蛍
「あとは服も見てみたいなぁ」
「時間の方は大丈夫でしょうか」
「あ、あと20分だ。そろそろ行かないと、だね」
会計を済ませた後でお店を出ると、太陽は一層高く昇っていて、素肌がヒリつく感覚を覚える。幸い目的地はさほど遠くなく、汗をかき始める前には目標の喫茶店に辿り着く。
入店すると奥の方から黒い制服にエプロンを着けた若い女性が現れて出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ、何名様でご来店ですか?」
「ええと、3名なのです。……が、待ち合わせで1人先に来てるかも? しれません」
「店内でお待ちの方はいらっしゃいません。それでは、先に店内でお待ちになってはいかがですか?」
「それでお願いします」
「それでは2名様、テーブル席にご案内しまーす」
店員にテーブル席へと連れられて行く。その席は周りには他の客がいなくて落ち着けて、入り口を見通すことができる絶妙な場所だった。
2人は入り口が見える方の席に並んで座り、運ばれてきた氷と水の入ったグラスに口を付けながらメニュー表をぱらぱらと一緒に眺める。
「みづき先輩、凄いですね。私、何も言えませんでした」
「え? そんなことないよ! 喫茶店には慣れてるだけ、だから」
「喫茶店にはよく行かれるのですか」
「うん。放課後にお友達と、ハンバーガー屋さんとか……あ、校則違反だから内緒だよ。みんなやってるけど、巡回の先生にみつかると怒られちゃうから」
「学校生活も大変なんですね」
「そうなんだよ……。疲れちゃうことも、あるの。いっぱい」
だらしなくテーブルに体を投げ出しているみづきとそれを見守る凜霞の耳に、いらっしゃいませー、と店員の声が届く。
2人は会話を中断してドアの方に目を向ける。
すると、ピンクのパーカーを目深く被った上にサングラスをかけて、ロングヘアーの前髪やら横髪やらをピンで留めまくっていて、黒いミニスカートを身につけた小柄な女性が立ち尽くしていて、怯えたような挙動不審な動きで店内を見回していた。
「あ、あの人っぽい」
「そのようですね。どうみても怪しいですし、一目でピンときました」
こちらが観察しているのに気がついたらしく、みづきが手を振るとその人も小さく手を上げて、そして猫背になってフラつき、危なげな歩調で歩み寄ってきた。
顔はパーカーとサングラスと長い前髪に阻まれてまったくわからないが、猫背の上にしきりにお辞儀をしてさらに小さくなり、手を盛んに前後に振っているところを見ると相当に緊張している様子がうかがえる。
その年齢不詳の女性は、想像以上に高く細い声で挨拶を交わしてきた。
「あづい……もう灰になりそう……あ、はぁい。どぉもー、蛍です。よろしくねぇ」
「みづきです。よろしくです!」
「凜霞と言います。この度は急にお呼び立ていたしまして申し訳ありません」
「お、おおお? おぉー……ホンモノだぁああ!」
蛍は向かいの椅子に腰掛けようとするが、2人の顔をまじまじと見比べたあとで指差し、突然ぴょんとのけ反って叫びだす。
蛍は自分の声に驚いてビクッと震えた後に両手で口を押さえ、何度も周囲にお辞儀をしてから腰を掛けなおした。
「本物って……何のことですか?」
「あ、ごめん、その話は後に回してねっ……とぉ。ところでみづき君、歳、いくつ?」
「えぇと。みづきはこう見えても高校1年生の15歳です!」
「本当⁉ 15歳なのぉ? ちっちゃいなぁ、小学生かと思ったよぉ。……ふふ、みづき君、よろしく、ねぇ」
「みづき先輩、もしかして人に会うたびにこんな感じなんですか」
「はい。こんな感じです」
「色々大変なんですね。大人になりたい理由、少しわかってしまいました」
「わかってしまいましたか」
「で、凜霞君は大学生? それとも社会人なのかなぁ」
「私は中学生です」
