第22話 穢れなき純白の戦場

 真紅の空と純白の大地の狭間を、レンとリーナは飛行魔術を全開にして翔け抜ける。

 〈慈悲ケセド〉。世界をめちゃくちゃにした〈生命セフィロトの樹〉を構成するものの一つにして、四年前にレンたち第特戦隊が撃破したはずの、四枚の純白の翼をもつ巨大な天使だ。


 神聖とおぞましさを同時に兼ね備えた、四年前に倒したはずの〈セフィラ〉の守護者。それがなぜ復活しているのか。レンには分からない。

 だが。復活したのならば、今回もまたこいつを倒すだけだ。


 き、と眼前に佇む天使を睨んで。レンは〈魔術式銃クラウソラス〉とその銃剣である〈魔術式銃剣カルンウェナン〉へと魔力を注ぐ。刹那、銃剣の刃が緋色に煌めいた。

 リーナの指示が耳に届く。


『私は左から回り込んで突撃します! 中尉、あなたは右手で敵の注意を引き付けてください!』

「了解!」


 言い置いて。直後、隣で並走していたリーナが左方さほう低空へと離脱した。

 それを横目で見つつ、レンは接近しつつも彼女と真反対の方向――右方うほう高空へと飛び上がる。接近に気づいたらしい、〈慈悲ケセド〉が動いた。

 虚ろな双眸がこちらを向いて、その瞳をひらめかせる。瞬間、速度を上げるレンの四方八方に、無数の紫の炎が巻き起こった。


「……やっぱりか!」


 その光景に、レンは思わず吐き捨てる。

 どうやら、攻撃方法は昔の個体と変わらないらしい。となれば、対処は比較的容易だ。

 照準から発火までのラグを増やすべく、レンは飛行速度をさらに上げていく。魔術で身体機能を強化しているおかげで、火球がどこで発生しているのかはある程度見当がつくのだ。位置が分かれば、あとはそれを頼りに回避していけばいい。


 紫炎しえんの弾幕を見切ってかいくぐりながら、レンは狙撃魔術で巨大天使の向こう側に白銀の少女がいるのを見る。彼女の手には、緋色に煌めく一振りの剣。

 咄嗟に準備完了と判断し、進行方向を直角で変更。〈慈悲ケセド〉目掛けて突撃を開始した。


「はぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 巨体をこちらに回して、〈慈悲ケセド〉は右手と同化した青色の剣を振り下ろす。迫る刃に構わず、レンは〈慈悲ケセド〉の個体防壁に〈魔術式銃剣カルンウェナン〉を突き立てた。

 魔力の閃光が視界をき、火花が軍服に当たっては消えていく。それには意識も向けず、ありったけの弾丸を薄紫の障壁に叩きつけた。

 頭上に蒼天の刃が迫る。直後、銃剣を阻んでいた個体防壁が消失。身体が前へと動く。


『今度は同時に頼みます!』


 リーナが叫び、それと同時にレンの隣を白銀の少女が翔け抜けていく。天使の剣に、〈魔術式銃クラウソラス〉の弾丸が殺到してその軌道を逸らす。振り下ろされた剣が、衝撃波となって二人の身体を揺さぶる。

 天使の腰のあたりを通り過ぎて、回頭。レンは四枚の翼と相対する。


『核は心臓のあたり、でしたね?』

「間違いない。そっちからもいけるか?」

『当たり前です。中尉は右腕を!』


 返答する間もなく、リーナが再度突撃するのをレンは感じる。地面でうごめの線を確認しつつ、レンは通信を切り替えた。


『レイチェルはリーナの支援を! イヴ、フリットは左腕を頼む!』

『了解!』『わかった!』『了解しました!』


 返答を聞いて、レンは今一度眼前の青い剣を見据える。この刃に触れたら最後、いくら身体に魔力付与エンチャントをかけていようが瞬時に浄化される。全てを無に帰す、聖なる剣だ。

 〈魔術式銃クラウソラス〉を構え、狙撃魔術を起動する。肘に照準を固定して――即座に発砲。

 刻々と迫るしろい肌に、魔力の弾丸が次々と着弾。僅かに、けれども確実に天使の肉体をえぐり取っていく。

 銃身が焼き付くのを見て、レンは魔力を〈魔術式銃剣カルンウェナン〉に集中させる。直後、天使の肘に銃剣を突き立てた。

 そのまま力任せに振り下ろし、関節部を斬り裂く。それでもまだ、完全に千切れはしない。銃をくるりと持ち替え、再び刃を差し込む。血のようなものが飛び散り、即座に光の粒子となって消えていく。刹那、今度こそ天使の右腕を両断した。


