第19話

 杷佳の寝ていた布団の側には、紺地に貝桶の柄の絹の着物が置かれていた。

 袖を通すのも躊躇われるくらい上等な着物で、とても着れないと杷佳は最初断ったが、結局常磐に押し切られた。


「具合はどうだ?」


 常磐に連れられて、柾椰の待つ部屋に行った。入り口で膝をついた杷佳に、彼は体調について尋ねた。


「お恥ずかしいところをお見せして、申し訳ございません」

「いや、そのことは気にしなくていい。中に入ってくれ」


 頭を下げようとした杷佳を止めて、柾椰は中へと手招きした。


「あのようなこと、こちらのしたことに比べれば、なんてことはない」


 ばつが悪そうな顔で、柾椰は部屋に入った杷佳を見つめた。


「騙すようなことをして悪かった」

「その…私は…」


 目上である柾揶に素直に謝られ、杷佳は居心地を悪くした。


「柊椰は、結婚後五年目で出来た子供でな」


 そして、彼は息子のことについて語り始めた。


「それまで何度も早期流産を繰り返し、家内も私も今度こそはと言う時に、ようやく産み月近くまでこぎつけたのだが、後一ヶ月ということころで産気づき、母子ともに危ういところだった」


 辛そうに語る柾椰の様子に、杷佳はどう言えばいいかわからず、黙って頷いていた。

 

「難産で、お産は丸一日かかった。そして、春の嵐の夜、大きな雷が鳴り響く中、産まれた柊椰は、産声も満足に上げられないほど弱く、到底一年は保たないと医者に言われた」


 やっと授かった命。望まれてこの世に生を受け、しかしそのように言われ、どれほどに辛かったか。

 自分は生まれてこないほうが良かったのでは、と何度思ったか知れない杷佳が元気に育ち、待望の子供である柊椰がそのように生まれた。世の中はままならないものだ。


「あらゆる神仏に縋った。そしてちょうど大陸から来たという道士に巡り合い、彼の祈祷のお陰で柊椰はこれまで生きて来られた」


 それまでも何度も高熱を出し、死地を彷徨っては乗り越えてきたのだと、柾椰は言った。


「しかし、何とか生き永らえても、結婚して子を設けることは難しい。北辰家も私の代で終わりと思っていた」


 名家にとって、後継ぎをもうけることは大事なこと。それを諦めるということが、どういうことか。眉間に皺が寄り、膝に置いた拳に力が入る柾揶の姿を見れば、それがわかる。

 正妻に子が出来なければ、妾を持つことも出来る。なぜそうしなかったのだろう。


「北辰家は家内の家で、私は養子だ」


 その疑問を悟ったのか、柾椰が杷佳に視線を向けて言った。

 考えを見透かされていたようで、杷佳は頬を赤らめた。


「す、すみません」

「いや。気にしなくていい。そういうわけで、私が妾を作ったとしても、その子は北辰家の正当な跡取りとは言えない」


 恥じる杷佳に、柾椰は弱々しい笑みを向けた。

 これが叔父なら、平手のひとつでも飛んでくるだろうに、柾椰の優しさに杷佳は心を撃たれた。

 これほどに人柄の良い方なのに、お金があっても人には色んな悩みがあるものだ。


「一歳の誕生日を迎えるのは難しいと言われた柊揶も、何とか二十歳までだましだまし生きてきた。殆ど寝床で過ごし、あの子に取って生きていることが苦痛で、早くあの世に逝かせてやった方がとも思ったが、親の自我だとは思う。それをわかってか、あの子は物心ついてから苦しいとか辛いとは言わなくなった」


 我が子に生きてほしいと思う親心。それを理解して、愚痴ひとつ言わない息子。

 親子の間の絆とも言える強い繋がりを、杷佳は羨ましいとさえ思った。


「お心の強い方なのですね。ご立派です」


 弱音を吐いても誰も咎めない状況で、そうしなかったのは、彼の心が強いからだろう。

 杷佳がそう言うと、柾椰は「そう思うか」と、嬉しそうに微笑んだ。

 

「子供は無理でも花嫁ならばと相手を探したが、そのような状態で我が家に我が子をと思う親はいない」


 同じように我が子を思うならば、体の弱い夫に嫁がせたいとは思わないだろう。

 しかし、それでも構わないと思う者はいるのではないだろうか。


「うう…」


 それまで話を黙って聞いていた常磐から、押し殺した鳴き声が漏れる。


「常磐は、家内の乳母で、柊揶のことも生まれたときから親身に世話をしてくれているのだ」

「そうなのですね」


 振り返って着物の袖で涙を拭う姿を見て、皆に大切にされている柊椰は、一体どんな人なのだろうと気になった。

 なぜ人形が代わりに置かれていたのか、気になることはあったが、自分から問い質す勇気はなかった。

 しかし次の柾椰の言葉に、杷佳は耳を疑った。


「だが、何とかここまで生きて来られた柊揶だったが、天命もここまでだった」

「え…」

「あの子は…柊椰は…」

「う、うううう」


 常磐の嗚咽がますます大きくなる。


「あの子は…つい五日前、この世を去った」


 唇を噛み締め、柾椰はそう言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る