「えっっ!……僕と同じ位かと思っちゃったぁ。そう言えば、肌の艶が全然違うよね。髪もサラサラしてるし。……ねぇ、触ってみても、いーい?」
「すみませんが、それは困ります」
「駄目かぁ。ざんねん」
蛍はフードを深く被ったままメニューを広げる。向かいの席から蛍を眺めると、背の高さはみづきと凜霞の間くらい、大人にしては小柄な方ではあるが、猫背で縮こまってメニューを眺めている姿だけを見るとみづきよりも小さく見える。顔は整っているようにみえるけれども、顔を完全防御しているので容貌はまったくわからない。
「ここは僕が持つから、なんでも頼んでいいよぉ」
「え、食べたい物はいっぱい、いっぱいありますけど……いいんですか?」
「こんな可愛い子達と一緒にご飯が食べられるのなら、タダっていうか。むしろお金を払いたいくらいだね。気にしないでドンドン行っちゃってぇ」
「ええと、あのぉ……女の子が好きな人なんですか?」
「可愛い女子は地球の宝だよぉ、至宝というか……神? それは僕が男だろうが女だろうが関係ないね。ま、ちっちゃくて可愛い男の子も大好きだけどぉ。声変わりする寸前の少年とかも、ね? 良くない? 大人しいのもいいし、ちょっと生意気でも許しちゃうみたいな」
蛍は早口で意味不明な言葉を呪文のように唱えている。
「貴方の言っていることが私にはよくわかりません。世間ではそういうものなのでしょうか」
「あ……ごめん。引いた? 世間は知らないけど、僕の業界3ではそうなんだよ。だから僕みたいなのでも食べていけるんだけどねぇ。それはともかく、好きなものをどぉぞ」
「わぁい。なにしよっかな? これとこれとこれ――」
「駄目です。みづき先輩、怪しい人から物をもらってはいけません」
「はぅ……」
「ちょっと待って! 確かに僕は怪しいけどぉ。だけど一応、亜紀先輩の知人なんだよ。……ねぇ、信用してくれない? じゃないと、お金を直接バッグに押し込んじゃうよぉ。ふ、ふふ。それもいいね。僕が君達を推しちゃおうかなぁ……それとも、第2のファンクラブを……」
もはや訳のわからないことを1人でつぶやき続ける蛍と、メニューを真剣に検討するみづきと、冷めた表情で蛍を監視する凜霞。
やがていくつかの注文した食べ物がテーブルに届き、食事しながら会話を続ける。
みづきの前にはアラモードとアイスココア。アラモードはソフトクリーム、チョコレートクッキー、焼きプリンがガラスの皿に載せられて、キャラメルソースがたっぷりとかけられていて、見る人によっては胸焼けがしそうなデザートである。
凜霞はレディースロコモコ丼のライス極小。小さめのハンバーグ、目玉焼き、多めのサラダが載せられてて、ご飯はどこにあるのかわからない程で、亜紀が見たら何か言い出しそうな低カロリー食である。
蛍に至ってはアフォガードとアイスコーヒー。アフォガードはバニラアイスにエスプレッソコーヒーがかけられていて、要はカフェインづくしなのである。
「いただきま……あれ、凜霞君はドリンクを頼まないの」
「私はお水があればそれで十分です。それより、蛍さんはお食事をなさらないのですか」
「僕はねぇ……夜型だから今は食欲が全然ないし、むしろ滅茶苦茶眠くて……あとはまぁ、体重が増えるのが怖い、っていうのもある」
「ふぇ。た、たいじゅう、です、か」
「ああ、ごめん。僕はもう若くないし、全然動かないからね。1度増えだしたらねぇ、それはそれは、もぅ」
蛍はぶるりと身を震わせる。
「私はみづき先輩が甘い物を摂り過ぎていると思います。少し気になりますね」
「あ、うぅ」
「まぁまぁ、まだ若いし、今のうちに食べたい物いっぱい食べておいた方がいいよ」
「はい! いただきますっ」
「仕方ないですね……いただきます」
そして各人が手元と料理に口を付け始める。
みづきがプリンを口に運ぶと一瞬目を見開いて、そして顔がとろけるような笑顔になる。
「凜霞ちゃん。これ! すごいよ、すっごいの。ね?」
