第15話 祝勝会

 予定通り午前一一時には味方防衛線内へと撤退が完了して、そこでレン達は傷の応急手当を受ける。

 紅瞳種ルファリアの衛生兵からレンが魔術による治療を受けている間、リーナは後方支援の人たちからの質問責めに遭っていた。


「嬢ちゃんたち、レクス回廊の〈指揮統制種ムネモシュネー〉をってきたんだってな!?」

「ええ、まぁ……、はい」

「おおー!」「さっすが特戦隊!」「助かるぜ!」


 戸惑いつつもリーナが返すのに、周囲の人たちは更に盛り上がる。けれど。渦中の当人は置いてけぼりを食らっていて、正直何が何だか全くもって理解できていなかった。

 今、リーナを囲んでいるのは、黒や青、黄色や緑などの瞳を持つ男の人たち――つまりは紅瞳種ルファリアではない、正規の軍の人たちだ。

 これまでに感謝状は何通も貰ってはいたから、内地の人たちほど憎悪や軽蔑をあらわにするような人たちではないと思ってはいたが……。まさか、これほどとは。

 憎悪も軽蔑も全く含まれていない、賞賛と興奮の声が、幾度となくリーナに届けられる。


「あいつ、個体防壁もだけど周りに回ってる四色の円もやたらと硬かったろ? どうやって倒したんだ?」

「ブローディア中尉が個体防壁を突破して、その隙に私が〈魔術式剣アロンダイト〉で核を」


 戸惑いつつも、リーナは左手で剣の柄を握って、右手で斬る動作をする。


「……嬢ちゃん、見かけによらず豪快なことするねぇ」

「そ、そうでしょうか……?」

「そんな可愛い顔して、〈魔術式剣アロンダイト〉片手にぶっ飛んで来るんだろ? 俺が〈ティターン〉だったら、見とれてる間に斬られちゃうね」

「安心しろ、お前の相手はまずカワイイ女の子じゃないから」

「はぁ!? 殺られるならカワイイ女の子にやって貰いたいんだけど!?」

「残念ながらお前が〈ティターン〉になっても、相手はオッサン共の弾丸だよ」

「ちくちょう! それじゃあ死んでも死にきれねぇじゃねぇか!」


 周囲の大人たちがみっともなく喜怒哀楽を表現しているのに、リーナはあはは、と曖昧に笑う。

 何とかこの状況から逃れようと、助けを求めて視線を彷徨さまよわせていた先、丁度治療を終えたレンと目が合った。

 懇願の目線で助けを求めて――露骨に目を逸らされた。

 む、と真紅の双眸を細めて、リーナはにやりと口元を緩める。息を吸い込んで、わざとらしく声を張り上げた。


「あ、あそこに〈指揮統制種ムネモシュネー〉の相手をした人が!」


 指をさした方向にいるのは、もちろんレンだ。左脚を庇うように松葉杖まつばづえをついている姿は少し痛々しいが、とはいえ自分だけは逃げようだなんてことは許さない。

 これも私を制止して一人で覚醒紋章を使った罰だ、と、あとから理由を付け加えた。


「ばっ!? 何言ってんだアンタは!?」


 ふざけるなといった調子で非難してくるが、リーナはしたり顔でその瞳を見つめ返す。大人たちがレンの方へと行った隙にその場を抜け出して、リーナはイヴとレイチェルの居る場所へと逃走した。




 逃げた先、ここの部隊の食堂にたどり着いて、リーナが見たのはお菓子やら食糧やらの袋に囲まれた人の姿だった。

 あまりにも異様な光景に、思わずリーナは訊ねる。


「……ええと。そのお菓子と食糧品は……?」


 百歩譲ってお菓子や食糧品を贈られるのはまだ分かる。だが、その量はなんだ。宴会でもするつもりなのか?