 白銀の閃光が天使の胸部に吶喊とっかんし、紫の衣諸共そのしろい肌を斬り裂いて通り過ぎていく。核にはまだ、到達していない。

 天使の背後で回頭すると、リーナは即座に再突撃を開始した。




「浅かったか……!」 


 振り向いた先、まだそこにある天使の姿を見て、リーナは吐き捨てる。

 ならば。もう一度たたっ斬るのみだ。

 〈魔術式剣アロンダイト〉を構え、再び吶喊とっかん。今度は背後からその巨体へと刃を差し込む。

 硬い肉を断つ感覚を手に覚えながらも、決して歩みは止めない。緋色の刃が軋み、悲鳴を上げる。構わず、全速力で駆け抜けた。  


 砕け散った〈魔術式剣アロンダイト〉の柄を放り捨てながら、リーナは周囲で巻き起こる紫の炎をかいくぐる。振り向くと、そこにははたして蒼玉サファイア色の正八面体が天使の胸部に見えていた。

 即座に右に差していた〈魔術式剣アロンダイト〉を抜き放ち、魔力付与エンチャント。その刀身が鮮やかな緋色に煌めく。

 胸部の蒼玉サファイアを狙撃魔術で照準。瞬間、リーナはそれ目掛けて剣を投擲とうてきした。

 直進する刃は誤たずに〈慈悲ケセド〉の核を穿うがち――けれども、核は崩れない。


「レイチェル!」


 叫んだのと同時。リーナの横で待機していたレイチェルが、〈魔術式銃クラウソラス〉の一撃を叩き込んだ。

 大気を切り裂いて、極光が一閃。

 彼女の放った弾丸は、〈慈悲ケセド〉の核を完全に貫いていた。

 瞬間、全員の視界がしろく染まる。遅れて、爆発音。

 視界が戻ってきた時には、眼前には巨大な光十字が現れていた。





 轟く爆発音とともに巨大な光の十字架が立ち上がるのに、リーナはとりあえずの安堵の息を吐く。

 これで、〈慈悲ケセド〉の討伐は成功した。誰一人欠けることなく、今回の挺身作戦も成功した。それが、何よりも嬉しかった。

 口元に笑みを浮かべて、労いの言葉をかけようとした――その時。


 光の十字架の中央に、黒いもやのようなものが出現しているのをリーナは見る。


「あ、あれは……?」


 思わず訊ねるような口調の言葉がもれる。だが、帰ってくるのは戸惑いの声だけだ。


『俺も……こんなのは知らない……』


 どうやら、レンにもこの光景は初見のものらしい。呆気にとられた声を上げるのが聞こえてくる。

 一同が困惑している間にも、その黒いもやは大きく、そして濃くなっていく。黒いもやは霧に、そして次第にドラゴンとそれにまたがる天使のようなものを形作っていく。


 瞬間。は邪悪な衝撃波をともなって実体化した。

 衝撃波に視界が一瞬暗転し、意識が遠くなる。眼前の竜と天使を再び見た時には、それらの放った紫の霧がすぐそこにまで迫って来ていた。


「あ――――」


 その霧の前に、リーナはただ呆然と立ち尽くす。

 回避は間に合わない。かといって切り払うための〈魔術式剣アロンダイト〉も、今は二本とも手元には存在しない。〈慈悲ケセド〉との戦闘時に片方は折れ、片方は投げ飛ばしてしまったから。

