第25話 〈運命の聖槍〉作戦

 気がつくと、そこは見知らぬ部屋だった。

 白い天井。白い壁。白いカーテン。白いベッド。白い包帯。白い機械。


 ――窓から見える、地平線の彼方まで広がるきれいな蒼穹。


 ……確か。私は。


 回り始めた頭の中で、リーナはここに来た経緯を思い出す。

 朝、レンたちに見つからないようにと、日が昇る前に駐屯基地を出て。痛む身体を痛覚遮断と飛行魔術で無理やり動かして。昨夜の通信で指定された軍病院へと出向いていたのだ。

 軍病院へと向かう途中で、共和国軍の救護車が見えて……そこで、リーナの記憶は途切れていた。


 恐らく、そのタイミングで意識を失ったのだろう。さすがに少し無理をしすぎたなと、リーナは自嘲気味に呟いた。

 身体中に巻かれた包帯と、吊られた左腕から考えるに……治療そのものはもう終わっているらしい。あとは、これがどれだけ早く治るかだ。


 ふと、脳裏によみがえるのは、昨日の記憶。目の前で微笑んだ大切な人が、無惨に圧殺されて砕け散った、焼き付いて離れない罪の記憶だ。

 ドラマチックでもなんでもない。ただただ、無惨で理不尽な突然の死。

 私を救ってくれたのに。なのに、助けられなかった痛みの記憶。

 フラッシュバックで鼓動が早くなり、息がだんだんと苦しくなる。耐え難い苦痛に胸を抑えた、その時だった。

 こんこん、とドアをノックする音がして、リーナの意識は現実へと引き戻される。息を落ち着かせてから、リーナは応じた。


「……はい、どうぞ」


 無言でドアが開かれて、部屋に入ってきたのはの士官軍服を着た男の人だった。瞳は底冷えするような赤色で、左眼は眼帯に覆われていて見えない。ちらりと覗く傷から考えるに、何かの拍子で失明したのだろう。

 どこかで見たことがあるようなと思いつつも、リーナは困惑げに訊ねる。


「……ええと。どなたでしょうか……?」 

紅瞳種ルファリア保護区区長および紅瞳種戦術義勇軍RTVF司令長官、グレン・ブローディアだ」

「司令!? し、失礼しまし――、っ……!?」


 慌てて敬礼をしようとして――あまりの痛みに失敗した。

 悶えるリーナに、ブローディア司令はいつもの淡々とした口調で続ける。


「儀礼はいい。……君の怪我については、先程担当医から仔細を聞かせて貰った。全治には、少なくとも一ヶ月以上は必要だそうだ」

「けれど。動くだけなら、一ヶ月もあれば大丈夫です」


 真紅の瞳に固い決意を燃やして、リーナは答える。


「……お話が、あるんですよね」


 まさか、ただ見舞いに来たわけでもあるまい。

 ブローディア司令はこくりと頷いて、手に持っていた鞄から書類の束を持ち出した。


「君達の持ち帰った情報によって、いくつかの新たな情報が明らかになった。今日は、その報告だ」


 そう言って渡してきた書類の束を、リーナは受け取る。ページをめくるのを見計らって、ブローディア司令は口を開く。


「まずは、君達が遭遇した天使と竜。この敵性個体は、その形状と攻撃方法、〈慈悲ケセド〉から発生したことを踏まえ、共和国軍は〈アスタロト〉と命名した」

「……〈慈悲ケセド〉に封印されたとされる悪魔、ですか」


 思わず、呟いていた。

 お姉ちゃんが専攻していた魔力学において、〈生命セフィロトの樹〉にはそれぞれ一体ずつ、世界を破滅に導く悪魔が封印されているとされている。

 アスタロトは、リーナ達が撃破した〈セフィラ〉――〈慈悲ケセド〉に封印されているとされる悪魔の名前だ。

 そして。


「超古代文明において、〈生命セフィロトの樹〉に封印されし渾沌こんとんと厄災。恐らく、君達の遭遇した〈アスタロト〉は、その正体だ」


 つまり。あの日出現した天使と竜は、超古代文明ですらも撃破しえなかった、強大な人類の敵だ。そして。彼らの存在は、魔力学の提唱していた表裏世界説の証明でもある。


「……私達以外の目撃情報は、」

「今のところ君達以外での目撃情報は確認されていない。現状は様子見だ」


 資料のページをめくって、ブローディア司令は続ける。


「また、今回撃破した〈慈悲ケセド〉以外にも、複数の〈セフィラ〉が復活していることが確認された。現状では、〈勝利ネツァク〉、〈知恵コクマー〉、〈ティファレト〉の三種の復活が確認されている。ただし。現状、これらの掃討作戦は予定されていない」

「……他の〈セフィラ〉にも、悪魔が封印されていると?」

「その可能性は十分にあり得る。少なくとも、〈奈落の門タルタロス・ゲート〉を撃滅するまでは、共和国軍はこれを静観するつもりだ」


 そこで、ブローディア司令は一度口を噤んで。冷徹さの増した声音で告げた。


「また、来たる決戦――〈運命の聖槍ロンギヌス〉作戦は、予定日を二週間前倒しして発動されることが正式に決定された。発令予定日は七月四日。アティルナ共和国の、革命記念日だ」