 苦笑いとも照れ笑いともとれる曖昧な表情で、レイチェルは言う。


「今回の作戦成功のお礼だーって、何だかたくさん貰っちゃいました……」

「まぁ、そういうことです……」


 そういうこと、と言われても。全くもって納得はいかないのだけれど。そもそも紅瞳種ルファリア人にまともな贈り物だなんて、どんな物好きなんだ。

 微妙な表情をするリーナに、フリットは肩を竦めて笑う。


「まぁ、なんだ。今夜は祝勝会にでもするか?」

「そうそう! 祝勝会でもしちゃいなさいな!」

「なんか急に出てきたな……」


 満面の笑みでリーナたちを見てくるのは、先程までレンに魔術治療を施していた紅瞳種ルファリアの女性だ。

 他にも数人、この駐屯基地には紅瞳種ルファリアの衛生兵がいるようだが、いずれもあざなどの虐待を示すような特徴は見当たらない。どうやら、ここの駐屯基地では紅瞳種ルファリアも対等な存在として扱われているらしかった。


「あんたらのお陰で、アイツらが無駄死にするような戦闘はしなくて済むようになったんだ。それぐらいの礼はさせてくれよ」


 奥から出てきた衛生兵が、爽やかな笑顔で言う。

 その笑顔の奥には何か隠し事があるのを感じるのだが、とはいえまさか同胞に毒を盛ったりはしないだろうし。いったい、どうしたものか。

 ちらりと仲間の顔を見ると、三人の顔には一様に無垢な笑顔が浮かんでいて。そこで、リーナも僅かに口元を緩める。

 何かあった時は、その時だ。

 衛生兵の女性たちに視線を向けて、リーナは笑顔で言葉を返す。


「では、お言葉に甘えさせていただきます」




  †




 自分達の駐屯基地へと帰還して、口頭での簡単な報告を終えて報告書の作成を行っている時だった。

 こんこん、とドアをノックする音がして、リーナは思考を現実へと引き戻す。どうぞ、と返すと、入ってきたのはレイチェルだった。

 意味深な笑みを浮かべて机を回り込んでくると、彼女はリーナの手を取ってくる。


「……? どうしましたか?」


 思わず訊ねると、


「いいから! リーナさん、ちょっと来て!」


 そう言われて、リーナは連れられるがままに部屋を出た。

 一階へと降りて、食堂の前を通り過ぎるとそのまま外へ。扉を開けて視界に入ってきたのは、机に並べられた多種多様な料理だった。

 いつものじゃがいもとビーフジャーキーのスープだけではなく、生野菜のサラダや今や貴重な食べ物となってしまったライ麦パン。それに加えて、ビスケットやジュースの瓶などの嗜好品が、机には並べられていた。


「これは……」


 先程言っていた祝勝会、というやつなのだろうか。こういう催しはやったことがないから、いまいち実感は湧かないのだけれども。


「リーナさんの考えてることで合ってますよ」


 思考を見透かしたかのようにレイチェルが言うのに、リーナは思わず視線を振り向ける。目が合って、彼女はふわりと微笑んだ。


「せっかくの祝勝会なんです、主役の一人が居なくちゃダメでしょう?」

「は、はぁ……」


 ……そういうものなのだろうか?

 戸惑いを胸中に秘めつつも、リーナは周囲の様子を見回す。イヴとフリットはどうやら拳銃での射撃大会を開いているらしい。少し遠くの机に空き缶を置いて、それを的代わりに撃っていた。

 反対側へと視線を向けて、そこに居たのは、料理をしているだった。


「……あ!?」


 その姿に、リーナは目を見開く。


「お、やっと来たか。どうだ? すごいだ……」

「何してるんですか! 傷口が塞がるまでは安静にって言われてましたよね!?」


 思わず叫んでいた。脚を負傷して、それこそ松葉杖をつかないと歩くのにも苦労していたのに。なのに、なんで立ち仕事なんかをしているのか!

 リーナの怒声に、レンは一瞬呆けたように眉を上げる。それから、ぷい、と不服そうに顔をしかめた。


「やだね」

「……は?」

「こんなにいい食材があって、いろんな調味料も貰ったんだ。俺が料理しなきゃ損だろ?」


 得意げに言うのを聞いて、リーナは呆れて大きなため息をつく。

 まぁ。いい食材と色んな調味料があったら、料理をしたくなるのは料理人のさがではあるけれど。

 とはいえそれで怪我が悪化したら元も子もないだろう、とリーナは胸中で呟く。自分たちはあくまで前線で戦う軍人であって、後方勤務ではないのだ。特に、紅瞳種戦術義勇軍RTVFでは余程の重症でない限り後方移送はされないので、なおさら怪我には気を遣わなくてはならない。