「……あ、ただ甘いだけではないのですね。ほのかな苦みが良いアクセントになっています。こちらのハンバーグもお肉がしっかり詰まっていますよ」
「……ほんとだぁ!」
2人が一口ずつ料理を交換し合っているのを、蛍が反対側の席からニヤけながら眺めている。
「ぅん……いいねぇ。可愛くて仲良し……最強じゃあないか。ねぇ、亜紀先輩とはどんな関係? 僕。とっっても、気になるなぁ」
「亜紀さんには、宿に帰れないところを助けて頂きました」
「帰れなくなったって……どうして?」
「濡れちゃって、バスに乗れなくなっちゃって」
「へぇー。服が濡れて? まさか、そのまま海に飛び込んだ、みたいな?」
「うん……そうなの」
「若いなぁ。それで亜紀先輩に助けられたんだ。あそこ、太郎丸ちゃんの散歩コースだもんねぇ」
「そんな感じ、です」
「へぇー。やっぱり亜紀先輩は格好いい……。よかったねぇ。僕みたいなのに捕らなくて、ね?」
「えと、蛍さんはちょっと怪しいと思います。もしかして、ヘンタイさん、なんですか?」
「あ……みづき君、もうちょっと冷たい顔をして、突き放すように言ってくれない?」
「蛍さん、怪しいし、ヘンタイっぽいですよ」
「んんっ……これは来るっ……っっ。これであと1万年は生きていけそう。……で、僕のこと、もっと知りたいの? いいよぉ。キミの知らない世界を見せて、あ、げ、る」
蛍が笑みを浮かべてアイスクリームをすくい、ぺろり、と舌で舐め取った。
カチャン
その会話を冷ややかな目で眺めていた凜霞がフォークでテーブルを叩くように置いて、両手をテーブルに付けて少しだけ席から立ち上がる。
「すみません。私のみづき先輩に余計なことを話さないでいただけますか? もういいです、行きましょう」
「了解、ごめん。話さない、余計なことは何も言わないよ。お願い、ちょっと待って」
両手を顔の前で合わせて降参のポーズを取る蛍に、凜霞はあからさまなため息を付く。みづきは頬に生クリームを付けたままで、2人を不思議そうに見回している。
凜霞はハンカチを取り出しみづきの顔を丁寧に拭き取ってから、席に着き直す。
「わかりました、今回だけは了承します。次はないと思ってください。……話は変わりますが、蛍さんと亜紀さんはどの様な関係なのでしょうか」
「僕と亜紀先輩の関係。んー、昔の知り合い? 亜紀先輩は僕のこと、何か言ってたかなぁ」
「『よくわからんけどずっと近くにいるやつ』って言ってたような?」
「お! おぉー……。そっか、そっか」
蛍はニヤつきながら両手を握り、力のこもっていないガッツポーズをする。
「私には、あまりよい関係には思えません。ですが、それでいいのですか」
「十分だよぉ。だって、僕のことをずーっと見てくれていたんだからね。はぁ……聞いてみて、よかったぁ」
蛍の口が緩み、にへへ、と満足そうな声を漏らす。
「蛍さん、亜紀さんの後輩なの?」
「んー? 僕は、亜紀先輩と同い年だよぉ」
「ですよね? でも、先輩って」
「ああ……それねぇ。んん、言ってもいいのかなぁ……まぁここまでなら、言ってもいいかなぁー」
「どういうことです?」
「亜紀先輩のファンはね、年上とか年下とか関係なく、みんな『亜紀先輩』と呼ぶっていう掟があるんだよぉ。これはファンの間では鉄則なのでぇす」
「ファン?」
「うん。ファンクラブがあってねぇ、亜紀先輩に悟られないように、こっそり活動してるんだ」
「えぇぇぇぇ⁉ 亜紀さんのファンクラブ?」
「声が大きいっっっ! ちょ、これはオフレコだから、絶対に秘密、ね。その代わりに何でも食べていいから」
みづきと蛍が一斉に声を上げて立ち上がる。
蛍は周囲に頭を下げながら席に着き、みづきは抜け目なくさっと手を上げて店員を呼びながら、後に続く。
「わかりました。あ、濃厚ベルギーチョコレートのガトーショコラケーキのベリー添えを追加でお願いしまーす……けど、何で話してくれたんですか?」
