朝食

  亜紀は3人が泊まっている部屋の目の前で立ち尽くし、怒っていた。


 ドアをノックをしても反応がないばかりか、ドアノブをひねったら何の抵抗もなく開いてしまったからだ。


「結局、1度も鍵掛けてねーじゃん。あいつらはともかく蛍は何をやっているんだよ」


 亜紀は部屋にずかずかと踏み込んでいく。


 部屋の中ではまだ誰も動いていなくて、ベッドの毛布は人数分膨らんでいて、毛布の奥側には3つの頭が並んでいるのが見えた。

 亜紀はベッドに歩み寄り、毛布を端からめくってみる。

 するとみづきが凜霞に絡みつくようにして、眠りに落ちていた。

 凜霞の肩にはみづきの頭が寄りかかり、よだれで濡れている。

 みづきの両腕と片足で体を抑えつけられて、一つも身動きができない状況のようだった。


 亜紀が凜霞の顔に目を向けるとすでに起きているようで、薄く目を開けている凜霞と視線が合う。


「なるほどね。いつから起きてたんだ?」

「よくわかりません。時計が見えませんので」

「お姫様を独り占めしている気分はどうだ?」

「茶化されても困ります」

「そうは言っているが、本当は興奮しているんだろう?」


 亜紀は困惑するようなうわずった凜霞の声を無視して枕元に立ち、顔を凜霞の体に寄せていく。


「亜紀さん、何をしているのですか。また私に変なことをしようとしていませんか」

「んー、気にするな」


 亜紀が、凜霞の胸の下に耳を当てる。


「やっぱ、早いじゃん。ドックンドックン言ってる」

「!……貴方がおかしなことをするからです」


 亜紀は体を起こして、凜霞が動けないことをいいことに布団の中に手を入れて腹部を撫で、口角を上げながら凜霞を流し見る。


「嘘をつけ。目が覚めてからずっとこうだったんだろ? 布団の中がめっちゃ蒸れているじゃねーか。それとも、昨日のことを思い出していたのかね」


 凜霞はそれに答えずに顔を反らそうとするが、反らした目前にみづきの顔があることに気づき、慌てて正面に戻す。その様子を見ていた亜紀が、お腹を押さえて声を潜めながら品のない笑い声を上げる。


