第14話 覚醒紋章

 同時期。雷鳴轟く豪雨の中で。フリット率いる三人は〈ティターン〉の掃討を行っていた。

 指揮を執るフリットの怒鳴り声が、通信機越しに聞こえてくる。


『三時の方向一〇〇メートル及び一二時の方向一八〇メートルにそれぞれ一個小隊規模の〈天竜種ヒュペイオン〉を発見! レイチェル、先に三時の方やれるか!?』

「当たり前だよ!」


 叫び返しながら。レイチェルは三時の方向へと銃口を向ける。左眼の狙撃魔術で三匹の〈天竜種ヒュペイオン〉を自動追尾ロックオンし、即座に銃弾を叩き込んだ。

 彼女の持つ〈魔術式銃クラウソラス〉は対物質用。その威力は、〈天竜種ヒュペイオン〉の個体防壁でさえも容易く撃ち貫くことができる。


 着弾を待たずに二発目、三発目と繰り返し発砲。数秒のタイムラグののち、視界の奥で三つの十字架が煌めいた。

 部隊の中枢を失い混乱する〈哨戒鳥種ポーラス〉をフリットが掃討し、レイチェルの周囲を群がるのにはイヴが対応してくれる。

 豪雨による視界不良があるから気は抜けないが、それは相手も同じらしい。攻撃こそ熾烈なものの、そこにはいつも以上に統率は見当たらない。これなら、二人が帰ってくるまで持ち堪えることは可能だろう。


 ……どうか、二人とも無事で。


 そう、胸中で呟いて。レイチェルは再び意識を集中させて、左眼の狙撃魔術を起動する。フリットの指示が飛ぶのと同時に、一二時の方向へと銃口を構え、引き金を引いた。




  †




「覚醒紋章は使うんじゃないぞ! 絶対にだ!」


 気配を察して、レンは咄嗟に叫んでいた。

 一瞬の気の隙を突いて、熱線が一条、左脚に命中。幾度となく受けてもなお慣れない激痛ののち、皮膚が重い火傷やけどにじんじんと痛む。

 身体強化魔術と軍服のおかげで派手な貫通こそしていないものの、やはり、〈指揮統制種ムネモシュネー〉相手では完全に防御しきれないらしい。まぁ。これぐらいならば次の出撃までに何とかなるだろう。

 一度その場を退しりぞいて、レンは〈指揮統制種ムネモシュネー〉から距離をとる。こちらの攻撃は通らなくなるが、熱線の密度が低くなる分、相手の攻撃も避けやすい。

 呆気にとられるリーナに、レンは怒鳴り返す。


「俺は元第一特戦隊だ! その紋章の効果も、支払わなきゃならない代償も知ってる!」


 覚醒紋章。ヴァールス王家とその隷下の家系のみに遺伝する、魔術行使を強化する左眼の刻印だ。

 それを発現すれば、本人の力を遥かに凌駕する魔術行使能力を得ることができる。恐らく、リーナは自分だけの力ではあの円環えんかんは突破できないと判断したのだろう。自分が討たなければならないのだと思って。

 だが。覚醒紋章は、彼女には絶対に使わせてはならない代物なのだ。


「こんなところで、アンタの命を減らす訳にはいかないんだよ!」

『……っ!?』


 覚醒紋章の代償は、生命いのち。魂の生存限界と引き換えに、強大な魔術行使能力を付与されるのが左眼に宿る刻印の効果だ。


『でも、これしか方法が……!』


 苦しげに放たれる言葉に、レンは鮮やかな朱色の双眸を苛立たしげに細める。


「誰が、あんたに討てって言ったんだ!」


 リーナには未来を生きて、そして歩む権利と義務があるのだ。こんなところで命を浪費させる訳にはいかない。

 いなくなるのは、俺だけでいい。

 左眼を閉じて、短く息を吸う。一瞬の逡巡ののち、レンはうたい上げた。


「【春星ブローディア薄雪エーデルヴァイスを護る盾であり剣。その魂、主に誓いて生命いのちの果てへと導かん】――!」

 

 詠唱の完了と同時に、レンの魂が覚醒紋章の術式と同化する。生命いのちが魔力へと変換され、膨大な力となって身体中を巡る。

 左眼にブローディア家の家紋があらわれ、朱色の瞳が魔力の燐光りんこうに煌めく。みなぎる魔力を飛行魔術と〈魔術式銃クラウソラス〉、そして〈魔術式銃剣カルンウェナン〉へと注ぎ込む。瞬間、様子を伺っていた〈指揮統制種ムネモシュネー〉へと飛び込んだ。


