第21話 〈勇気の弓矢〉作戦

 出撃当日は、梅雨時期ということで案の定の曇天だった。

 灰色に染まる空の下、駐屯基地を出発してからほどなくして。リーナたちの目と耳に入ってきたのは、未だ進撃を続ける共和国陸軍の戦闘だった。


 アルフェン山脈の麓までを確保すべく、機甲部隊を中心とした大軍勢がそれぞれ交互に進撃と補給を続けながら新緑の草原を無停止に進軍していく。

 〈天竜種ヒュペイオン〉や〈哨戒鳥種ポーラス〉はもちろんのこと、それ以上に跋扈する地上種の〈ティターン〉を、砲兵部隊の斉射をもって薙ぎ払う。

 その一線付近でいくつもの光の十字架が立ち上がり、それを合図にして機甲部隊が歩兵を伴って進出していく。撃ち漏らした〈ティターン〉を戦車が掃討し、歩兵部隊が相互に連携し合ってその一帯を完全に制圧する。

 その繰り返しが、眼下の激戦地では幾度となく、そしてあらゆるところで展開されていた。


「……この様子ですと、〈運命の聖槍ロンギヌス〉作戦の発動前倒しは決定したようですね」


 友軍の対空砲火に当たらないように注意しつつ、リーナは呟く。

 本来、アルフェン山脈の麓に到達するのは一ヶ月後の予定だったのだ。それを何週間も前倒しに達成しようとすれば、相応の被害は覚悟して進軍しなければならない。

 ……とはいえ。


『ほんとに空軍いないんだな……』


 レンが漏らした言葉に、リーナは頷く。


「〈奈落の門タルタロス・ゲート〉の周辺は、地形変異で陸軍が進出できない状態になっていますからね。主戦力の空軍は、できる限り温存したいのでしょう」


 無論、その情報に確たる証拠は存在しない。写真もなければ、目撃の証言もたった一人だ。

 だが。万が一にも失敗できない以上は、対策しておく必要がある。

 時々襲い来る〈天竜種ヒュペイオン〉と〈哨戒鳥種ポーラス〉を撃破しつつ、リーナたちは激戦の空を進軍していく。レクス回廊の通る峡谷地帯が見えてきたところで、一同はその光景に絶句した。



 ――青い、碧い蒼穹そらが、そこには広がっていた。



 旧国境検問所を境にして、曇天の空は不自然な終わりを迎えていた。同じく新緑の草原もそこで途切れ、穢れなき純白の大地が地平線のその先まで広がっている。

 ごくり、と、息を呑むのが聞こえた気がした。

 

「……これが、浄化された大地……」


 リーナの想像していた以上に、その大地は途方もなく綺麗な純白色だった。

 穢れ一つない、曇りのない本当の意味での純白。自然の領域からは明らかに外れている、神聖なしろいろ。

 ……そして。王家エーデルヴァイスの犯した罪の、その象徴。


『なるほど。こりゃあ〈運命の聖槍ロンギヌス〉作戦の発動を急ぐわけだ』

『ねぇ、レン。この空、どうなってるの……?』


 イヴが訊ねるのに、レンは首を横に振るのが見える。


『さぁね。俺にもわかんないよ。……ただ、少なくとも一年前まではこんな現象は起こってなかった』

「では、何かしら状態は悪化していると思った方が良さそうですね」


 ああ。と相槌をうって。レンは硬い声音で答えた。


『良くなってるとは、全然思えないしな』




 各自で身体強化の魔力付与エンチャントを強化して、一同は純白と蒼穹の世界へと足を踏み入れる。

 発生当初こそ人類を一瞬で消した浄化の世界だが、それ以降は多少の侵入ならば大丈夫なぐらいには浄化の力は弱まっていて。

 こうして、身体強化の魔力付与エンチャントをかけていれば、一日程度ならば浄化の世界に入っていても大丈夫なのだ。


 ……もっとも。それはあくまでも外縁の地域であれば、の話だが。


『このまま直進したところに、〈慈悲ケセド〉はあるんでしたっけ』


 通信機越しにレイチェルが訊ねてくるのに、リーナは答える。


「はい。それで間違いありません」


 旧国境検問所から、約一〇〇キロ。そこに、〈慈悲ケセド〉はある。


『できれば、パスの確認もしておきたいね』

「パス……ですか?」


 唐突なレンの言葉に、リーナは思わず問い返していた。

 魔力経路パス。魔術などを行使した際に魔力が通る道の名称だ。しかし。なぜ、そんな単語がいまさら。

 リーナの疑問を知ってか知らずか、レンは続ける。


『いくつかの魔力紋様を一つの大きな紋様にするためには、小さな魔力紋様を繋ぐ魔力経路パスが必要だろ? それで、その原理はこのふざけた世界を創った〈生命セフィロトの樹〉も例外じゃないんだ』

『……てことは、今の王国領って、空から見るとおっきな紋様が浮かんでるの?』

『多分ね』


 イヴの驚嘆にレンが苦笑するのを聞きながら。リーナは祖国の惨状を今一度実感していた。

 国一つ、それもそれなりに大きな国家が、丸ごと消滅して魔力紋様へと変わり果てているのだ。いったい、どれほどの間違いを犯したら、こんな事態になるのだろうか。

 それで。と言い置いて、レンは続ける。


『〈慈悲ケセド〉には四つのパスがあって、それぞれが別の〈セフィラ〉と繋がってる。もし、そのパスが動いてたら、』

「他の〈セフィラ〉も復活している可能性がある、ということですか」

『……そういうことだ』


 苦しげに放たれた言葉に、一同は息を呑む。

 〈セフィラ〉の復活。それは、彼やお姉ちゃんエルゼたちが過去に行った決死の作戦を無に帰す事実だ。その上、これからの人類圏にも多大な悪影響を及ぼすことはまず間違いないだろう。

