第18話

「花嫁様、花嫁様、……様の花嫁様」

「花嫁様、綺麗、綺麗」


 まるで歌うように、楽しそうな子供らしい声が聞こえる。それも一人ではなさそうだ。


「こら、耳元でそのようにはしゃぐな。起きてしまうぞ」


 はしゃぐ子供たちを、誰か大人の男性が窘める。把佳には初めて聞く声だ。


(誰だろう)


 そう思い、起きようとするのだけど、まるで糊で固めたかのように瞼が動かない。


「……様、花嫁様、いつ起きる?」

「いつ起きる?」

「まだ少し寝かせてあげろ。きっと疲れたのだろう」 

「ん……」

 

 誰と誰が話しているのだろう。深い眠りからゆっくり把佳は浮上して、瞼を震わせた。


「ヒャッ」


 そんな悲鳴が聞こえ、バタバタと走り去る音がする。

 ようやく瞼が動き目を開けたが、見回しても周りに誰もいなかった。


「え、ここ…は?……いた」


 起きた部屋は、とても広い部屋だった。

 真新しく張り替えたばかりとわかる白い障子紙から、柔らかい日が差し込み、畳も新調したばかりなのか、イ草のいい香りがする。

 慌てて起きようとして、頭が痛んで思わず顔をしかめた。


「そうだわ、私、祝言の最中に…」


 三三九度の盃を飲んで、酔いが回って倒れたのを思い出し、青ざめる。

 何という失態。

 祝言の場であのようなことをしでかしては、いくら優しく把佳に接してくれていた北辰家ここの人たちでも、怒るか呆れてしまっただろう。

 いつの間にか花嫁衣装は脱がされ、美しい絹地の浴衣を着せられている。

 しかも寝ていた布団は、固い綿を詰めたいつもの煎餅布団ではなく、軽くてふわふわした肌触りの良い上質なものだ。


「どうしよう」


 ここまでの待遇をしてもらいながら、自分がしたことは酒に酔って、気絶したことだ。

 お前のような者は我が家に似つかわしくないと、祝言早々追い出されはしまいか。

 もしそうなったら、下働きでもいいから置いてほしいと頼めば、置いてくれるだろうか。

 そんなことを考えていると、足音がしてす~っと外に面した障子が開いた。


「あら、目が覚めたのですか?」

「常磐…さん」


 現れたのは常磐だった。


「ご、ごめんなさい、わ、私…なんてことを」


 彼女を見るなり杷佳は布団から飛び出し、すぐ脇に正座して頭を畳に擦り付けた。


「お酒を飲んでふらつくなど…」

「ふふ、お酒は初めてでしたか?」


 しかし頭を下げた杷佳の耳に入ってきたのは、罵りの言葉ではなく、愉快そうな声だった。


「頭をお上げください」


 近づいて常磐は杷佳の前に膝を着くと、肩に手を触れ顔を上げさせた。

 その顔には怒りは見えない。

 

「あの…」

「ご気分が良いならお食事をお持ちします。それから着替えましょう」

「だ、旦那様は…柊椰様…私、倒れて…」


 そう言いかけて、杷佳は倒れた時のことを思い出した。

 自分の夫となる柊椰がいた筈の場所には、人形が座らされていた。

 でもあれはお酒のせいで、杷佳が勘違いしたのかも知れない。 


「勘違いではありませんよ」


 しかし、杷佳の考えを悟った常磐がそう言った。


「え…?」


 驚いて彼女を見ると、悲しみに涙を浮かべ杷佳を見つめている。


「……食事をして、着替えて、それからお話を…旦那様がお待ちです」


 ゴクリと杷佳は唾を呑み込んだ。


 夫となる相手の代わりになぜ人形が置かれていたのか。いくら世間知らずだとしても、それが普通でないことはわかる。

 

「食事は…いりません。ごめんなさい。すぐにお会いしても構いませんか?」


 常磐には申し訳ないが、気になって食事どころでない。それにまだ少し胸がむかついていて、食べ物のことを聞いただけで胃液がこみ上げてくる。


「……わかりました。ではお召し替えを」


 常磐も杷佳の気持ちを理解して、頷いた。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る