蛍の城
ジリジリと焼き付けるような日差しの中、街路樹や建物の影を縫うようにして歩き続けること20分。
3人は低層マンション――コンクリート製で無骨で角張って、南側だけに窓やベランダがやけに多い巨大な建造物、にたどり着く。
マンションの入り口にたどり着き、蛍はエントランスの小さなパネルにカードキーをかざす。
すると、重厚なガラスのドアが音もなく開く。その奥に進み、エレベーターで3階まで昇って、その真ん前にある玄関の前に立つ。
「はい、どうぞ」
蛍が扉を手前に引くと、玄関の先には一本の廊下が続いている。
床には青紫色のカーペット、壁には星や三日月や雲型のシールが張られていて、連なった小さなLED球が穏やかな光を灯している。
蛍が玄関を閉めると廊下はほぼ暗闇で、クリスマスイブのイルミネーションのような瞬きだけが周囲を淡く照らし出す。
「お邪魔します、随分と薄暗いのですね。手が込んでいますが、何か動物の飼育か展示をされているのですか」
「うわぁ、可愛い! 夜のお空みたいだ。へぇー、いいなぁ」
「いらっしゃい。ようこそ。ふふ、いいだろぉ。ここが僕のお城なんだよぉ」
蛍は2人に背を向けて、パーカーのフードを降ろして、サングラスを外す。
余程熱かったのか大きな息をつき、長い髪の毛を耳の上まで掻き上げてから背中に向けて跳ね上げる。
蛍はタオルで顔と首を拭いて、くるりと振り向く。その顔立ちは、高校生を名乗っても何の違和感もないような線の細い少女のものだった。
「どうぞ。先に行っていいよ」
「はい! こっちが、お部屋……え?」
「そうだよぉ。ここが、僕のお部屋」
「暗いですけれど、綺麗なお部屋ですね」
「ね。ちゃんと片付いてるよ?」
「ちょっとぉ。君達、僕のことをどんな目で見ていたんですかぁ……ぅん、昨日連絡があってから、慌てて片付けたんだけど、ね」
廊下の先は、12畳ほどのキッチンとリビングが一体になった部屋がある。
部屋はとても暗く、窓は厚いカーテンで封印されていて、隅に置かれている子供くらいの高さのフロアライトだけが弱い光を放っている。
床にはピンクの絨毯が敷かれ、壁にも同じ色の壁紙が貼られていて、机や棚等の家具は全て白で統一されていて、暗いことを除けばいかにも女子らしい空間を演出している。
しかし、大きく違和感のある物が二つ。それらは少女趣味で統一された部屋の中では異彩を放っていた。
一つ目に、部屋には腰までの高さのショーケースが壁の1辺を埋めつくすように並び、その中には写真や人形やぬいぐるみや本が飾られていて、ケース内のLEDライトで部屋とは別に明るく照らし出されている。
そしてショーケースの上の空いた壁紙には、タペストリーや写真が一面に貼られていた。
二つ目に、別の一角にはクローゼットと言うにはあまりにも大きすぎる、ドア付きで大人が丸々立って入れる大きさの無骨な収納庫のような物がある。
「お部屋も可愛い……です、けど」
みづきは不思議そうにタペストリーとショーケースを眺める。
よく目をこらすとそれらは大きく2種類――紫色の少女のイラストと大人の女性の写真に分かれている。
そしてその女性をよく見ると、それは笑っている亜紀、怒っている亜紀、拗ねている、寝ている、学生服、私服、さらには造られた人形やぬいぐるみや冊子でさえ――全てが亜紀だった。
「……こ、これ!」
みづきが掠れた悲鳴を上げる。
「ぜんぶ、亜紀先輩だよぉ? すごいでしょー。このフィギュアとか、発注するのに1体20万かかったんだよぉ。20体限定生産、ファンクラブの中でも秘蔵の逸品なんだよ」
「えぇぇ、ちょっと、怖い! です、けど……?」
「怖いかなぁ……。怒ってるショットもあるけど、こっちはとっても可愛いしぃ」
複雑な表情でたじろぐみづきに対し、うっとりとした表情で写真を眺める蛍。
「あの……そうじゃなくて……これ、亜紀さんは知ってますか」
「ああ、そういうことかぁ。うん、許可は得ていないね」
「それって、よくないですよね?」
「んー、ああ。言いたいことはわかったよ。別に、怖いでもキモいでもなんでもいいよぉ」
「そう、ですか」
「これが僕の、亜紀先輩を影から推して生きる道。本人に迷惑は一切掛けていないし僕の人生そのものだから、誰に言われようが隠したりはしないし恥じることも曲げることもないねぇ」
「それは、もし亜紀さんがこの部屋に来ても、ですか?」
「うっ……そ、それはさすがに隠すかもだけど……」
「曲がって、ますよ?」
みづきがクスリと小さな笑みを浮かべながら、大量の亜紀グッズの隣にある、紫の衣装をまとった少女のイラストの方へと目を向ける。
「こっちの子は何ですか?」
「それはねぇ。ヴァーチャルアイドル、って知ってる?」
「ネットで配信しているアニメの女の子、ですよね? ルナリアちゃんっていう」
「ええ、この子、知ってるの? 本当⁉」
