第30話 亡国の姫
自分と無数の腕の間に、いつの間にか金色の粒子が割り込んでいるのにリーナは気づく。
その粒子は瞬く間に集まって、人の形をした何かを形作っていく。輪郭がしっかりしてくると、その人型は〈アスタロト〉のいる方向に向かって銃を撃ち放つ。
そして。その人型が実体化するのと、ほぼ同時。
突然現れた女性の姿に、リーナは呆然と立ち尽くす。
肩で切り揃えた白銀の髪に、共和国軍の女性用士官軍服。振り向いてくるのは、リーナと同じ真紅の双眸。
煌めく左眼を茶目っ気たっぷりにウインクして、彼女はにっと快活な笑みを向けてくる。
いつか見た、思い出の中の笑顔そのままで。
「久しぶり、二人ともっ!」
突然の援護射撃に驚いて、レンは射線の来た方向へと目を向ける。そこに見えた女性の姿に、レンは思わず目を見開いていた。
「姫様……!?」
肩で切り揃えた白銀の髪に、〈
切っていたはずの通信機から、快活な少女の声が聞こえてくる。一年前に見捨てて、もう二度と聞くことはないと思っていたはずの声が。
『久しぶり、二人ともっ!』
その声に、レンは眼前に敵がいることも忘れて呆然と呟いていた。
「ひ、姫様が、なんで……!?」
『細かい話はあと! 今は戦闘に集中して!』
言われて、レンは〈アスタロト〉へと意識を向け直す。
その時、唐突にレンの身体が光の粒子に包まれた。すぐに魔力の燐光だと気づいて、身構える。けれど。レンの身体に起こったのは、傷が癒えていく感覚だった。
重い身体が軽くなり、頭痛が収まっていく。折れた骨こそ治らないものの、血管の破裂は修復されていた。
いつの間にか隣に来ていた
「レンくん、君はリーナちゃんと一緒に〈
「で、でも。どうやって倒せばいいのかわかんなくて……」
「金色の輪さえ壊せれば、あの門は勝手に自壊する! 二人でやれば、できるはずだよ!」
骨は治せなかったけど、それだけ治ったら大丈夫でしょ? と、
そうか。さっきの治癒魔術は、姫様がかけてくれたのか。
「君とリーナちゃんは、ボクの自慢の子たちなんだから。だから、大丈夫。できるに決まってる!」
「……わかった!」
決然の口調で答えると。レンはその場を発って、リーナのいる方へと全速力で向かった。
レンが遠ざかるのを見送って。エルゼは、静止する〈アスタロト〉と対峙していた。軽快に、けれども一瞬の隙すらも見せないで、〈
「そろそろ
「【
脳に直接語りかけてくる言葉に、エルゼは苦笑する。質問に質問で返すなと、教わらなかったのだろうか。
「これが、ボクが遺した未来への保険だからね。分の悪い賭けではあったけど、上手くいったみたいだ」
自分という存在を、丸ごと裏の世界――つまりは魔力の世界へと変換し、再び誰かが〈
命を懸けて見つけ出した〈
〈アスタロト〉が、毒の霧と漆黒の球体を同時に吐き出してくる。それを見て、エルゼは口元に笑みを浮かべたまま、真紅の双眸を細めた。
〈
「
エルゼから魔力を分け与えられたリーナは、再度覚醒紋章を使用して〈
先程の症状から推測するに、リーナが全力で覚醒紋章を使用できるのはもって十分程度。それまでに、金色の輪を全て破壊できなければ終わりだ。勝ち目はなくなる。
迫る影の腕を斬り伏せて、再度金色の輪に〈
そのまま、両断。切断面からは、漆黒の霧が噴き出しては消えていく。それを見て、リーナは
お姉ちゃんが来る前に与えた傷は、癒えるどころか内から噴き出す圧力によって徐々にその亀裂を広げている。縦に斬ったからあまり見た目に変化はないが、その端を横に斬った箇所では、早くも金色の輪がめくれ上がっていた。
この感じならば、ある程度の間隔で切り刻めば勝ち目は充分にある。
亀裂の中央部に、〈
その様子を驚きの表情で見つめていると、不意に、レンの声が通信機から届いた。
『リーナ!』
「ええ! わかってます!」
こくりと頷いて。リーナは眼前に佇む〈