 紫の霧が迫る。けれど、リーナの身体は動かない。ゆっくりと時間だけは進んでいく。

 その紫の霧に、強い死を感覚した――その時だった。


『リーナさんっ!』


 次の瞬間。リーナの身体は、甲高い少女の声とともに横へと突き飛ばされていた。


「え……?」


 声のした方へと視線を向けると、そこには、いつもの優しい笑顔でこちらを見つめるレイチェルがいた。

 空転する思考は、それが何を意味しているのかを理解できない。その間にも、紫の霧は容赦なく眼前の少女へと襲いかかる。


「レイチェ、」


 思わず手を伸ばして――直後。霧に呑まれた目の前の少女は、ぱしゃっという軽い音とともに赤い血塊となって飛び散った。


「っ――――!?」


 粘性のある赤い液体が、リーナの顔や髪や軍服に撒き散らされる。瞬間。リーナの思考は激しい憎悪と憤怒で満たされていた。

 ほとんど無意識のうちに左太ももからナイフを引き抜くと、リーナはを躊躇なく詠唱する。



『【過去と未来、そして現在いまりし全能神よ! 我ら薄雪エーデルヴァイスに民草を護り導く力を貸し与えん】――!』



 レイチェルの戦死に呆気にとられているさなか、通信機からリーナのが聞こえて来るのに、レンはぎりと奥歯を噛み締める。

 今。通信機から聞こえてきたのは、王家エーデルヴァイスの覚醒紋章の詠唱だ。強大な魔術行使能力と引き換えに、魂の生存限界を削り減らす諸刃の剣。

 特に、王家のものはブローディアのそれよりも何倍も効果も代償も高い。


 ……だから。使わせたくなかったのに。


 白銀の閃光が竜にまたがる天使へと突撃していくのに、レンもまたうたい上げていた。


「【春星ブローディア薄雪エーデルヴァイスを護る盾であり剣。その魂、主に誓いて生命いのちの果てへと導かん】――!」


 直後。〈魔術式銃クラウソラス〉と〈魔術式銃剣カルンウェナン〉に魔力を注いで、レンも天使目掛けて突撃した。

 身体の生成がまだ完全ではないらしく、新たに現れた天使と竜はいまだにその場を動かない。それどころか、紫の霧以外の攻撃をしてくる素振りすらも見せなかった。


 天使が動く。右手の剣を一振りしたかと思うと、突然、天使とリーナたちの間に紫の霧が立ちこめた。

 先程レイチェルを圧殺した、あの霧だ。


「リーナ! 止ま――」


 言い切る前に。リーナは紫の霧へと突っ込んでいた。

 最悪の予想とは裏腹に、リーナは霧をものともせずに天使目掛けて直進していく。そのまま、天使の胸部にナイフを突き立てた。

 ――が。彼女の身体は天使をすり抜けてそのまま背後へと通過していく。遅れて、レンとフリットが〈魔術式銃クラウソラス〉を発砲。しかし、やはり弾丸は虚空を穿つように天使と竜の体をすり抜けていく。


『どうなってんだよ、あれ……!?』


 フリットが呻くのを聞きながら。レンはその天使と竜を睨み据える。

 〈魔術式銃クラウソラス〉も、魔力付与エンチャントを施したナイフでさえも当たらない。


 ……いったい、こいつはなんなんだ。


 レンが歯噛みする間にも、リーナは幾度となくナイフを天使や竜に突き立ててはすり抜けていく。突撃の度に紫の霧に覆われ、ゆっくりと、けれども確実に彼女の力を奪っていく。


「リーナ! もうやめるんだ!」


 レンが叫ぶが、その声が届いた様子はない。どうやら、通信機を切っているらしかった。

 こちらの攻撃は一向に通る気配がない。しかし、だからといって放置して撤退すれば、何が起こるのかもわからない。最悪の場合、あの紫の霧で共和国軍を壊滅させられかねない。


 ……どうすれば、こいつを討てるんだ。


 焦燥と畏怖と、憤怒と悲嘆と後悔と。

 襲いかかる様々な感情に目を細めた、その時だった。


「……え?」


 視界の先、幾度目かの突撃で、竜の脳天にリーナの握るナイフが突き刺さっているのをレンは見る。

 直後。漆黒の球体が天使と竜を中心に発生。咄嗟に退避するリーナの左腕を巻き込んで、その漆黒の虚無は天使と竜を包み込んだ。

 と思うと、唐突にその漆黒は収縮。数秒ののちに完全に消失した。


 あとに残されたのは、浄化された世界に特有の凪いだ空気と、地上に残る効力を失った〈慈悲ケセド〉の紋様だけで。竜とそれにまたがっていた天使の姿は、跡形もなく消え去っていた。

 唐突に訪れた敵の消滅に、一同はただ、呆然と立ち尽くすしかなかった。

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