「はい。私、お友達にすっごいお勧めされて、一緒に動画を見ました。ちょっと暗いけど面白くて、いい子だなって」
「うっっっ……し‼ 僕、本当に女子高生にも人気があるんだぁ。そっかぁ……嬉しいー……」
「え、蛍さんじゃなくて、ルナリアちゃんの話ですよ?」
一瞬で蛍の表情から笑顔が消え、握りしめた手をパタリと降ろして凍り付いた。
「ん? あ! そ、そうだね。……ごめん、勘違いしちゃった」
「蛍さん、女子高生にモテたいんですか?」
「ええと……実は、僕、女の子が大好きで」
「でも、亜紀さんとルナリアちゃんだけなんですか?」
「そぅ! 最推しはその2人なんだけどぉ、でも女子高生なら誰でも好きかなー、なんて」
「それはかなりのヘンタイさんですね……でも、女子高生さんの写真とかは飾っていないです」
「あー、うん。君達が引くかなーと思って、片付けたんだよねぇ……」
「そこは『僕の生きる道』じゃないんですか? さすがに私達の写真が貼ってあったらイヤですけど」
「そ、そおだねぇ……は、はは」
エアコンの効いた涼しい室内で、蛍は顔から汗をだらだらとかいてパーカーの裾でしきりに拭っている。その声色は上がったり下がったり、先程までの自信に満ちた早口はどこかへ消え失せている。
みづきの表情が、再び怪訝な物に変わる。
「うん……ちょっと変ですね」
「な、何か気になるのかな? 僕は、ただの、ルナリアちゃんのファンで」
「あ……声。もっと低めの声で『Doライバー所属、ダウナーの星に生まれたルナリア・ダクネスちゃんです』って言ってみて下さい」
「あっ、あっっ……」
「もしかして、本物……です?」
「う……」
蛍は手で顔を覆い、俯いている。
しかしみづきと凜霞も何も言わずに、同じく立ち尽くしたまま蛍の様子をじっと見守っている。
沈黙の空間に、薄くエアコンのノイズだけが流れている。
そして蛍は結局、自らの沈黙に耐えきれずに自白した。
「その……それ」
「えー。嘘だぁ」
「ごめん! そう、嘘をついて――」
「本物、ですよね?」
「あっ……はい、そうです。ごめんなさい」
「配信する人、私、初めて見ちゃったかも……びっくり。とりあえず、サインをもらってもいいですか?」
「あ、書きます、何枚でも。ええと、ですね。大変申し訳ないのですが、このことは他言無用でお願いしたいのですよ。そうでないと僕、仕事をクビになって路頭に迷ってしまいますので」
「わかりました……けど、とても残念なのですが、みづきの口はあんまり固くありません」
「まぁその、それっぽい人に偶然出会った、とかなら全然構わないです。本名と亜紀先輩との関係さえ言わないでもらえたら、それで」
「はい。そのくらいなら、なんとか。……あれ、確か17歳なんですよね」
「それはね、なんとなくスマートフォン一つでトークを始めたのが17歳で、そこから何回か転生して今日に至るわけでして。なので、永遠の17歳なのです。はい」
「闇少女って言ってましたけど、本当にお部屋真っ暗なんですね」
「うん……本当に光に弱いんだよ、僕。具合が悪くなるっていうか、気を失いそうになるんだ」
「そうなんですか! だから喫茶店では顔を出さなかったんですね。でも、お仕事ってこのお部屋の中だけじゃないですよね?」
「ミーティングとかはこのパーカーとサングラスでなんとかなるよ。ただ、モーションキャプチャースタジオを使うときは照明を下げてもらったり、仮面をつけたり、キャラ的にも部屋の隅っこにいるのが丁度良かったり。まひるん……まひるちゃん、って知ってる?」
「あの、よく一緒に出てくる仲良しの……付き合ってるんですか?」
「あ、いや。まひるん、仲がいいというか、すごい僕の面倒を見てくれるんだけど……でも、恋人ではないです、はい」
「ビジネス……とかいうやつですか?」
「実は、事務所にてぇてぇ路線で行けって言われて……ちょっと盛りました。そうさせていただきました」
「なるほどです」
「とにかく、あの子やみんなに助けてもらったり、苦しいけどなんとか、ね」
「大変なんですね」
「うん……だけど、僕は光だけじゃなくて人と会話するのも駄目で。でもネットの向こうの人達となら楽しく会話できるんだ。だから、好きとか嫌いとかじゃなくてここが僕の『世界』だし、飼い主さん達はとても大事な宝物で、僕の居場所はここにしかないんだよ」
「そう、なんですか。なんか、配信者さんのこと、少しわかった気がします」
「ここまでの人は僕も見かけないけどね……なんでオーディションを通ったのかな、って今でも思ってる。とにかく、僕の話はここまでだよ。そろそろ凜霞君の話を進めないと時間が足りなくなるから。今は君達のことの方がよほど重要だから」
「そうでした! ……では、お願いします」
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