 仕方ない、といった表情で、リーナは彼に近づく。


「あとは私がやりますので、ブローディア中尉は大人しく座ってて下さい」

「だめだって。まだ調味料とかなんも入れないんだから――」

「料理ぐらいできますよ、私も」


 そう言って、リーナはレンの持っていたお玉を半ば強引に取り上げた。間髪入れずに、待機していたレイチェルへと指示を送る。


「レイチェル、この馬鹿を椅子に連行してください」

「りょうかいです!」

「はぁ!? ばかふざけんな――」


 放たれる非難の言葉に、リーナはむ、と唇を尖らせてレンを睨む。


「私だってこの六年間はずっと自炊してきたんですよ。そこまで拒否されるいわれはありません」


 流石にレンには劣るかもしれないが。かといって、ここまで全力で拒否されるほどではないはずだ。

 脇に置かれていた水と牛乳を二対三の比率で鍋へと注ぎ、固形のコンソメを二個そこに落とす。


「……ちょっと待って、六年? 第一特戦隊が設立されたのって、五年前だぞ?」


 訝しげな声音で聞いてくるのに、リーナは鍋をかき混ぜながら苦笑をもらした。


「お姉ちゃんは料理をする気がなかったので。食事はずっと私が担当だったんです」

「……そっちでもそうだったのか」

「……もしかして、第一特戦隊の中でも同じ感じだったんですか?」

「まぁ……、うん」


 歯切れの悪いレンの返答に、二人は何とも言えない微妙な表情で押し黙る。


 ――お姉ちゃん、料理はなんにも分かんないからさ。リーナちゃん、頼んだよ?