 凜霞は一瞬肩をふるわせ声を詰まらせて、泣きそうな声を上げる。


「……私を追い詰めて、貴方はどうしたいのでしょうか」

「すまん、やりすぎた。つい癖でな」


 亜紀はふと思いついたように再びつぶやく。


「それはともかく、そろそろ起きてもらわんと何もできねえってぇの。全員起こすぞ、いいな」

「そうですね……わかりました。お願いします」

「よし。起きろぉー、お前らっっ……!」


 亜紀が布団を掴んで力任せに剥ぎ取り、床に放り投げた。


「亜紀さん。おはよう、ございました」

「うぅ……カーテンは開けないでねぇ」


 みづきと蛍がふらふらと体を起こす。


 蛍はあくびをしながらサングラスをかけて、みづきは目を擦りながらぼんやりと周囲を見回している。

 凜霞がすぐ隣でふらふらしているみづきに視線を向けると、それを感じたみづきが両手を凜霞に向けて差し出す。


 凜霞はしばらく沈黙したままその手の先を見つめ、やがて両手をつまみ返しながら問いかける。


「これはなんですか」

「お着替え、して欲しいなぁ」


 みづきは上目遣いで凜霞を見つめている。


 凜霞はぴくりと反応するが何の返答もせず、その指先から視線を反らさない。

 みづきが怪訝な表情で凜霞を覗き込むが、それでも凜霞はみづきの顔を見ようとしない。


「凜霞ちゃん……なんでこっちを見てくれないの?」

「見ません。みづき先輩を見たら断り切れませんので」

「うぅ、いじわる。見てよぉ」


 2人は指先をつまみ合ったまま、みづきはじりじりと顔を近づけて、凜霞はそろそろと視線から逃れようとする。


 しかし最後には、みづきが泣きそうな表情で鼻先まで近づいて行き、凜霞が吹き出すように笑う。


「はい……仕方ないです。今回だけですよ」


 凜霞は軽いため息をつきながら、少しだけ咎めるような口調で話を続ける。


「私はみづき先輩を年上だと思っていたのですが、妹になってしまったようですね」

「うん。私、凜霞ちゃんの妹になりたぁい」

「大人になりたかったのではないですか」

「そ、それはそうなんですけど……でも、『凜霞お姉ちゃん』もいいかな、なんて」

「私もみづき先輩の姉妹になれるのなら嬉しいです。でも、それは今だけですよ。みづき先輩がこのままでは私が心配ですから」

「やったぁ。じゃ、はい」


 凜霞はみづきの着ているロングTシャツを捲り上げる。


 すると、パステルカラーで統一された可愛らしいキャミソールとショーツが露わになる。

 細かくは覚えていないけれど、それは昨日来ていた下着とは異なる物のように見えた。


 ちなみに今の凜霞は下着を身につけておらず、寝巻きの中には何も着ていない。

 なぜなら、服と下着は亜紀が洗濯してくれているし、服の替えは何も持っていないからだ。


 凜霞はみづきの姿態に胸が熱くざわめくような感覚を覚えたが、それはともかくとして一つの疑問が浮かぶ。


 みづき先輩は下着の替えを持っています。

 私と違い、もともと旅をする予定だったのだから、当然なのですが。

 それなら、なぜ服は毎日同じ物を着ているのでしょうか?

 服の替えを持ってきていないはずは、ないと思うのですが。


 凜霞は開けっぱなしのみづきの旅行カバンにちらりと目配せする。

 すると、白い布地が奥にたたみ込まれているのが見えた。


「みづき先輩。こちらに別の服が入っているようですけど、それは着ないのですか」

「あ。……うん。見ても、いいよ」


 みつきが目を合わせずに、歓迎も拒絶もない曖昧な返事をする。

 凜霞はそれを了承と取り、カバンを開けて中の布地を引っ張り出してみる。

 するとそれは、フリルとリボンが贅沢にあしらわれた白いワンピースだった。


「可愛らしい衣装ですね。これは相当なお値段、ですよね?」

「あのね、お母さんがみづきにってどんどん買ってくるの。だから、そういうのがいっぱいあるんだけど……」

「大人になりたいみづき先輩には、ちょっと似合わないかもしれないですね」

「そう、なの。だから着ないの。お母さんには『何で着てくれないの?』ってすっごい言われちゃうんだけど」

「ですが、私の妹になりたいみづき先輩には似合うのではないでしょうか」

「う。それはそうですね……」


 みづきは恥ずかしそうに顔を少し伏せ、上目遣いに凜霞に視線を送りながらつぶやく。


「着て、みる?」


 凜霞は無言で頷いて、ワンピースをみづきの頭に通していく。


 すると、セーラー服を着たみづきも子供のようであったが、フリルがあしらわれた白いワンピースドレスを着たみづきは一層幼い少女感を醸し出していた。


「大変お似合いですよ。みづき先輩」


 みづきが、あは、と小さな声を上げ、半笑いのあやふやな表情で目を反らす。


「……そう、です、ね。でも、恥ずかしいんですよ。あんまり着たくない、かも」

「でも、私が服を着れば白と黒でお揃いですね」

「あ、それはそうかも?」


 凜霞の一言で目を輝かせてぴょんと飛び上がる。

 そしてベッドに飛び込むように寝転んで、凜霞の方へと手を伸ばした。


「コンタクト!」

「入れて欲しいということでしょうか」

「バッグに入ってるの」

「手がかかるお嬢様ですね。わかりました、ただ今お持ち致します」

「うん、ありがと。お姉ちゃん」


 みづきは頭を縦に振ったあとでごろりと天井を向き、凜霞は小さなため息をついたあとで、微かな声で囁く。


「みづきちゃん。いいですか? 力を抜いて、目を閉じたままで……」


 凜霞は、コンタクトレンズを取り出してみづきの枕元にしゃがみ込む。


「ん……う? さわさわ、しないで」


 凜霞はコンタクトレンズをみづきの目に入れずに睫毛を撫でている。


 みづきが嫌がって頭を左右に振るが、凜霞は軽いため息をつくだけで反応がなく、追いかけるようにして凜霞の指先が密に生えそろった毛を触れに行く。


「お姉ちゃん……くすぐったいよぉ。もういいでしょ?」

「………………え? あ、はい。失礼いたしました。それでは、行きます」


 やっと我に返った凜霞はみづきのまぶたに二本の指を沿わせて目を開き、コンタクトを瞳に乗せていく。


「ふぅ、ありがと。それじゃね、みづきがお姉ちゃんの着替えをお手伝いするね」

「私は自分で着替えられますか――」

「みづきが、お着替えを、お手伝いしたいの」


 ぷぅ、と頬を膨らませて凜霞をじっと見上げている。

 しかし凜霞の反応がないと見ると、身を起こして凜霞のロングTシャツに手を掛ける。


「まずパジャマを脱ぎましょ――」

「ま、待って下さい! それだけは駄目です。私、この下には何も身につけていません」

「凜霞ちゃんって、寝るときには下着を脱ぎたい人なの?」

「違います。私は着替えを持っていないので、亜紀さんに洗濯をしていただいている間は着る物がない、というだけです」

「わかった! なら、みづきが着せてあげるから」

「すみません。それだけは遠慮させてください……」


 凜霞は立ち上がり、亜紀が持ってきてくれた洗濯済みの下着を手に取り部屋の隅で手早く身につける。


「では、これでお願いします」


 凜霞が観念したように目を伏せ、ベッドの端に座る。そこにみづきが膝をつきながらにじり寄り、横から凜霞のシャツを捲り上げていくが、凜霞は腕を身体の前で合わせて服を押さえている。