「どうせあとでバレるからねぇ……。だってぇ、亜紀先輩直々のご依頼だから、僕は中途半端で投げ出すことはできないんだぁ。そうすると、ここでは調べ物なんてできないしぃ、僕の部屋に来ることになるよね? そうしたら、嫌でもわかるんだよねぇ。ああ、それと、一応忠告ね。君達のことは、クラブの間ではもう話題になってるよぉ」
「え。本当、ですか?……あの、ファンクラブって何人くらいですか」
「523人。全国に布教中で、ちょっとずつ増えてるねぇ」
「そのみんなが知っているんですか」
「そう」
「私達は別に、亜紀さんに対して何かをしようとしているわけではないのですが」
「んー、わかってる。別に亜紀先輩に近づくなとか言いたいわけじゃないんだよ。ただ、亜紀先輩に接触しようとする女子なんてしばらくご無沙汰だったから、クラブ内ではちょっとしたお祭りになってるんだぁ。だから、もしかしたら怪しげな奴が興味本位で君達にちょっかいをかけてくるかもしれないんだ。それだけ気をつけて、ね」
「それは、蛍さんのような方でしょうか」
「そうそう、僕みたいな……って違うよぉ! 僕はちゃんと君達に協力するし、約束は守るし、粘着するつもりはないし。そんな酷くはないよ。たぶん。と思うんだけどなぁ……。そりゃあ、どうせ僕は陰キャだけど」
「少し言いすぎたかもしれません。情報提供には感謝します」
蛍が両手を腿に挟んで猫背になって顔を伏せ、ますます縮こまる。
そんなしおらしい所作を見かねたのか、凜霞の口調は少しだけ警戒色を薄めていた。
「さて、ね。そろそろ本題に入ろうか。何について調べたいのか話してみてくれないかなぁ」
「わかりました。伺いたいのですが、鳴瀬川病院という名に聞き覚えはありませんか」
蛍が飛び上がり、ガタタ、と椅子が鳴り、再び周囲に頭を下げながら席に着く。
乱れたパーカーフードとサングラスを整え、手鏡をポーチから取り出して前髪をしきりにチェックして、明らかに挙動不審で会話を再開した。
「もう無くなってる、ってことは知ってる?」
「はい。亜紀さんから9年位前に閉院したと伺いました」
「そこまでは聞いたんだね。僕も、もちろんよく知っているよ。昔は病弱でよくそこに通ったし、入院したこともあるよ。んん……だけど、まさか、ねぇ、その名前を今さら聞くことになるとは思わなかったな。君は一体、あそこの何が知りたいのかなぁ」
「当時の状況や、噂や、何でも。とりあえず、この写真を見ていただけますか」
「ぅん……、やけに古い写真だね。あぁ、この人……凜霞君によく似てる。そして、赤ちゃんと先生。撮影した場所は屋外。裏は……『鳴瀬川病院にて。麗香』」
蛍は手鏡をパチンと折り畳んで収納し、凜霞に視線を向ける。
「きみが持っていたのかな」
「はい、そうです。ずっと持っていたぬいぐるみの中に入っていました」
「写真だけ?」
「いいえ、これも入っていました」
「鍵、だね。小さいし、玄関用ではないね。南京錠かな? それかロッカーか何か。他には?」
「これで全部です。亜紀さんが確認してくれたので、間違いは無いと思います」
「わかった。それで、凜霞君は一体何を希望しているのかな」
「実は、私には両親の記憶がありません。覚えている限り、一度も会ったことがないのです。だから私は、両親がどんな人物なのかを知りたい」
「そのヒントが写真と鍵、ってわけか」
「はい。これで一体何ができるのか、私にはわかりません。でも、私はこの謎を解明したいのです。そしてそれが私にできるのは、今日までなのです」
「今日までなの⁉ それはキツいなぁ……わかった、できるだけ協力するよ。……最後に、ちょっと聞きたいのだけど」
「はい、何でしょうか」
「僕は『
「……一体、何の話ですか」
「ごめん、何でもない。忘れて」
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