 脳裏に甦るのは、お姉ちゃんが笑顔で言い放った遠回しな料理しない宣言だ。

 元々料理は好きな方だったから良かったものの、もし私の料理が下手だったらどうするつもりだったのだろうと今でも思う。

 ……というか。第一特戦隊あっちでも料理をしなかったのなら。もしかして。


「……他の家事とかって、」

「かろうじて洗濯だけはやってるの見たことあったけど、ほかは全然」

「やっぱり……」


 案の定の回答に、リーナは空いた左手で頭を抱える。

 正直、家に居た時よりかはできるようになってるのかと少しは期待していたのだが。どうやら、そんなことは一切なかったらしい。

 鍋の中にある白い液面を見つめながら、リーナは苦笑いの表情で言葉を続ける。


「お姉ちゃん、徴兵が来るまでは朝から晩までずっと仕事ばかりだったから。料理もそのほかの家事仕事も、結局全然できないままだったんですよね」


 かろうじてできたのが、アルバイトでよくやっていたお皿洗いと洗濯だ。もっとも、どちらの仕事も紅瞳種ルファリアだからという理由で長くは続けられなかったらしいが。


「まぁ、その分戦闘では誰よりも戦果はあげてたから。とやかく言う人はいなかったよ」 

「とはいえ、していなかったのは事実なのでしょう?」

「それはそうなんだけど」


 レンは苦笑する。


「俺たちとしては、その分守って貰ってたからね。別に、不満に思うことはなかったよ」

「だったら良いのですけれど……」

「ああ。姫様といえばこんな話があって――」




 そんな感じで二人が延々と楽しそうに話しているのを、レイチェルは紅茶を嗜みながら無言で耳を傾けていた。

 射撃大会のセッティングを終えて、少し離れたところで食事をとっていたイヴとフリットに、レイチェルは近寄る。


「二人とも、リーナさんたちがなんの話してるのか分かります?」

「いいや?」

「全然分かんないけど」


 案の定の返答が帰ってきて、レイチェルは何とも言えない表情を浮かべる。レンとリーナの和やかな笑顔を流し見て、フリットは肩を竦めた。


「まぁでも。楽しそうだしいいんじゃないか?」


 自分たちの知らない話題で盛り上がっているのは、少し寂しい気はするが。とはいえ、二人のあんな無垢な笑顔を見られるのは貴重だ。たまには、こういうのもいいだろう。

 そんなふうに思って、フリットは口の端を緩めながら二人の様子を見守る。


「……くない」

「え?」

「全然、よくないわよ!? いっつもいっつもレンばっかり隊長と話して!」


 癇癪かんしゃくを起こしたようにイヴが喚くのに、フリットは呆れのこもった言葉をもらす。


「いや、それはお前が恥ずかしがって話しかけないからで、――」

「うるさい!」


 フリットの指摘を突っぱねて、イヴはレイチェルの手をとる。


「いくわよ、レイチェル! あんなずるいの、許すわけにはいかないわ!」


 彼女の言葉に、レイチェルは「うん!」と頷いて。二人揃ってレンとリーナの方へと突撃していった。

 その光景を、フリットはしばし呆けた様子で見守って。

 不意に、ジュース瓶の中にある一つの瓶が目に入った。 先程イヴが開けて飲んでいたものだ。


 ……まさか。


 嫌な予感を感じながら、フリットはその瓶のラベルを読む。『ワイン』の品目名に、『アルコール度数:12%』という文字があるのに、思わず変な笑いが込み上げた。


「未成年に酒を送る馬鹿がいるな?」


 少なくとも、通常の補給ではこんなワインなどという品が送られてくることはまずないのだ。こんなものを第二特戦隊に与えるのなど、十中八九夕方のあの基地しかない。

 幸い、イヴが飲んだのは少量だ。さすがに急性アルコール中毒に陥ったりはしないだろう。

 明らかに様子のおかしい彼女の様子に、フリットはしばし考えて。


「まぁ……。楽しそうだし、いっか」


 そう呟いて。酒瓶を椅子の下に隠すと、フリットは机のお菓子を口へと運んだ。





 それから酔いの覚めたイヴも含めて全員で射撃大会をして。机に広げた料理の大半を平らげて。照明の灯火とうか管制のかかる九時を目前に、レンたちは後片付けを行っていた。

 シャワー辺りは管制の対象にはならないから大丈夫だが、廊下や屋外の照明は管制の対象だ。暗い中で机やら椅子やらを移動させるのは危ないので、優先順位はそちらの方が先になる。


 ……まぁ。レンは脚の負傷で重いものを持てないので、キッチンで皿洗いをしている訳なのだが。


 なんだか自分だけ楽して申し訳ないなと思いつつも、とはいえ今はこれぐらいしかできないので仕方ないのだと自分に言い聞かせる。


「残った料理はラップを巻いて冷蔵庫に入れておきますね」

「ああ。助かる」


 残飯の後片付けにリーナが来るのに、レンは食器を洗いながら応じる。

 冷蔵庫が開いて、閉まった音が鳴ってからも彼女が動かないのに、レンは訝しげな目を向ける。


「……どうかした?」

「え、ええと……」


 リーナはしばし押し黙って。突然、頭を下げてきた。


「今日は、その。頬をぶったり、名前を呼び捨てにしたりと、色々とすみませんでした」


 その言葉に、レンは蛇口の水を止めてリーナに向き直る。

 苦笑いを含んだ声音で、答えた。


「別に、全然気にしてないから。そんな謝らないでよ」


 頬をぶたれたのも、名前を呼び捨てにされたのも。全ては、レンの身の安全を案じてのことなのだと分かっているのだ。感謝こそすれ、苛立ったり不快感を感じるようなことではない。


「……というか。むしろ、ちょっと嬉しかったから」

「え……?」


 綺麗な真紅の双眸が、驚きに振り上げられる。思わず目を逸らしながら、レンは口角を吊り上げてわざとらしく言い放った。


「いっそのこと、これを機に全員呼び捨てで呼んでみればいいんじゃないんですかね? その方が、あいつらも嬉しいだろうし!」

「……そう、なのでしょうか……」


 そう呟くと、リーナは真剣な表情で考え込んでしまう。

 思わぬ反応に硬直していると、外からリーナを呼ぶ声が聞こえてきた。

 その声にはっとして。


「……か、考えておきます!」


 言い置いて。リーナは兵舎の外へと走り去っていった。




 走り去っていく白銀の後ろ姿を見つめながら、レンは両拳を硬く握り締める。

 なぜ、姫様エルゼが彼女に使命を託したくなかったのか。

 なぜ、姫様エルゼがレンに守ってくれと言ったのか。

 それが今、ようやく分かったような気がした。


 彼女は……リーナは、普通の女の子なのだ。

 ちょっと容姿がよくて、育ちがいいだけの、普通の女の子なのだ。

 決して、姫様エルゼのような英雄ではない。

 英雄を演じようとしているだけの、ちょっと繊細な、普通の女の子なのだ。

 その事実に気付いて、レンは朱色の双眸をきっと細めさせる。


 決意を瞳に宿して、胸中で硬く誓った。

 リーナは、俺が守ると。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る