える感情を見逃さなかった。リーナさんに対する感謝も尊敬も、果ては好意すらも彼女にはある。けれど。


 心底に渦巻く憎悪が、彼女の言葉の端々からほんの微かだけれど滲み出ていた。恐らく、それが素直になれない原因の正体だ。

 とはいえ、仕方ないな、ともレイチェルは思う。

 赦したと自分では思っていても、普通の生活と家族を失った憎しみは、簡単には消えないから。


「じゃあ、それをそのまま伝えてあげればいいじゃないですか」

「で、できるわけないでしょ!? そんな恥ずかしいこと!」


 かあっと耳を赤くしてイヴは振り向いてくる。その仕草にふふっと笑みをこぼしながら、レイチェルは言う。


「明日、謝りに行きましょうか。その方が、イヴも顔を合わしやすいでしょ?」


 一瞬、きょとんとした表情をして。それから少し照れくさいように笑った。


「……ええ。よろしく、頼むわ」




  †




 一方。レイズフォード基地から少し離れた北西の平原。

 静寂に包まれた闇夜の中に、レンは立っていた。

 空には無数の星々や銀河が散りばめられていて、様々な光を放ちながら夜空を綺麗に彩っている。この辺りは人の気配も人工物も殆どないから、普段は見えない小さな星の光ですらも空を彩る煌めきとなるのだ。空の彼方まで続く満天の星空と、そのただ中で悠然と佇む三日月の白光。

 その光景は、静かな空気と相まって幻想的な雰囲気を醸し出していた。


 そんな、目の冴えるような絶景の下で。レンは、蒼柘榴石ブルーガーネットのペンダントを握り締めていた。

 一年前、〈奈落の門タルタロス・ゲート〉の破壊を目的として発動された〈竜殺しの剣アスカロン〉作戦。その作戦の開始前に、姫様エルゼがレンに貸し与えてくれたものが、このペンダントだ。

 生きて帰って、それを返せと言われて結局返せなかった、彼女の誕生石の、貴重な青色の柘榴石ガーネット


「……俺が、守らなくちゃなんないんだ」


 目をすがめて、レンは決意を込めて呟く。

 俺のせいで、リーナは戦場へと駆り出されることになってしまった。

 俺のせいで、リーナは過剰なまでの自己犠牲をするようになってしまった。

 俺が弱かったせいで。大切な人の願いすらも、レンは守れなかった。叶えられなかった。


 だから。

 せめて。


 姫様が遺した大切な人を――エルゼの妹であるリーナを、レンは絶対に守らなくてはならない。

 たとえ、を使うことになってでも。それだけが、レンが今も生きている意味で、残された命の使い道なのだから。

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