 リーナはしばし考えて。それを作戦内容に組み込む。


「……他の〈セフィラ〉の動向も、来たる〈運命の聖槍ロンギヌス〉作戦では十分に必要な情報だと思われます。……ラインハート少尉、この作戦中にパスの確認をお願いしてもよろしいでしょうか?」

『それは構わねぇが……。こいつのパスはどうなってたら動いてるってことになるんだ?』


 通常、魔力経路パスは魔力が通っている時といない時では見た目が異なってくる。しかし、その変わり様は様々で、これといった特定の現象が起こるわけではないのだ。

 少し思い出すような沈黙が空いて、それからレンは答えた。


『黒光りしてる線があったら、それが〈生命セフィロトの樹〉を構成しているパスだ。もし動いていたら、そのパスは赤く光ってる。一目で分かると思うよ』

『了解』


 二人の応答を聞いて、リーナは告げる。


「他のみなさんも、余裕があればパスの確認をお願いします。……やるからには、誤認などは絶対にあってはなりませんから」




『あ、あの、みなさん。さっきから少し気になってたんですけれど……』


 行軍中の沈黙を破ったのは、戸惑いのこもったレイチェルの声だった。どうしましたか? とリーナが返すのに、彼女は自分でも信じられないといったような口調であとを続ける。


『この世界に入ってから、〈ティターン〉がいなくないですか?』

「っ……!?」


 その問いに、リーナははっとする。

 言われてみればそうだ。最後に〈ティターン〉の姿を見たのは、共和国軍の戦域を通った時。旧国境検問所を通り過ぎてからは、一匹の〈ティターン〉すらも見つけてはいない。


『……確かに、ここに入ってからは全然見てねぇな』

『なにか変だなとは思ってたけど……。そういえばって感じね』


 フリットとイヴが驚愕の声を漏らすのが聞こえてくる。あまりにも何もなさすぎて、正常な感覚を忘れていた。


『浄化の世界には、俺らがよく戦ってたような〈ティターン〉はいないよ』


 びっくりするほど覚めた声で断言するレンに、リーナは問い返す。


「……それは、なぜでしょうか?」


 俺もよく分かんないんだけど、と前置きをして。レンは淡々と言葉を紡いだ。


『第一特戦隊の一人が、こう言ってたんだ。“〈ティターン〉にとって浄化の地は完全なる虚無であって、決して安住の地ではない。私達がもっとも相対する〈ティターン〉にとって、生けるモノ――特に人間は生と死の境界線をもてあそぶのに格好の玩具であり、そして極上の食料なのだ”――ってさ』

『……えと。つまり?』


 よく分からないといったようにイヴが言葉を漏らすのに、リーナは彼の言葉を引き取る。


「私達のよく知る〈ティターン〉にとって、この浄化された世界は遊べもしないし食べれもしない、何もない世界だってことです」


 言いながら。リーナは思わず目を細めていた。

 その人が言っていたことが仮に本当だとすれば、現状と〈ティターン〉共の行動の両方に説明がつくのだ。

 美味しい食料と愉しい玩具を求めて、彼らは人類圏へと攻撃してくる。しかし、そこに大それた目的などはないから他の個体との連携はとらないし、とる必要もない。

 浄化された世界には何も残ってはいないから、留まる個体は存在しないのだ。全ては、己の快楽のためだけに行動しているのだから。

 しかし。その説には一つ、大きな矛盾が存在する。


『じゃあ、なんで〈奈落の門タルタロス・ゲート〉は世界を浄化しようとしてるんですか……?』


 リーナが問う前に、レイチェルが訊ねていた。

 そこなのだ。

 仮にその説が本当だった場合、なぜ、〈ティターン〉の発生源たる〈奈落の門タルタロス・ゲート〉は世界の浄化を行っているのか。そこに、致命的な矛盾がある。

 現状、世界の浄化は自らの手で快楽と食料の得れる場所を減らしているに過ぎない。


 それに。彼らを指揮し、組織的攻勢を行う〈指揮統制種ムネモシュネー〉の存在も矛盾の対象になる。

 答えを待つリーナたちの耳に帰ってきたのは、どこか乾いた笑い声だった。


『さぁね。その説を言ってたやつは、もうこの世界にはいないから』 


 諦念と後悔と、そして大きな痛みを感じる声に、リーナは思わず口を噤む。

 表面では明るく振舞ってはいるが。やはり、彼にとって第一特戦隊の記憶は傷になっているんだろうなと改めて思った。


『……と、そろそろ見えてきたね』


 真剣な声音で言われて、リーナは意識を通信機から目の前の景色へと戻す。

 視界の奥、地平線の間際には、真紅の空とその下に佇む巨大な人型の姿があった。

 よく見てみると、周囲には〈天竜種ヒュペイオン〉らしき影も見える。


「……見た目は情報通りのようですね」


 〈慈悲ケセド〉。〈生命セフィロトの樹〉を構成する四番目の〈セフィラ〉にして、ヴァールス王国の国民をこの世界から消し去った、王家エーデルヴァイスの罪の具現化。

 短く、息を吐いて。リーナは通信機に告げる。


「事前の打ち合わせ通り、〈慈悲ケセド〉への攻撃は私とブローディア中尉が担当します。周囲警戒および間接支援はオーレンキール少尉とラインハート少尉が、部隊全体の支援攻撃はエールラー少尉が担当してください」


 了解、と全員の返答を聞いて。リーナは勇壮に宣言する。


「現時刻をもって〈慈悲ケセド〉の討伐戦闘を行います。各員、戦闘開始!」

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