第29話

 あの後、柾椰は浴衣を持って、柊椰の元へ向かった。


 杷佳は会ったことはなくても、柊椰の父親である柾椰と、長年彼の側にいた常磐が似合っていると言ってくれた。

 ひと仕事を終えた達成感があった。

 浴衣一枚、掃除ひとつとっても、ここの人たちは彼女がすることを喜んでくれる。

 それが働くことの歓びでもあることを、ここに来て初めて知った。


(そう言えば、三日後にまたって言っていたわね)


 期待していたわけではないが、そのことが気になった。


 違和感に気付いたのは、そろそろ寝ようと思った時だった。


「常磐さん?」


 誰かに名前を呼ばれた気がしたが、気のせいだろうか。

 念の為、確認しようと寝間着の上に羽織をかけて、廊下に出た。


「寒い…」


 廊下はひんやりしていた。

 冬でもないのに、おかしい。

 屋敷の中は静まり返っていた。耳を済ませると、キーッと何かが軋む音がした。


「どこか開いているのかしら」


 それで外気が入り込んでこんなに寒いのか。

 そうなら閉めないと。思って杷佳はそのまま歩いて行った。

 廊下を進むと、軋む音が段々大きくなってきて、近づいているのがわかった。


「この先は…」


 その先は杷佳が足を踏み入れることの出来ない場所。柊椰の部屋に続く扉がある。


 軋む音はそこから聞こえてくる。


 薄暗い中をゆっくり進むと、扉の閂が外れ、僅かに扉が開いているのがわかった。


「開いてる…」


 誰かが閉め忘れたのだろうか。それとも常磐か柾椰が中にいるのだろうか。

 扉の前で彼女は暫く佇んで、誰かか戻ってくるのを待った。

 しかし、暫く待っても、誰も来ない。


(どうしよう。中に入ってもいいのかしら)


 勝手に入ったとばれたら、言いつけも守れない人間だと、罵られるかも知れない。

 そんな恐れを感じ、杷佳は踏み出せないでいた。

 

「え…」


 廊下からそっと扉の向こうを見つめていると、何かがこちらを見ていることに気づいた。

 それは、四日前の夜に見た馬と牛の頭をした子供たちだった。


「花嫁様来た」

「花嫁様こっち」


 二人は杷佳に向かってお出でお出でと、手招きしている。

 考えるより先に、体が動いていた。

 何かが起こっている。

 杷佳はゆっくりと足を運び、中へと進む。


 扉の奥は、同じ材質で出来た廊下が続いている。元々ひと続きだった場所を、先程の扉で区切ったようだ。

 奥へ進むほどに、冷気が増していくのがわかる。

 手招きをしていた牛と馬の頭をした子供たちは、杷佳が近くまで来ると、ぱっと中に走り込んだ。


「あ、ま…」


 襖が開いたその部屋の前に来ると、そこで杷佳は立ち尽くし言葉を失った。

 

 部屋の中央には、人が一人立っていた。

 こちらに背中を向けているため、顔は見えないが、腰近くまで伸びた長い黒髪が、あの夜の男だとわかる。

 そしてその人物を取り囲むようにして、倒れている四人の人。


「若様、花嫁様来た」


 彼らは一人部屋の中で立つ人物に向かって走っていき、その周りに纏わりつく。

 すると男が顔をあげて、こちらを振り返った。

 間違いなく、あの夜の男だ。

 でも、どこか違和感がある。


「常磐さん!」


 しかしそれが何なのか考えるより先に、倒れている一人が常磐だと気づき、杷佳は駆け寄っていた。


「常磐さん、大丈夫ですか!…そんな、旦那様」


 常磐は意識を失っている。そして常磐のすぐ横に倒れているのは、柾椰だった。


(まさか、死…)


「大丈夫だ。生きている」

 

 杷佳の頭に浮かんだ疑問に答えるように、彼女の頭の上から声が聞こえる。

 他の二人は、見たこともない人たちだった。

 一人は女性。そしてもう一人は白髪の長い髪をして灰色の直衣を来た男性だ。


「な、何を、何をしたの…」


 震えながら杷佳はゆっくり男を見上げた。


(逃げなければ)


 そう思うのに、体が動かない。

 それに、常磐や柾椰たちを放っては置けない。


「危害は加えない」


 男は怯える杷佳に視線を合わせるように、膝を折って座った。


「はじめまして、杷佳。北辰柊椰、君の夫だ」


 男は杷佳の顎を捉え、そう言うと顔を近づけ、唇を重ねてきた。

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