円形を時計に見立てて、九時から十二時の区画は先程リーナが与えた攻撃でほとんど崩壊状態にある。これ以上は、放置していてもそのうち全ての金色が剥がれ落ちるだろう。
となると。二人が破壊するべきは、零時から九時まで――つまりは四分の三の区画だ。
戦域の安全確保はフリットとイヴが頑張ってくれているおかげで保たれているし、最大の障害だった〈アスタロト〉も、今はお姉ちゃんが抑えてくれている。
けれど。それがいつまでも持つ保証はない。そしてそれは、二人も同様だ。
覚醒紋章が切れれば、今度こそ使命は果たせなくなる。それどころか、命の危険すらもありうるのだ。
私はともかくとして。レンには、そんなことは起こって欲しくない。
漆黒の球体を振り切りながら、リーナは通信機に叫ぶ。
「私は時計回りでやります! レンは、反対側から!」
『了解!』
それきり通信は途切れて、二人は各々の方向へと散っていく。リーナは右手へ、レンは左手へ。
門の中から無数の腕が伸び、リーナへと襲いかかってくる。進む足を緩めずにそれを斬り払って、更に
〈
たとえ掴まれたとしても、力が入る前に斬り落とせば関係ない。
金色の輪を切断する傍ら、対岸の方へとちらりと視線を送る。
そこには、銃剣を突き刺して至近で〈
さすがの戦闘だな、とリーナは思った。これまでの経験を存分に生かした、攻撃と防御を高レベルで両立した戦い方だ。
再び、〈
「これなら、いける……!」
静かに呟いて。リーナは金色の輪へと突撃していった。
エルゼの〈
魔力の火花が散る中で、脳内に〈アスタロト〉の声が響く。
「【己の神に捨てられた貴様らを、我が救済しようというのだ。何故、それを拒む】」
「わけわかんないこと言わないでくれないかな!」
あえて弾き飛ばされて、距離をとる。刹那、元いた場所には漆黒の球体が現れていた。
体勢を整えて、再び突撃。
「ボクは、二人に生きていて欲しい! ただそれだけだよ!」
神がどうのだの救済がどうしただのはエルゼは知らない。ただ。二人には、この戦争を生き抜いて、幸せに暮らして欲しいから。
「だから、ボクは今ここにいるんだ!」
斬撃と銃撃の閃光が、闇と赤色の世界で何度も何度も煌めいている。
影と蛇の腕を斬り捨て、振り払いながら。レンとリーナは、着実に〈
残る金色の輪は、五時と四時の間。ここを崩せば、この戦闘は終わる。
〈
けれど。それでもなお、リーナたちを圧殺せんと漆黒の球体だけは周囲に発生しては消えていく。
最後の区画を両断しようととして――頭の割れるような頭痛に襲われた。
「っ……!?」
制止したその一瞬の隙を突いて、闇の腕と漆黒の球体が襲いかかってくる。辛うじて球体の回避には成功したものの、その奥からは影の腕が迫ってきていた。
どうにか飛行魔術は維持したが、身体に力が入らない。手から〈
『リーナ!』
通信機に響く、レンの声。
全速力で駆けつけたレンが、落ちゆく〈
『大丈夫か!?』
「私はいいですから、早くあれを!」
あともう少しで、〈
だから。今は、私よりもあっちの方が大事だ。
『……わかった!』
それだけ言うと。レンは〈
彼の銃剣が緋色に煌めき、魔力の燐光を纏わせる。痛む意識の中で、リーナは小さく叫んでいた。
「いけ――……!」
漆黒の球体が、レンの眼前に現れる。しかし、レンは止まらなかった。
全身がねじられる感覚を堪え、全速力で突き進む。リーナの覚醒紋章は、限界が来てしまってもう使えない。レンの方も、そろそろ限界だ。これ以上の継戦は身体がもたない。
〈
短く、深呼吸をして。レンは〈
「終わりだッ!」
吐き捨てるように叫んで。引き金を引く。
――瞬間。爆発。
〈
「あ、あれは……?」
「なんだ……あれ……?」
全ての金色の輪が外れ、消えゆくはずだった〈
巨大な黒の球体は、次第に鮮やかな
魔力が爆発する時の光だ。
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