「凜霞ちゃん、脱がしにくいよ?」

「他の人に体を見られるのは、あまり……」

「そっかぁ。でも、どうして?」

「人に晒せるような物は持ち合わせていませんので」

「えぇ⁉ そんなこと言ったらみづきちゃんが泣いちゃいます……」

「ああその、なんと言いますか、不健康でアンバランスというか。とにかく、私はあまり好きではないのです」

「ううん、よくわかんないなぁ……ちょっと腕を通すね」

「あまりこちらを見ないで下さいね」


 凜霞は黒のブラとショーツの姿で腕で前を隠したまま縮こまり、もの言いたげな目線で横からみづきを見返す。


「下着も黒だったの⁉ うわぁ……すごい、大人だぁ」

「その……病院の購買で……。子供用ではサイズが合わなくて。大人用はベージュか黒位しかなくて」

「すっごい似合ってる! いいなぁ」

「褒めていただけるのは嬉しいのですが。その、早く服を着せていただけませんか」


 と凜霞は少しも嬉しくなさそうな声色でみづきに催促する。

 みづきは、はぁい、と即答し、ベッドからぴょんと飛び出して凜霞の服を取りに行き、いつもの黒いワンピースを腕に通して前のボタンを掛けていくと、凜霞が緊張を解いていつもの表情に戻る。


「白と黒、お揃いですね」

「うわぁ。色違いコーデみたい! 初めからこっちを着てればよかったなぁ」

「そうですね、水族館ではこの服装で写真を撮った方がよかったかもしれません……みづき先輩、テーブルにつきましょう。朝ご飯の時間です」

「あ、いま行きます!」


 


 今日も亜紀が配膳を済ませていた。


 テーブルには大皿にトーストされた食パンが山盛りで、その他にもサラダやスクランブルエッグやベーコンが乗せられた皿とジャムやバターが入った小皿、水と氷が入ったピッチャーとガラスのコップが用意されていた。

 蛍はフードを深く被り顔を隠し、スマートフォンをいじりながら椅子に座って待っていて、そこへみづきと凜霞が集まっていく。


「すみません、遅れました。洗濯から食事まで頼り切ってしまって本当に申し訳ありません」

「いや、あたいも時間が無くてすげぇ簡単な朝メシにしちまったわ」

「ごめん、僕の分まで用意してもらって」

「凜霞ちゃん、今日はどうするの?」

「待てまてまてぃ、作戦会議はメシを食ってから。はい、いただきます!」


 全員が食事の挨拶を済ませる。


 みづきが食パンを1枚取り、真ん中で割って凜霞に渡す。そしてみづきは半分になったパンにバターを塗り、凜霞はスクランブルエッグを載せて食べ始める。


 それを横目で見ていた亜紀が2人に問いかける。


「お前ら、なんで半分ずつなん」

「いつも朝ご飯はこの位の量なので」

「です」

「お前ら少なすぎ! だから2人とも痩せっぽちなんだよ」

「私、ちっちゃいから、そんなに食べられないですよ……」

「食べられないのです。かえって具合が悪くなりますので」

「うーん……てか、蛍も小食だなぁ。おい」

「僕? 食べられるけど大変なことになるよぉ? 1キロ減らすのにも3か月もかかったし」

「動けよ。てか体力使わないのか? 仕事は何してるんだよ」

「あ、うーん……と。テレワークというか……部屋のパソコンで仕事をしていて、立案したり営業したり、イラストを描いたり動画の編集や投稿をしたり。クリエーター、て言えばいいのかなぁ」

「はぁ。よくわからんが、なんかお前らしいわ。ちゃんと落ち着いていたんだな、安心した」

「うん、僕は大丈夫。亜紀が心配してくれていたのならとても嬉しい」

「お前と再会できたのも、みづきと凜霞のおかげ……って、お前ら本当に仲がいいなぁ! おい」

「んむ?」

「……ん」


 亜紀がみづきと凜霞に目を向けると、白黒コーデの2人がバターパンと卵パンをちぎってお互いの口に押し込んでいた。

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