ペンション

 運転席の女性――亜紀は、ブレーキを踏み、車のスピードを徐々に落としていく。

 その先には洋風の建築物。黄色い壁に白い柱、三角屋根で煙突がついた建物が、淡い夕焼けを浴びて佇んでいる。


 ペンション・パルモ。


 その道路向かいの駐車場に車を停めて、亜紀がキーを外すと、エンジンはぽすんとため息をつき、活動を止めて静まりかえる。


「ここだよー、はい降りた、おりた」


 3人と1匹が車を降りる。


 切り立った山頂は見晴らしが良く、目下の漁村がよく見える。

 浜辺の近くでは、たび重なる波が穏やかに、まるで時間が止まりかけているかのような動きで押し寄せている。


 水平線の辺りは浜辺で見たときの海岸線よりもずっと丸く、きらきらと揺らめいている。

 その先の空は紅色を残しているものの、目を刺すような陽光はとうの昔に地に沈み見当たらない。


 しかし水平線のわずか上方にある、たなびくような薄雲の下面は鮮紅色に輝いていて、それは太陽がまだ水平線の先に在るということを示していた。


「凜霞ちゃん。ほら、海」

「綺麗ですね。あ、あそこの砂浜は多分」

「え、なに、なに?」

「……私達が居たところではないでしょうか」

「おー、正解。さっきキミ達が倒れていたのはあそこ。で、こう来てこう曲がってぐいーん、って来たわけ」

「凜霞ちゃん。あの、ね」

「どうかしましたか」


 夕日を浴びた生暖かい風が崖から湧き上がり、2人の合間を駆け抜けていく。


 みづきは凜霞と体が触れ合う寸前までそろそろと近づき、凜霞のいつもと変わらない涼しげな横顔を何度も確認したあとで、砂浜に視線を戻して小さな声でつぶやく。


「……ごめんなさい。私、凜霞ちゃんに無理を言ってしまいました」

「いいえ。結果として、私はまだ生きてみることを選びました。それだけです。気にしないでください」

「わかり、ました」


 話が止まるタイミングを待っていたのか、亜紀が切りのいいタイミングで2人に声をかける。


「まずこっちに来い。急に冷えてくるから、早く体を流さないと風邪引くぞー」

「はーい」


 2人は過去の終着点であった浜辺に別れを告げて、まずは亜紀の言うがままに身を清めることにした。




「え、なんでここにシャワーあるの?」

「んー、ウチは海水浴とかマリンスポーツの客が多いからね。外にシャワーがあるんよ」

「亜紀さん、ここのしゃちょーさん、なんです?」

「社長じゃなくて、オーナー。オヤジと母ちゃんが、ね。あたいはただのお手伝い。まずはここで体を流しておいて。タオルとか持ってくるから」


 ペンションの玄関のすぐ横に金属のパイプが2本、プールで見かけるような屋外用のシャワーが地面から立ち並んでいる。

 みづきがパイプの途中についている真鍮製のハンドルを回す。

 すると、キキ、という鈍い金属音と共にシャワーヘッドから水滴が大量に降り注ぐ。


「わぁ! 冷たい……うう」

「私は、それほど冷たく感じません」

「ええ、本当?」

 

 シャワーを頭から浴びたみづきが身を震わせてシャワーから身を離そうとする。

 凜霞がみづきの頭の上に手を差し出しているが、その表情は一変もしていない。

 凜霞の不思議そうに見下ろす視線がみづきの辛そうに我慢して見上げる視線と交錯する。


「わかりました。それなら、これでどうですか」


 凜霞は逃げ出そうとするみづきに自らの身体を重ねて。

 二つ並んだシャワーの片方だけに身を寄せ合いながら、一つになってシャワーを浴び始める。


「これで、寒くはないと思います。どうでしょうか」

「え? えと……ありがと。だけど、ちょっと洗いにくいよ」

「わかりました。それなら、私にまかせていただけますか」


 みづきは目の前で向き合う凜霞を避けるように髪をかき上げている。

 凜霞がその手を優しく制してみづきの二つ結びのリボンを解き、後ろ髪を撫で上げ始める。


 目をつぶって見上げるみづきの頭を、繰り返し、あやすように。


 ふぁ、とみづきが小さな声を上げて身を震わせたあとで、頭を下げて少し目を開き、呟く。


「私も凜霞ちゃんを洗ってあげる」


 みづきは目の前の腰まで流れる黒髪に指を立てて櫛を入れていく。その小さな手指が髪を揺らす度に、その流れに沿ってさらさらと砂の雫がこぼれ落ちて行った。


「それでは、お背中も流しますね」


 凜霞の手がみづきの頭から離れ、うなじを辿りつつ腰に至り、そのセーラー服を捲り上げる。肩甲骨まで到達すると、優しく念入りに、円を描くように背中を撫で上げ、さすり、ざらつく砂を巻き上げて流し去っていった。


 みづきは背中に指が這うたびに、体をよじらせて身を逃がそうとする。


「う、く、くすぐったい、よ!」

「しっかり落としておかないと、あとで困りますよ。念入りに洗いましょうね」

「うん、そう、だね……わかった。だから、凜霞ちゃんも、ね?」


 凜霞は穏やかに言い聞かせようとするが、みづきはそれに応えずに悪戯っぽい笑みを浮かべて凜霞のワンピースのボタンを外し始める。


「みづき先輩! な、何をするのですか。それは困ります、やめて下さい」

「だって、そうしないと体、洗えないよ? 洗わないと困っちゃうんでしょ?」

「それはそうですけど……っ!」


 みづきは拒絶しようとする凜霞の手を抑えながら胸から腰まで次々にボタンを外していく。

 黒いワンピースの隙間から白くて細いおなかが露わになり、みづきはすかさず服の隙間から手を入れて、背中を撫でさすり始める。


「ちょっと……待って! 待って、まって」

「イヤ。すっごいくすぐったかったんだから。仕返し、だよ」

「……くぅ…………や……だぁ」


 凜霞は指を噛んで声を殺しているが、それでも背中を擦られるたびに足のつま先を硬直させて、口元からため息に似た独り言が漏れ出てくる。

 凜霞に報復を与えて満足したのか、みづきは背中から手を引き抜いておなか側に回し、凜霞に問いかける。


「おなかもきれいにしてあげようかな?」

「前は自分で出来ますから!」

「本当かなぁ。ここはみづきちゃんがしっかり――」

「お二人さん、タオル持ってきたぞ。あと着替えは部屋に置いたから。拭きおわったら、行くよ」

「あ、ありがと……です!」

「すみません、ありがとうございます」


 遠くから掛けられた声に、突き放すように距離を取って何事もなかったかのように振る舞う2人。

 その直後にペンションの玄関の中から、亜紀が両手に山盛りのタオルをもって顔をのぞかせた。

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