『レン!?』


 リーナの驚く声には反応しない。〈魔術式銃クラウソラス〉を構え、魔力の弾丸を数発叩き込む。最後の一発で薄紫の個体防壁が消失。突撃の前段階を整える。

 放たれる幾数の熱線を即座に見切り、最小限の動きで全弾回避。核を守らんとする円環えんかんに、〈魔術式銃剣カルンウェナン〉を思い切り突き刺した。


「はぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 激しい閃光がほとばしり、レンの視界を灼く。差し込む力を緩めずに、入った亀裂に弾丸を無遠慮に叩きつける。瞬間。青色の円環えんかんが爆散した。

 〈指揮統制種ムネモシュネー〉が悲鳴のような甲高い音を鳴らし、魔力の爆風を撒き散らす。対応が一瞬遅れて、レンの身体は爆風に吹き飛ばされた。


「しまっ……!?」


 その刹那に残る円環えんかんが核への進路を塞ぎ、次なる熱線を告げる光が視界を白く染め上げる。

 追撃はできず、かといってこの距離では熱線の回避も難しい。……ならば。

 せめて、円環えんかんの一つは破壊しようと、〈魔術式銃クラウソラス〉の撃鉄に指を置いた――その時だった。


『レン!』


 リーナの声が聞こえたのと同時。レンの意識の外、直上から白銀の少女が〈指揮統制種ムネモシュネー〉の核へと剣を突き立てていた。


ちろっ!!』


 そのまま剣を振り抜き、一刀両断。断面の極彩色ごくさいしきが緋色に変わるのを見てとって、咄嗟にレンは動く。

 離脱しかけていたリーナの手を引いて、レンは照明弾のある方向へと全速力で向かう。

 後方で魔力の大爆発が巻き起こり、光の十字架が立ち上がる。爆風を背に受けつつも、レンは一目散に現世への門へと駆けていく。

 ゆっくりと、けれども確実に現世への門が閉じているのを感覚しながら、二人は見えない門をくぐり抜けた。




  †




 〈集結地シェオル〉につどう〈ティターン〉をあらかた掃討し、組織的攻勢の要であった〈指揮統制種ムネモシュネー〉も撃破。午前八時をもって作戦を完了し、レン達は全員無事でレクス回廊まで撤退する。

 雨上がり、雲の隙間のあおい空から光が射し込む中で。きらきらと煌めく草原の静寂に、ぱちんと頬を叩く音が響く。


「私に使うなと言っておきながら、貴方が使用してどうするんですか!」

「……ごめん」


 怒鳴るリーナに、レンは伏し目がちに言葉をもらす。

 彼女の怒りはもっともだとは思うものの、とはいえあの場面では覚醒紋章を使うのが一番安全かつ有効な手段だったのだ。

 それに。今までも〈指揮統制種ムネモシュネー〉相手では覚醒紋章を幾度となく使っていたのだ。今更そこまで心配されるようなことでもない。


「……なにか、あったんですか?」


 事情を知らない三人を代表するように、レイチェルが訊ねる。しばしリーナは言うのを躊躇って、それを告げた。


「私たち王家とその隷下の騎士家系には、生命いのちを代償にして力を得る、覚醒紋章と呼ばれるものが左眼に刻印されているんです」


 ブローディア家は、王族に代々近衛騎士として仕えてきた家系だ。ゆえに、レンにも彼女と同じように覚醒紋章は備わっている。

 きっとレンを睨みつけて、リーナは吐き捨てるように言う。


「それを、レンは……!」

「だ、大丈夫だよ。ブローディアのは王家のと違って出力調整ができるし、それに、もう何回も使って――」

「なら、なおさらダメです!」


 ぴしゃりとレンの弁明をはねつけて、リーナは怒鳴る。


「貴方は、私の大切な部下なんです。これ以上生存限界を縮めるようなことは、隊長の私が――」


 ううん、と首を捻って。リーナは決意を瞳に宿して、レンの目を見据える。


「いや。元ヴァールス王国第二王女の、エルリーナ・フォン・ヴァールス=エーデルヴァイスとして。今後、貴方が覚醒紋章を使用することは許しません」


 その真紅に、レンはしばし押し黙って。


「……わかった。もう、使わない」


 折れたように、そう宣言した。

 レンの言葉に、リーナはほっとしたように頬を緩める。


「なら、今日のことは許してあげます」


 満足げに言う彼女の顔には、心の底からの安堵の表情が浮かんでいて。レンは苦く笑う。

 覚醒紋章の使用は、みんなに命の危機が及ばない限りは控えよう。そう思った。


「……なんかよく分かんないけど、解決したの?」 

「ええ。解決しましたよ。……では、帰りましょうか」


 イヴの言葉に、リーナは屈託のない笑顔で頷いて。レンたちは帰路につく。




「お前、やっぱりブローディアだったんだな」


 レクス回廊を伝って、味方防衛線内へと帰還する途中。ふいにフリットが言ってくるのに、レンは複雑な表情で答える。


「そうだよ。ブローディアだよ、俺は」

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