第3章 ペンションにて

山奥に連れ去られて

 昼と夜の狭間――それは、夕暮れの時刻。


 鳥たちの声も止み、風も静まりかえっている。

 山々は日没の光で紅く染め上げられて、谷間は薄闇に沈み、鮮やかなコントラストを描きだしている。


 闇に落ちた海岸からそれらの山々へと続く、ヒビだらけでうねり狂ったアスファルトの上を、ヘッドランプを灯した黄色い軽乗用車が華麗に身をひるがえしながら駆け登っている。


 その黄色い乗用車のヘッドランプが草むらの中の何かに当たって、きらりと輝く。

 それは見慣れたガードレールの反射板とは明らかに異なっていたが、薄闇に紛れ込んでしまい、その正体は見当つかなかった。


「なにか、いませんでしたか?」

「あー、猫かハクビシンじゃね? あいつら、たまに倉庫を荒らすんだよな。ま、いいけどさ。……ほんで、隣の黒いお嬢さん。大丈夫か、生きてる?」


 運転席の女性は手慣れた様子でハンドルをさばき、きしみと異音が乗ったエンジンを器用に噴かせて山道を走り続けている。

 どこかで聞いたことがあるポップな恋愛歌がスピーカーから流されていて、その女性はそれに合わせて時折、小さな鼻歌を口ずさんでいる。

 ポニーテールに仕立てられた赤茶けた髪と、化粧っ気が少ない割にぱっちり見栄えする顔貌がんぼう。そして中性的で芯のある声色からは、彼女が少女から大人までの一体どの辺であるのか、見当がつかない。


「は、はい。まだ、生きています。申し訳ありません」

「んー、真面目か?」

「いいえ。そういうわけではないのですが」

凜霞りんかちゃん、本当に大丈夫? もしかして、緊張してる?」

「そうですね……すみません」

「了解。オッケー。別に、とって食いやしねーから安心しな。な? たろーまる」


 ぉん、と助手席の大きな犬が吠え、それに合わせて凜霞の体がびくりと震えた。


「あたいは、あき。尾長亜紀。で、こいつが太郎丸。9歳の男の子。でっけーしモフモフだし可愛いだろ。ほんで、キミ達は?」

「相沢みづき、こう見えても高校1年生。15歳の女の子です!」

「りんか。風羽凜霞かざはりんかです」


 亜紀がけらけらと陽気な笑い声を上げながら、バックミラー越しにちらりと後部座席を伺う。


 後部座席には、ずぶ濡れで砂まみれの少女たちが肩を並べて腰をかけている。

 みづきという、どうみても小学生にしか見えない自称15歳の女の子はきょろきょろと興味深そうに窓の外を見回している。

 一方で、凜霞という大学生くらいに見える黒髪の女性は緊張をしているのか表情も硬く、じっと前を見つめて身動きをしていない。

 一見あべこべで共通点の見当たらない二人ではあるが、車に乗る前からずっと手をつないでいて、ただ一時も離していない。


 亜紀は視線を正面に戻しながらハンドルとブレーキを素早く連携させて、一見車が崖から転落してしまうような急カーブを滑らかにくるりと切り戻した。


「はー、おもろ。そりゃどうみても女……え、15歳⁉ マジなん?」

「はい。まじのまじのまじ、です」

「やば、あたいオバさんだわ……」

「いいえ! とっても若くて大人っぽく見えます。いいなぁ」

「えー、じゃ、みづきさん……だっけ? 質問です。あたいは何歳でしょうか」

「んー……17、歳?」

「ブッブー、それじゃ車の免許が取れないっしょ。てかそんなに若く見えるわけないってば、ないない。あー、学生に戻りたいわ。働かんでいいし」

「働いているんですか?」

「そりゃあ、ね。それで、聞いてくれる? 仕事が終わってさぁ、太郎丸と散歩をしていたらさぁ。……海岸に女が二人、転がってた! っていうね。遭難でもしたんかぃ! みたいな」

「それは……びっくりですね」

「いや、キミ達のことなんですけど」

「やっぱり、そうですか? ですよね。ありがと、でした。ただ、その」

「ん、どした?」

「お礼とか……お金とか、持ってないんです」

「あー、そういうのは気にするな。いらんから。とにかく風呂に入ってサッパリしな。話はそれから」

「はい!」


 2人がお互いに興味を持って他愛もない会話をしている中で、凜霞は一言も発さずに注意深く亜紀を観察していた。


 自分達が車で見知らぬ山奥へと連れ去られているという事実と、抵抗をしたとしても何の易もなく、今は目の前の女性に頼らざるを得ないという事実の狭間で、凜霞の心は波間に揺れる小舟のような有様だった。

 もしも最悪の事態が生じたら、刺し違えてでもみづき先輩を守らなければならない。

 それだけが、いつ命の灯火が消えてしまうかわからない私にしてあげられること。


 という最期の覚悟を決めながら、外見的にはただ硬直してじっと前を見つめていた。


 一方みづきは新天地への興味と凜霞を無事に連れて帰ることができたことへの安堵感で、ほんわりと海にただようクラゲのような気分で亜紀との会話を楽しみながら遠い景色を眺め続けていた。

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