第13話 作戦開始

 作戦当日は、生憎あいにくの雨だった。

 薄墨うすずみの空が微かに明るみ、黎明を告げる光が世界を彩る。

 ざぁざぁと降り注ぐ雨の中、リーナたち第二特戦隊はレインコートを纏って作戦開始の時間ときを待っていた。

 腕時計が午前四時を指したのを確認して、リーナは決然と告げる。


「これより〈幻影の嵐ファントム・ストーム〉作戦を開始します。各員、出撃!」




 〈幻影の嵐ファントム・ストーム〉作戦の作戦概要はこうだ。

 作戦開始時刻は午前四時。〈ティターン〉の行動前、夜明けと同時に敵地への侵入を開始する。奥地の〈ティターン〉が出払うであろう午前七時頃に目的地――レクス回廊付近の〈集結地シェオル〉だ――へと到達し、発見次第これを攻撃。

 組織的攻勢の要である〈指揮統制種ムネモシュネー〉を撃破し、残る〈ティターン〉もできる限りを掃討。午前八時をもって掃討作戦を完了し、午前一一時頃には味方防衛線内へと帰還する――。


 作戦の内容自体は極めて単純なもので、完了までは一二時間もかからない簡単なものだ。進撃及び撤退に関しても、第一特戦隊が啓開けいかいしたレクス回廊を使用すれば、そこまで危険な旅にはならない。

 作戦時間も、当初こそ昼間での攻撃だったものの、昨日の夕方頃に改訂されて午前中へと変更された。この時間帯は丁度〈ティターン〉が防衛線へと攻撃を開始する時間帯であり、後方の監視は比較的手薄な状態だ。奇襲効果を狙うのならば、最適の時間帯になる。


 つまり。〈指揮統制種ムネモシュネー〉さえ撃破できれば、この作戦には全員が無事に帰れるだけの勝機が十分にあるのだ。

 ……まぁ。その〈指揮統制種ムネモシュネー〉が厄介な存在ではあるのだが。


『〈指揮統制種ムネモシュネー〉って、どんなやつだったっけ?』


 行軍中、通信機越しにイヴが訊ねてくるのに、リーナは答える。 


無花果イチジクの形をした球体に、赤、青、黄、緑の四色の円環えんかんが周囲を回転している大型の〈ティターン〉です」


 研究学者いわく。中央の無花果イチジクは人類の原罪を示す〈知恵の実〉の象徴であり、四色の円環えんかんは世界各地で発掘された〈福音書〉を示唆している――のだとか。リーナには何を言っているのかさっぱり分からないが。

 正直生物とは思えない見た目の情報ではあるが、これでもれっきとした〈ティターン〉の一種だ。他のと同じく倒せば爆発するし、光の十字架も放つ。


『それと、ヤツは記憶の神の名を冠するだけあって頭がいい。下手に攻撃を避けてると、援護の届かない場所にまで追い込まれちまう』

「なので。みなさんはくれぐれも事前の作戦通りにお願いしますね。……私は、誰も死なせたくなんかありませんから」


 静かに、けれども確固たる意志を込めてリーナは言う。

 みんなには生きていて欲しいから。危険なのは、いなくなるのは私だけでいい。


『それでも、やっぱり私は反対です』


 レイチェルの不安げな声が耳に届く。


『私たち三人は他の〈ティターン〉の掃討にあたって、〈指揮統制種ムネモシュネー〉にはレンとリーナさんの二人だけで当たるだなんて……。やっぱり、全員でかかった方が、』 

『むしろそっちの方が危険だ』


 レイチェルの言葉を、レンは遮る。


『無意識のうちに窮地へと追いやられてしまう以上、中途半端な腕のヤツは居た方がかえって危険だ』

『それは……』


 厳しいレンの言葉に、レイチェルは口を噤む。

 言い方こそ悪いものの、事実、その通りなのだ。攻撃しようという意思があるせいで、全力で攻撃を避けるという意思が削がれてしまう。結果、負傷は蓄積し、無意識のうちに味方の援護の届かない、いわゆる“詰み地点キルゾーン”へと誘い込まれてしまう。そして。それに気付いた時にはもう助からないのだ。周りが助けようとしても、手が届かない。

 攻撃と回避を高いレベルで両立できなければ、思惑通りに動かされてしまう。それが、〈指揮統制種ムネモシュネー〉という敵なのだ。

 にやりと、笑ったような挑戦的な声音で、レンは言う。


『……まぁ。俺は前の部隊で〈指揮統制種ムネモシュネー〉とは死ぬほど相手してきたんだ。リーナも、そう簡単にやられるような腕はしてないしな。……だから。安心してくれ』

『……』

「大丈夫です。必ず、全員で生きて帰りましょう」


 そう、念を押すようにリーナも伝えて。


『……絶対に、生きて帰ってきてくださいね』


 レイチェルが言うのに、二人は決意を込めて応えた。


『ああ。もちろんだ』

「はい。もちろん」





 それから数時間ほどを進軍して、腕時計の針が午前七時を告げる頃。激しさを増した雷雨の中に、一同はを見る。

 雨霧に霞む景色の奥、そこにあったのは巨大な円状の銀鏡ぎんきょうだった。

 薄墨うすずみに曇る空をそっくりそのまま反射し、けれども雨粒による歪みは一切を映し出さない。それどころか、空を悠然と漂う〈ティターン〉の姿すらも、その鏡には映し出されてはいなかった。

