第15話

 そこに立っていた男性を、住職は何と呼んでいたか。


「たしか…見越様」


 香苗のことで混乱していたが、何とか思い出せた。


「覚えていていてくれたのですね」


 見越は杷佳が彼の名を覚えていたことに、満足げに頷いた。


「あの、もしや、あなた様が…」


 杷佳はふと思いたり、まさかと思いながら問いかけた。


「我が家は昔から北辰家に仕えている。世が世なら、家老と言ったところだ。興得寺の住職とは、昔からの知己でね。あの日は柊椰様の縁談について、彼の人脈を頼りに訪ねたんだ。お嬢さんに会えたのは、御仏のお導きだった」


 やはり、この縁談はこの見越が口利きしたことのようだ。


「あの、ですが、私は、その…御住職から私のことをお聞きになりましたよね」


 だが、杷佳はまだ半信半疑だった。自分がどういう出自なのか知っていて、なぜ彼は杷佳を薦めたのか。また、北辰家は、本当にすべて承知の上で自分を嫁に望んだというのか。


「わかっているよ。父親がどこの誰かわからない。髪のことも」


 伏し目がちだった視線を、杷佳はぱっと上げて、見越と常磐を交互に見る。

 二人は黙って頷いている。


「香苗さん…だったか。大事なお方を亡くして、その供養を願い出たそうだね」

「はい。私には…もう一人の母のような方でした」


 香苗を失った哀しみがまたもこみ上げてきて、涙が湧き上がってくるのを、ぐっと堪える。


「そんな方だから、柊椰様の相手として、北辰家に必要だと思ったんだ」

「そ、そんな…」

「それに、美人だと評判だった母上に似て、とても美しい。これなら柊椰様もお気に召すだろう」


 美人だと言われ、杷佳はポッと顔を赤くする。


「見越様、よろしいですか。時間がありません」


 玄関口で立ったまま話すのを、常磐が口を挟む。


「お、これは失礼。そうだな」


 見越はペチッと額を叩く。


「そういうわけだから、気にしないでください。あなたの事情をすべて理解した上で、北辰家はこの縁組を認めたんです」


 まだどんな相手が自分の夫になるのかもわからないが、自分の生まれや容姿について問題はないと言われたことで、杷佳は幾分気が楽になった。


「あの、ありがとうございます。精一杯努めさせていただきます」


 杷佳は見越に頭を下げた。


「それは北辰家の方々に仰ってください。それに、お礼を言うのはまだ早い」

「え…?」


 どういう意味なのかと顔を上げると、見越は先程とはうって変わり、なぜか暗い顔をしている。


「あの、見越様」

「さあ、こちらへ」


 気にはなったが、常磐に奥へと連れて行かれて聞くことは出来なかった。


「見越」


 常磐と杷佳が立ち去った方向と反対側から、見越に声をかけた人物がいた。


「旦那様」


 白いものが混じった髪を後ろになでつけ、紋付袴の袖口に腕を差し込んで立つ男性は、北辰家の当主、柾揶だ。


「あの娘が?」

「はい、柊椰様の花嫁になる方です」

「よく見えなかったが、腰の低そうな娘だな」

「生家ではそこそこ苦労されているようですから」

「ならば、この婚儀の真実を知っても、簡単には帰ることはないということだな」

「そうだと思います」

「北辰家の嫁としては何もせずともいい。柊椰の嫁として留まるなら、望みは何でも聞き入れてやれ。常磐にもそのように言ってある」

「はい。それは承知しております」

「頼んだぞ」

「あの、奥様は…やはり?」


 見越が遠慮がちに、北辰家当主の妻で柊椰の母である茜のことを尋ねた。


「柊椰の側に今も張り付いている」

「では、祝言は…」

「わしとお前だけで立ち会うことになるだろう。後は道士と常磐だな」

「驚かれるでしょうね」

「仕方あるまい。これも北辰家存続のためだ。しかし、よりによって、なぜ柊椰なのか」


 柾揶は重々しいため息を吐いた。


「これも運命です」

「運命…か。それですべて納得できればいいのだが、複雑なことだ」


 もう一度、柾椰はため息を吐いた。


「さて、祝言が始まる前に、花婿の方の支度を見てくるとするか」

「お供します」


 柾椰と見越は共に柊椰の元へと向かった。

 

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