第16話

 常磐に連れて行かれたのは、風呂場だった。

 そこには他に二人の女中が待っていた。


「まずは湯浴みを」

「あ、あの」


 着ていた質素な着物も下着もすべて脱がされた。


「あ…」

「み、見ないで」


 杷佳は、顕になった肌を隠そうと腕を回した。

 さっと隠した杷佳の胸の中央には、生まれつき痣があった。

 それが彼女が忌み嫌われるもうひとつの理由だった。

 それはまるで炎のようにも、彼岸花のようにも見えた。


「わ、私…」

「さあ、早く支度を」


 しかし常磐はそれには動じず、黙々と作業をこなした。


「あ、あの…」

「生まれつきと窺っています」

「え」


 常磐の言葉に、ぎゅっと身を縮こまらせていた力を緩めた。


「北辰家に迎えるにあたり、お嬢さんの事情は熟知しております」

「し…知って…」

「あなた様の事情について、旦那様は問題なしと判断されました。故に、気になさる必要はございません。すべては柊椰様のためです。あなたも北辰家に嫁ぐからには、そのことをよく胸に刻んでください」

「北辰…柊椰様」

 

 まだ見たこともない、自分の夫になる人物の名を呟いた。

 

「あなたは柊椰様の花嫁に選ばれた。私共にとって大事なのはそれだけです。あなたの事情は関係ありません」


 淡々と語る常磐が、本当は何を思っているのかわからない。

 だが、彼女も他の二人も、感情的に杷佳を殴ったり怒鳴ることもない。

 ただ、与えられた職務を全うするべく、ここにいるだけなのだ。


『すべては柊椰様のため』


 彼女たちが杷佳に親切なのは、彼女がその人の花嫁だからだ。

 まだ見ぬその相手がどのような人なのかわからないが、常磐は彼をとても大事に思っているのは確かだ。

 そして、その花嫁の自分のことも、事情を知っていながら、受け入れてくれるのだ。




「これは、なかなかの花嫁御寮だ。そう思いませんか、常盤さん」


 見越が支度を終えた杷佳を見て、褒め称えた。

 あまりに大袈裟すぎて、杷佳は綿帽子の中で恥ずかしそうに俯いた。


 あれから湯浴みを終えると、次に案内された部屋には、白無垢が用意されていた。


 白粉をはたき、紅を引いて髪を結い上げる。

 赤い髪に綿帽子を被せて、杷佳の支度は出来上がった。

 支度を終えた頃、見越が迎えに来た。

 正座して座敷で待っていた杷佳の姿を見て、その出来映えに満足している様子だ。


「見越様が気に入っても、柊椰様がお気に召さなければ、どうしようもありません」

「もちろんそうだが。きっとお気に召すだろう」


 本当に見越の言うとおりならいいのにと、杷佳は思った。

 常磐やここの人たちが彼女に優しいのは、北辰柊椰の花嫁だからだ。

 しかし、柊椰本人が彼女を気に入らなかった場合は、どうなるのだろう。

 

「大丈夫。気を楽に」


 見越が杷佳の不安を察したのか、そう言った。


「見越様は、どうして私に親切にしてくださるのですか?」


 殆ど見ず知らずの見越が、ここまでしてくれるのは何故だろう。


「北辰家のためですか?」

「それもありますが、あなたのことも気に入っています」

「でも…私は」


 そう言われても、これまで杷佳が接してきた人たちの大半は杷佳のことを疎んじてきたので、人から好意的に見られることに慣れていない。


「さあ、こちらへ。旦那様がお待ちです」

「旦那様? ということは…」

「柊椰様のお父上。現在の北辰家の主、柾椰様です。あなたの舅になる方です」


 廊下を進み、辿り着いた部屋の襖を、見越が開いた。


 そこは既に祝言の支度が整っていた。


「来たか」


 紋付袴を着て、こちらに背を向けて座っていた人物が振り返った。

 その向こうも一人黒い紋付きを着た人物が見えた。


「は、はじめまして、杷、杷佳と申します」


 慌てて杷佳は正座して、両手を着いて頭を下げた。一瞬だったので、こちらを振り返った人物の顔も、その向こうにいた人の顔もはっきり見えなかった。

 

「北辰柾椰だ」


 威厳のある声が頭の上から聞こえてきた。


「さあ、花嫁はこちらへ」


 後ろから付いてきた常磐が杷佳の手を引く。

 杷佳は転ばないよう着物の裾を気遣いながら、俯き加減に歩いて、金屏風の前に敷かれた座布団に座った。

 

(この方が…柊椰様)


 綿帽子の縁からこっそり隣を窺うが、そこから見えるのは着物の襟元だけ。

 はっきり頭を上げるわけにもいかず、杷佳は膝の上に置いた手をもじもじとさせた。


「柊椰の母親は、体の具合が良くない。それ故、祝言には立ち会えない」

「は、はい、承知いたしました」


 祝言など見たこともないない杷佳は、今から行われる自分の祝言が、他とどう違うかさえわからない。

 

「わ、わたしも、両親はおりません。叔父も参列しないと…」

「室生家には、望むならと申し伝えていたが、そういうことなら無理にとは言わない」


 これが麻希なら、何をおいても参列しただろうが、自分の室生家での待遇がどういうものか知られ、今更ながら恥ずかしく思った。

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