第40話
出された条件は、地獄から抜け出した亡者やこの世に留まる死者をあの世に送ること。
千体の亡者を狩ることが条件だと言う。そうすれば、彼は本当の意味で生き返る。
「今のこの体はまだ借り物のようなもの。それも馴染むのに数日掛かったが、ようやく動けるようになって、初めて外に出たのが、あの夜だった」
あの夜とは、杷佳が庭で初めて彼を見かけた時だろう。
「でも千体なんて…今夜でようやく百体なのですよね」
後残りは九百体。とても長い道のりに感じる。
「そんなにたくさん、亡者がいるのですか?」
「逃げ出した亡者はそれほど多くない。地獄もそれほど監視が緩いわけではない。ただ、獄卒達も完璧ではない。狡猾な亡者達は、厳しい地獄の試練の最中、彼らの目をすり抜けて抜けだすそうだ」
「では、この世に留まる死者とは?」
「この世にあるもの。物や場所、金銭に執着し過ぎたり、心残りがあったり、自分が死んだことに気付かなかったりといった死者が、この世にはいる」
最初は自我のある死者の魂も、この世に留まる内に理性は無くなり、やがて悪霊となって生者に害を成すという。
「死者が生者に何か危害を加えれば、それだけで罪になる。死者は死者らしく、裁きを受けなければならない。そうしなければ、その魂はいつまでも生まれ変わることが出来ない。生まれる命が減り、人の世は混乱を来たす」
「そのために閻魔様は柊揶様に、死者を捕らえろと?」
「そういうことだ」
話を続ける内に、空は白み始め鳥が
「すっかり夜が明けてしまったな」
障子越しに外が明るくなっていくのを見て、柊揶が呟いた。
「私は約束を果たさなくてはいけない。しかし、そうやって亡者と関わることで、あの世とこの世の繋がりが濃くなってしまった。彼らは肉体は朽ちても、それなりに知能を有している者もいる。追跡の手を逃れるため、自暴自棄になった亡者達がまたあの世と繋がった境目から這い出し、今夜のようなことが起こるかわからない」
「まさか、あの人達がここに来たのは…」
「偶然かも知れないが、私といることで君をまた巻き込むかも知れない。恐ろしいと思うなら、ここを出てもいい」
吐き気を誘う腐臭。虚ろな目。肉が落ちて骨が剥き出しになっていた姿は、思い出すだけで身震いする。
「わ、私は、柊揶様の妻として、ここに居たいです」
怖くて堪らなかったが、それ以上に杷佳は柊揶と離れることなど、考えられなかった。
「柊揶様のお母様には、まだ柊揶様の妻として受け入れてもらえておりませんが、一度交わした契りを、破るつもりはありません。ご迷惑かも知れませんが」
「迷惑など、そんなことは微塵も思っていない」
膝の上に置き、無意識に握りしめていた杷佳の拳を、柊揶はそっとその手で包んだ。
その手から伝わる温かさに、彼が生きていることを実感する。
「母は根は悪い人ではない。杷佳の優しさはきっと伝わる」
「はい。柊揶様を生んだ方なら、少しでも、お母様に認めていただけるよう、努力します」
「もし何か言われたら、何でも私に言え。母には悪いが、何よりも、私が杷佳を護りたい。そのために出来ることは、何でもする」
「そのお気持ちだけで、十分です」
『何よりも、私が杷佳を護りたい』
味方など殆どいなかった以前の生活を思えば、それだけで十分だった。
「杷佳は欲がなさすぎる」
「そんなことはありません。たとえ楓様に嫁として受け入れてくれなくても、柊揶様の妻で居続けたいなど思うのは、私の欲です」
自分の拳を包む柊揶の手を、逆に握り返す。
「この手は離しません。柊揶様が望む限り…いいえ、私自身がずっとお側に居たいのです」
柊揶の瞳を真っ直ぐに見て、杷佳はそう宣言した。
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