 アティルナの国民が、苛烈な内戦の果てに掴んだ自由と栄誉。どうせ近い日付でやるのならば、過去の栄光にあやかろうというものだろう。

 より真剣さの増した冷徹の赤色が、僅かに細められる。


「この作戦が成功すれば、五年に渡る紅瞳種ルファリア人への迫害政策は撤回される。神との契約儀式に端を発した、紅瞳種ルファリアへの患難かんなん。それは、今作戦の聖なる槍ロンギヌスによって断ち切られる」

「しかし、そのような契約を、共和国が遵守する保障は、」

「書面での契約は既に済ませてある。全ての贖罪しょくざいを終えてなお、私達を家畜以下の存在だとそしるのならば。その時は、私達は武力をもって現政権を打倒するまでだ」


 強く、そして確固とした口調であり態度だった。

 それきり言葉は途切れて、病室には異様な静寂の時間が訪れる。最初に口を開いたのは、リーナだった。


「……私は、その作戦に参加できるのでしょうか」

「作戦発動日では、君はまだ傷の完治はしていないはずだ。足手まといになるような戦力を、出向かせる訳にはいかない」

「しかし!」


 きっとブローディア司令の瞳を睨み据えて、リーナは言う。高貴と自責の真紅のあかいろで。


が出向かない作戦を成功したとて、共和国は果たしてそれが贖罪しょくざいだと認めるでしょうか? 答えは否です。決定的な証拠を突き付けない限り、差別という名の国内安定装置を手放すわけがありません」


 有史以来、人間は誰かをおとしめ、蔑んできた。そうやって己の地位や豊かさを確認し、汚れ仕事を下等な人たちに背負わせてきた。

 そして。それは、人類の平等が謳われるようになった現代においても、変わらない。誰かを陥れる方が、簡単に安心を享受できる。重労働は誰かに背負わせていた方が、はるかに楽ができるのだから。


 事実。今のアティルナ共和国は、戦時下とは思えないほどに安定しているのだ。激戦区には紅瞳種ルファリア人を配置し、適性のない者には過酷な鉱石採掘や金属品加工を背負わせる。どこに行っても、紅瞳種ルファリア人には必要最低限の食糧しか支給はされない。


「司令も。……いや、司令こそ、一番わかっているのではありませんか?」

「……」


 もちろん、みんながみんなそういうような人たちではないことを、リーナは知っている。けれど。だからこそ、紅瞳種ルファリア人と共和国人を戦わせたくはなかった。


「無用な血は、決して流すべきではありません。一人の命で数多あまたの命が救えるのならば。王家として、私は行くべきではありませんか?」


 一ヶ月ならば、完治はしていなくとも動くことはできるはずだ。ならば、あとは身体強化の魔術をかけて戦えばいい。

 たとえ、この身が尽き果てようとも。私は、使命を果たさなければならないのだ。

 軋む身体を動かして、リーナは嘆願する。


「……どうか、よろしくお願いします。グレン・・ブローディア




  †




 リーナが駐屯基地を離れてから、一週間が経った。



 今日の強行偵察任務を終えて、レイズフォードの駐屯基地へと帰還するさなか。梅雨時期特有の灰色の空の中を、レンたちは飛んでいた。 

 眼下に広がるのは、一面の滑走路と航空機だ。コンクリート舗装にアスファルト舗装、端の部分では未舗装のものまで。ありとあらゆる資材と人員を投入して、広大な平野は巨大な飛行場へと造り替えられていた。

