第21話

 杷佳の言葉に柾揶は驚きつつも、微笑みを返した。


「あの、それで…奥様は」


 柾揶の妻で、自分の義理の母親となる女性について尋ねた。

 確か、楓と柾椰は呼んでいた。


「ああ…楓か…彼女は柊揶の遺体の側に…」

「ご遺体…」

「柊椰の部屋で、遺体が腐らないよう秘術を施し、そこにずっと詰めている」


 そんなことがあるのかと、杷佳は驚き目を瞠った。

 

「驚いただろう?」

「あ、は、はい」


 心の臓が止まった遺体は、時の経過とともに腐ちていく。それを止めて、腐らないようにすることが出来る方法があるなど、初めて知った。


「奥様は、柊椰様をすぐには手放したくないとおっしゃり…」


 まだ顔も見たこともない自分の夫。たとえ遺体でも、まだこの世に存在しているとは思わなかった。


「そのうち、荼毘に付すつもりではあるが、あれの気が済むまでは…な。おかしいとは笑われても仕方がないが、理解してくれ」

「そんな…」


 初めて聞くことばかりだが、それほど彼らは息子を可愛がっているということだ。

 それを笑うなど、杷佳には出来ない。


「私も…お顔を拝見することは…出来るでしょうか」


 杷佳にとって、一番最初の親しい人の死は母の小百合だったが、幼すぎてその死に顔がどのようなものだったか覚えていない。

 次は祖父の長治郎だが、あまりに悲しすぎて祖父の死に顔も涙でぼやけていた。それに叔父に遺体に近づくことを許されなかったため、じっくり別れを言うことも出来なかった。


「柊椰を…か?」

「あ、別に無理ならば…」

「いや、そう言ってくれて嬉しいが…しかし、楓が…」


 歯切れの悪い柾揶の言い方に、杷佳は何かあると勘付いた。

 柾揶や見越、常磐が杷佳の容姿に寛容であっても、たとえ死んだとは言え、大事な息子の嫁が鬼子と呼ばれている娘だとなれば、もしかしたら彼女は杷佳が来たことを、快く思っていないのではないだろうか。


「奥様は…私のことをどこまでご存知なのでしょうか」

「冥婚は、楓も納得したことだ。そのことで今更何も言うこともない。ただ…」


 そのお茶を濁したような物言いで、杷佳は自分が彼女に受け入れられていないことを悟った。

 柾椰や常磐が想像以上に優しく接してくれているため、つい忘れがちになるが、自分が異質だということを思い知った。


あれも、まだ息子の死を受け入れられず、混乱しているのだ。もう少し時間が経って落ち着けば、そのうち…」

「わかりました。お気になさらず。己の分は弁えております」

「そう言ってもらえると、有り難い。ここでの暮らしに不自由はさせない。何しろ大事な嫁だからな。何かあれば常磐に言いなさい」


 それで柾椰との会話は終わった。

 常磐に連れられ、再び元の部屋に戻った。


「そう言えば…お聞きしてもよろしいですか?」


 ふと思い出したことがあり、廊下の途中で杷佳が尋ねた。


「どういったことでしょう」

「こちらに、小さいお子様がいらっしゃるのですか? 十歳以下くらいだと思うのですが」


 お酒のせいで倒れた時、確かに枕元で子供が最低二人はいた。顔はわからないが、話し方からすれば五、六歳かせいぜい八歳くらいだろうか。


「子供…いえ、下男はおりますが十二歳くらいだと思います」

「そう…なのですか」

「ここは柊椰様の療養のために購入された屋敷です。騒がしい子供など、おりません」


 ではあの時聞いた声は、気のせい?


「あの、では、私が寝ている間に、どなたか若い男性がいましたか? お医者様か誰か?」

「お嬢様のお部屋に? とんでもございません。若い女性が一人で寝ている部屋になんて、旦那様ですら近寄らせません。ましてや若い男性なんて」

「……え?」

「お医者様は呼びましたが、私も側におりましたし、旦那様と同年代の方ですよ」


 幼い子供も若い男性もいなかった。


「何かございましたか?」

「い、いえ…」


 自分の勘違い。それとも幻聴?

 

(でも、確かに声がした)


 過去にも、聞いたことがない声だった。昔どこかで会ったことがある人のことを夢に見ることはあっても、会ったこともない人のことを夢に見るとは思えない。

 しかし、常磐が嘘を言っているようには見えない。第一嘘をつく理由もない。


「お嬢様?」

「ご、ごめんなさい。えっと、その…常磐さん、お願いがあります」

「はい、何でしょう」

「もう少し動きやすい着物はございませんか?」

「着物…ですか?」

「はい」

「今お召になっている着物は、お気に召しませんでしたか?」

「と、とんでもございません。その…私にはやっぱり贅沢というか…汚しそうで落ち着かないというか…出来れば常磐さんが着ているようなもので…」


 常磐が気を悪くするかと、遠慮がちに杷佳は口にした。

 用意してくれていた着物は、確かに着心地が良い。


「気を悪くしないでください。不満があるのではないのです」

「承知しました。それでは明日からお召になれるよう、用意いたします。今日は今の着物でお過ごしください」

「ありがとうございます」


 怒られもせず、聞き入れてもらえてほっとした。


「それと、屋敷の中を案内していただけますか? 間取りを覚えたいので。もし立ち入っては行けない場所があれば、教えてください」

「承知しました。ではこちらへ」


 それから常磐に案内で、杷佳は屋敷の中を見て回った。

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