ひるがえす手のひら
ガタタン……ゴトン……
規則的に揺れる電車は、いつの間にかトンネルに潜って、電車の中も外も真っ暗で、窓はまるでスイッチの切れたテレビのよう。
レールを擦れる金属音ときしむ車体音が狭い空間に反響し、不協和音となって闇を切り裂く。
二人は相対する椅子に座ってお互いを見つめている。
けれど灯りはなく、どんな表情で向き合っているのかわからない。
「私のこと。知らない方にお話ししてもいいのか、な」
凜霞はみづきの表情を観察できないことに不安を感じ、両手を足の付け根の辺りでぎゅっと握り合わせながらも、しばらくの沈黙のあとで思い切ってポツリと呟く。
それに対し、みづきは首をかしげて答える。
「え、お友達じゃ、ないんですか?」
「と、と、友達。なんですか?」
「はい! ……あ」かしげた首がぴょんと元に戻る。「もしかして勘違いです? いっつも友達に言われるんです。『あんた思い込み激しすぎー』って」あは、とみづきから苦笑が漏れる。
「生意気でごめんなさい。いつもの思い込みかもしれないです。でも」
顔がぐっと近づく。表情は見えないけれど、凜霞にも真剣な気持ちだけは伝わる。
「教えてください……私。凜霞さんを、知りたい」
凜霞の体がぴくりと震え、その長い黒髪がはらりと揺れる。
手を持ち上げて、考え込むように自らの手を見つめている。
そしてしばらくの沈黙のあとで上げた手を握り、胸に当てながら、前のめりに体をみづきに寄せて、声をひそめながら言葉を切り出し始める。
「私……。逃げて来たのです」
「逃げて? どこから?」
「病院です。佐野原総合病院」
「さのはら……あ、知っているような。私も、かかったこと、ある? かも?」
「多分それです。そこに併設されている長期療養所。そこに私は居ました……ずっと」
「ずっと……ずうっと? どの位です?」
「わかりません。覚えていないんです」
「まさか、記憶がない、とか?」
「いえ、そうではなくて……本当に小さなときからずっとそこにいたので」
「何年も? ずぅっっと? 病院の中? だけ? で」
凜霞の返答はないが、その顔が縦に振れたように見えた。
「通わないの? 学校、とか」
「院内学級って知っていますか」
「……聞いたことない、です」
「心臓が」
「しん、ぞう?」
「移植しないと10歳の誕生日は迎えられない。って話していたのを聞いてしまったことがあります。その時は、じゃあ私もう死んじゃうんだなって思いました。結局まだ生きてますけれど。でも具合が悪いときは、本当に動けなくて」
今度はみづきが沈黙する。というか、なにも答えることができなかった。
「だから、一生に一度でいいから。もう死んじゃってもいいから、外の世界を見てみたいなぁって。……名字でしか呼ばれたことがない、自分の名前も忘れちゃうような私です…………それでも」
電車がトンネルから抜け出て窓から強烈な光が差し込む。
その眩しさに、みづきは一瞬、目を閉じる。
そして再び目を開くと、凜霞は蒼く光る瞳でまっすぐに自分を見つめていた。
「外の世界を、歩いてみたかったのです」
みづきは肯定とも否定ともつかない呆けた表情で凜霞に視線を向けている。
嘘か本当か疑問を向けた訳ではなく、そもそも話の内容が想像を超えていて理解が出来ていなかった。
「そう……なんですか」
「そういうわけです。……こんな話を聞かせちゃってすみません。聞いてくれて、少しすっきりしました」
「これから、どうするのですか?」
「本当に思いつきだったので、なんとも言えないのですが……海を見てみようかな、って考えています」
「そこから先は?」
「薬が」
「くす、り?」
「欠かさず飲んでいるものが……あまり持って来れなかったので、多分それほどは保ちません」
「……しっ、死!」
「あ! い、いえ、その。いざとなったら救急車を呼ぶか、警察に行けばなんとかなるかな、なんて……だから、大丈夫です」
ありがとうございました、と言いながら凜霞がゆっくりと席を立つ。
みづきに背を向けて、少しずつ距離が離れていく。
凜霞はみづきへ向けて、手をひらりとひるがえす。
それは、お別れの合図。
みづきはそれを見た瞬間に、揺れる手をとっさに捕まえて、思い切り握りしめて引っ張った。
凜霞は手を引っ張られてて驚き、身を震わせて硬直する。
みづきは顔を伏せ、呪文のように独り言を唱え始める。
「お父さんお母さんごめんなさい。みづきちゃんはもう大人なのでちょっぴり悪い子になります。これはみづきにしかできないことなのです。そして今やらなければ絶対、ぜっったいに一生後悔することなのです……ということで」
「あ、あの。みづき、さん?」
みづきは顔を上げ、凜霞の後ろ姿を見つめながら力強く声をかける。
「行けるところまで行っちゃいましょう。でも」
「で……も?」
「私と一緒に。です!」
凜霞は驚き、目を見開いて振り返る。
黒髪が翻り、その頬から涙の粒が散る。凜霞の口が、みづきの名をつぶやく。
みづきは凜霞のもう一つの手も捕まえて、自らの手と合わせて握りしめて大きくうなずく。
手を握り合う2人の背後の窓からは、まぶしい光が降り注いでいる。
窓の外にはのどかな田園風景。その先にはまだ見ぬ田舎町、そしてその先には一面の輝く蒼。
空と海が、凜霞の瞳のように。
電車はゆっくりと、緑の草木を掻き分けて無限に伸びる鈍色の平行線――線路に乗り、二人を旅の目的地へと送り届ける。
ただ一直線に、海を、目指して。
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