 そして、それらの南方には、ありとあらゆる種類の軍用航空機が並べられている。


 それもそのはず。約一週間後に迫る〈運命の聖槍ロンギヌス〉作戦は、航空戦力と紅瞳種ルファリア人部隊だけによる突入作戦なのだ。

 浄化された土地は脆く、いつ崩落するのかもわからない。そのため、陸上戦力による突入はまず不可能だ。

 そのうえ、〈奈落の門タルタロス・ゲート〉の付近では、そもそもの問題として陸上戦力が移動できるような土地が

 この二つの理由から、〈運命の聖槍ロンギヌス〉作戦では空軍と空を飛べる紅瞳種ルファリア人部隊による突入作戦が策定されたのだ。


『浄化、もうすぐそこにまで進んで来てんな』


 フリットがぽつりと漏らすのに、レンはちらりと背後の峰々を振り返る。

 アティルナ共和国とヴァールス王国、人類圏と浄化世界を分かつアルフェン山脈。その山頂付近には、雪とは違うしろ色が神々しく輝いている。

 その先に見える景色は、蒼穹ではなく赤い空で。不気味な赤色が、事態の深刻さを物語っていた。

 忌まわしい紅の空を視界の端で捉えながら、レンは言う。


「もう、あんまり時間はないみたいだね」


 研究者いわく。この赤色の空は、人が死ぬ度に広がっているらしい。仮にその説が本当なのだとすれば、この広がり様はどこかの国が滅んだことを示している。

 自分たちの基地が見えてきたところで、イヴが不意に訊ねてきた。


『隊長との面会、まだできないの?』

「うん。リーナの方が面会を拒否してるらしくて。伝言もとおんない」


 まぁ。その理由はおおかた予想はつくが。

  とはいえ、ここまで交流を拒否されるのでは、レンたちではどうしようもできないのだ。


『せめて、〈運命の聖槍ロンギヌス〉作戦に参加するのかどうかぐらいは聞いときたいんだけどな』

「まぁ、あの傷だし間に合わないでしょ。……それに。アイツも、足手まといになるような人を参加させたりはしないだろうし」

『あいつ、ねぇ? ……司令、お前の親父じゃねぇのか?』


 肩を竦めてフリットが言うのに、レンは嫌悪感もあらわに吐き捨てる。


「誰が、あんなヤツなんか! あいつは母さんを見捨てて、俺たち特戦隊を使い捨てることしか考えてないようなやつなんだ! そんなヤツ、父さんなんかじゃないよ!」

『……言うねぇ』


 苦笑混じりにフリットが呟いて。それきり、三人の会話は途切れる。

 兵舎の前で降り立ったところで、そこに一人の青年士官が鞄を片手に待ち構えているのに気がついた。


「……あれ、輸送科の人じゃない?」


 イヴが言うのに、レンは彼の隣に一台の車が止まっていることに気づく。

 こちらに気づいたらしい、青年士官は鞄を手に近寄ってきた。


「お、やっと帰って来ましたね。貴方がレン・ブローディア中尉で間違いないですか?」


 彼の赤色の瞳と容姿に既視感を覚えつつも、レンは言葉を返す。


「え、あぁ、はい。そうです。俺がレン・ブローディア中尉です」

紅瞳種戦術義勇軍RTVFより、〈運命の聖槍ロンギヌス〉作戦の作戦指令書を預かっています。どうぞ」


 ついに来たか、と胸中で呟きながら、レンはその指令書を受け取る。即座に封を開けると、資料から作戦概要の一つ――参加兵力の欄を開いた。

 周りが困惑するのは無視して、レンは参加兵力の欄を一行ずつ丁寧に確認していく。

 そして。最後のページの下側、〈奈落の門タルタロス・ゲート〉突入部隊の欄に、レンたち第二特別戦隊『ヴァイスエッジ』の名称はあった。人員は名で、レンとフリット、イヴの三人だ。リーナの名前はない。

 ほっとしたのも束の間、その下にリーナの名前を見つけてぎょっとした。


「……は?」


 思わず声が漏れる。なんで、傷の完治もしていないはずのリーナの名前が。


「ど、どうしたの……?」

「何か、不備でもありましたか?」


 イヴと青年士官が不安げな声を漏らすのを聞きながら、レンはリーナの所属部隊名を確認する。


 ――特別挺身隊。


 それが、第二特戦隊を離れたリーナの所属だった。〈奈落の門タルタロス・ゲート〉突入部隊の、特別挺身隊。文字の羅列に悪い予感を感じながら、レンはページをめくる。作戦内容の後半に差し掛かったところに、『特別挺身隊』の行動内容は記載されていた。



 ――第二特別戦隊の護衛の下、特別挺身隊は目標地点へと肉薄。第二特戦隊は、特別挺身隊の退路および目標撃破のための脅威の排除にあたる。特別挺身隊は、これの支援の下攻撃目標を撃破する。

 ――ただし。特別挺身隊が全滅した場合には、全軍が総力を持ってこれの撃破にあたる。



 それが、作戦指示書に書かれていたレンたち第二特戦隊とリーナの特別挺身隊の行動内容だった。

 つまり。レンたちはリーナの支援にあたるだけで、〈奈落の門タルタロス・ゲート〉へ直接の戦闘は行わない。リーナは、一人で〈奈落の門タルタロス・ゲート〉の破壊作業にあたるというものだ。


「……ざけんなよ」


 割れんばかりの力で奥歯を噛み締めて。レンは呻くように呟いていた。

 こんな、リーナの死を前提にしたような作戦は、断じて容認できない。できるわけがない。

 怒りを瞳に灯したまま、レンは戸惑う青年士官へと向き直る。

 ここから徒歩では時間がかかりすぎるし、かといって飛行魔術を使えば目立つ。となれば。

 

「あんた、この後は後方の基地へと帰るだけか?」

「え? ええ、まぁ、そうですけど……?」

「なら、俺も乗せてってくれ」


 しばし、青年士官は押し黙って。にやりと笑った。


「……分かりました。行き先は軍病院でいいんですよね?」


 ああ、とレンは頷く。 


「え。ちょ、ちょっと待ってよ。レンってば急にどうしたの……?」


 戸惑いの言葉を上げるイヴに、レンは強引に指令書を押し付けた。指令書とレンとを交互に見つめる彼女に、レンは怒りを抑えた声音で吐き捨てる。


「そのふざけた指令書を読めば分かる」


 それだけ言うと。レンは青年士官の車へと乗り込んだ。

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