 世界の有り様だけを粛然と映し出すだけの、異界に繋がる鏡の門。それこそが、〈集結地シェオル〉だ。


『アレが〈集結地シェオル〉か……!』


 フリットが驚愕の声をもらすのに、レンは真紅の瞳をきっと細めて地上の鏡を睨み据える。

 この鏡の中で、〈指揮統制種ムネモシュネー〉は攻勢のその時までを待つのだ。己が最も戦闘を行いやすい、虚無と魔力だけの空間で、奴は襲撃者を待ち構える。

 気を落ち着かせるのに一度息を吐いて。レンはリーナの号令を聞く。


『予定通り〈指揮統制種ムネモシュネー〉は私とブローディア中尉で討伐します。その間、こちら側の掃討作戦はラインハート少尉、貴方が指揮を執って行ってください』

『了解。……二人とも、ちゃんと帰って来いよ』


 フリットの言葉に、二人は無言の肯定を返して。

 直後、二人はそれぞれの魔術式兵器に魔力付与エンチャントを施して、地上の大鏡へと突っ込んだ。





 鏡の門をくぐると、そこは一面真っ黒な世界だった。前後も左右も、上下の感覚さえも奪い去られるような、深淵の黒色だ。辛うじて感じる風だけが、自分が今前進していることを感覚させる。

 視界の先には、極彩色ごくさいしき無花果イチジクの実に、その周囲を回転する四つの円環えんかんが見えた。


「……あれが、〈指揮統制種ムネモシュネー〉」


 思わず、声がこぼれ落ちる。

 資料でその姿は知ってはいたが。こうして実際に目にしてみると、実際の数値よりも何倍も大きく、そして異様な姿だった。

 突然、隣でぱちんと音がして、リーナは立ち止まる。音のした方へと振り向いて、そこには魔術の照明弾を展開するレンの姿があった。


「……ええと、ブローディア中尉?」


 困惑げに訊ねるのに、レンは呆れに目を細めて答える。


「昨日の作戦会議で言ったろ。鏡の中はあらゆる感覚が狂うし、どこを向いてもおんなじ景色があるだけだ。目印を置いとかないと、脱出に手間取る」

「一定時間内に脱出しないと、出入口が閉じる……んでしたっけ」


 ああ、と相槌をうって。レンは〈指揮統制種ムネモシュネー〉を見据えながら呟く。


「この方法が編み出される前は、間に合わなくてたくさんの部隊がいなくなった」

「……」


 その言葉に、リーナは唇を引き結ぶ。

 王家私達のせいで、多くの紅瞳種ルファリアがこの世界からしまったのだ。生きていたという痕跡を、何一つ残すこともなく。永遠の虚無に、幾数もの人々を閉じ込めてしまった。

 照明弾の展開が完了したところで、レンは振り向いて告げる。


「……行こう」

「ええ」


 こくりと、リーナも頷き返して。

 瞬間。二人は飛行魔術を全開にして〈指揮統制種ムネモシュネー〉へと突撃した。

 遠近感の狂う深淵の闇の中、極彩色ごくさいしきと四色に輝く怪物が段々と近づいてくる。


『先に俺が左翼から攻撃する! リーナ、あんたはその隙に右翼から突撃しろ!』

「了解!」


 応答して、その直後。四つの円環えんかんを縫って、中央の球から無数の光条が放たれた。それを視界に捉えたところで即座に散開し、迫る熱線を躱しながら〈指揮統制種ムネモシュネー〉の右翼側へと進出していく。

 遠ざかる左翼側では、レンが熱線を〈魔術式銃剣カルンウェナン〉で弾きながら銃弾を叩き込んでいる姿が見えた。まさに獅子奮迅。リーナすらも不要と思わせる完璧な戦いぶりだ。


 それからは目を離して、リーナは今一度〈指揮統制種ムネモシュネー〉へと視線を振り向ける。深淵の闇に燦然と輝く異様は、どこか現実感を欠いた光景だった。

 全高は約三〇メートル、全幅約四〇メートル。その大部分は中央の球体を守る円環えんかんであり、並大抵の火力ではこれを打ち破ることは不可能だ。対物質用ライフルどころか、魔力付与エンチャントを施した戦車砲ですらも受け付けない。その上個体防壁もあるのだ。

 ゆえに、こいつを打ち倒すにはただ唯一、接近戦での直接攻撃しかない。


 右手に握る〈魔術式剣アロンダイト〉にありったけの魔力を込めて、刀身が鮮やかな真紅の燐光を輝き放つ。進行方向を九〇度回転させ、〈指揮統制種ムネモシュネー〉へ。

 剣を突き立て、来たる個体防壁の衝撃に備える。〈指揮統制種ムネモシュネー〉の注目はレンにあり、リーナは完全に意識の外だ。不意打ちの場合、個体防壁はいつもよりも弱くなる。

 確かな手応えと共に個体防壁を突破し、四つの円環えんかんの一つへと剣を振り下ろす。真紅の光刃こうじんが青色の輪を斬り裂――かない。


 魔力同士の衝突で燐光りんこうの火花が散る。閃きの中に見えたのは、激しく拮抗する刃だった。


「なっ……!?」


 信じられない光景に、リーナは目を見開く。まさか、〈魔術式剣アロンダイト〉が受け止められるとは思ってもいなかった。


『リーナ! 下がれ!』


 レンの言葉で我に返って、視界の端に見えていた光条を躱してもう一度距離をとる。


 ……これだけでは、足りない。


 〈指揮統制種ムネモシュネー〉のヘイトが再びレンに移るのを見ながら、リーナは胸中で確信を持って呟く。

 今の私の腕では、高速で動く四つの円環えんかんを避けて中央の球体、つまりは〈指揮統制種ムネモシュネー〉の核を破壊することは不可能だ。かといって、もう一度肉薄してもあの円環えんかんを突破するのは難しい。


 ……もう、を躊躇っている余裕はないか。


 しばしの逡巡ののち、リーナは緩く瞑目する。意識を集中させて、左眼のを発現させようとした――その時だった。


は使うんじゃないぞ! 絶対にだ!』

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