顔に書いてある

 巨大なコンクリートの建造物に入場する。


 内部は薄暗く、暑くも涼しくもない、いわゆる『ぬるい』環境で、多くの人々が行き交ってはいるものの、埋め尽くす程の混雑ではなかった。


 みづきは行き交う人々をチラチラと見回して、はぁ、と胸に手を当てながらため息をつく。


「凜霞さんがいて、よかったよぉ」

「どうしてですか?」

「だって、ほら。あっちはお父さんとお母さん。そこは仲間連れ、あそこは……たぶんお付き合いしてる人、だよぉ。1人で来てたら、うわぁぁあああ? ってなってたかも」

「そう言えば、なぜ1人で旅行を? ご両親は? ……って、突然ですみません。聞いてもいいですか」

「私のこと、聞きたいです?」

「はい。私が勘違いしているだけかもしれませんが……なにか。私にとって、ただ出会っただけには思えなくて。みづきさんにはご迷惑かもしれませんが」

「そんなことないよ! 私、とっても楽しいよ? こんなお姉さんが欲しかったなぁ、みたいな」

「私がお姉さん、ですか」

「あ、わ、私! 凜霞さんに、お姉さんになって欲しい、とか言いたいわけじゃなくって」

「いいえ。こちらこそお姉さんになりたくない、という意味ではなくて」

「うちの家は、っと。どうしようかなぁ……ここで話すとながーくなりそうなので、あとで。お宿に戻ってから、ね」

「そうですか……はい、わかりました。ではこれからどうしますか」


 凜霞は少しだけ俯き、みづきから視線をらした。


「んー。じゃ、こっちです」

「あ……!」


 凜霞は手に違和感を覚えた。それは締め付けられる、あたたかい感触。


 驚いて手を持ち上げると、そこには凜霞の手を握りしめているみづきの小さな手があった。その奥に見えるのは、みづきの少し恥ずかしそうな笑顔。


 そしてみづきの口が開いて、


「人がいっぱいだから、ついてきてね。迷子になりそうなときは大きな声を出すの。いい?」


 と言った。確かにそう言った。凜霞はみづきの言葉の意図がわからず、力の抜けた声で返答する。


「そ、うですね。はい」

「暗いところに勝手に行ってはいけませんよ。知らない人について行っちゃだめ。わかった?」

「あ、はい。わかりました」

「それから、えーっと、もし迷子になったときには交番に行って、お巡りさんに声をかける……とか言っていたような?」


凜霞は表情が一変し、わずかな笑みを浮かべている。


「あ、もしかして。昔、何か困ったことが起きたのですね」

「え。あ、その。なにも! ないです。ないです、ないです……よ?」

「その話も聞きたかったですね」

「聞きたかった……ですか? その、どうしても聞きたければ話せないこともないですけど。でも、何でわかったんですか?」


凜霞はその質問には答えず、静かにお辞儀をする。


「いずれにしても、ありがとうございました」

「ええと。どうしてありがとう、なのですか?」

「みづきさんが、私のことを心配してくれたのがわかるからです。私が寂しくならないように、頑張って教えてくれたのですね」

「あぁぁぁ。顔に何か書いてあるんですか、私」

「そうですね。読めるみたいです、私には」

「本当! ですか」

「そんなに顔を隠さなくても……嘘です」

「ええと、どの話が嘘だったのですか?」

「それは内緒です」

「えー……。んーーーーーーーーーーーーーー」


 みづきが背伸びをして、それでも背が届かずに見上げながら凜霞の顔立ちを眺めている。


「顔、すごい近いです……ああ、わかりました。私の顔に、何か書いてありましたか」

「みづきにはわかりませんでした……」

「それでいいんですよ」

「そう、なんですか?」


 凜霞はその質問をはぐらかすように、ふふ、と穏やかに笑った。


「案内、よろしくお願いします」

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